我々の中に裏切り者がいる(……ぎくり!)
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場の空気を変えるために僕はいささか強引に、済まし顔で珈琲カップを傾けているガブリエルへ話しかけた。
「それはそうと。いまお聞きした話では、ガブリエル卿はクリステル嬢とは旧知であり、兄妹同然の昵懇の間柄だとか? クリステル嬢とは一年ほどのお付き合いですが、失礼ながらそのような話は寡聞にして存じておりませんでしたが、おふたりはどのようなご関係なのですか?」
ふと、気がついた風を装って踏み込んだ問い掛けをする僕の舌鋒を受けて、
「どうぞ私のことは“ガブリエル”と呼び捨てでお願いいたします」
と、余裕の表情でにこやかに微笑んで応える彼。
他の取巻き連中もこの話題は聞き逃せないと思ったものか、不毛な口論を切り上げてさり気なく耳をそばだてる(特にエドワード第一王子などは興味津々、ほぼ円卓に齧り付きであった)。
ここで、『実は子供の頃に将来を誓い合った仲でして……』‐‐などとなれば面白いんだけれどなあ。さて、どう答える?
「旧知……というほどではございませんが」
そう前置きをしてから、ソーサにカップを置いてゆっくりと話し始めるガブリエル。
「先ほど殿下からもご紹介のあった通り、はばかりながら、故国において私の生家は古来より魔術……ことに占星術を中心とした古典魔術をいまに伝える血筋にあります」
滔々と語るガブリエルの声は男性とも女性ともつかない、どうにも距離感のつかめない不思議な感じで、とにかく恐ろしく耳に心地良い……というか、ほとんど快楽的ですらあった。
ダイレクトに耳の奥底をくすぐるような蠱惑的な響き。聞いているだけで、背筋がゾクゾクするような背徳感と酩酊感を刺激する旋律である。
いつしか取巻きたちの警戒は薄れて、トロンとぬるま湯に漬かっているかのようなアホ面……無防備な表情でガブリエルの言葉に耽溺し切っていた。
(……まずいな。一種のマインドコントロール、いや、催眠術か魔術の類いか?)
かつて『声』によって相手を意に従わせる魔術を使う魔族がいたが、あれは圧倒的な“圧力”で相手の意思を捻じ伏せて従わせていたのに対して、ガブリエルの声はもっと自然で、夢見心地のまま相手の気持ちを誘導するような代物に僕には思えた。あの時の魔術は恐怖を増幅したものだけれど、これは多幸感を媒介にした、一見相反するものに思えるけれど、本質的には同じものである。
とはいえアレほど即効性のあるものではないようだし、いまこの場で危険性を声高に論じても無駄だろう。幸い卒業まで三カ月程だし、じわじわと進行していく毒のようなものだから、なるべく関わり合いを持たないように注意して――
カチカチカチカチッ……。
そこまで考えた刹那、何か歯車が一瞬だけ連結して、何かのヒントが形になりかけ、
「そのようなわけで父は芸術……それも伝統舞踊や吟遊詩人などとも親交が深かったのですが、二十年ほど前から彼女の御母堂に当たる“流浪の歌姫イーリス様”として名を馳せた方の才を愛で、彼女がミネラ公国を訪れた際の後援者を買って出たのが縁となっております」
「ほう」
なりかけたところで、ガブリエルの話の続きと、それに対して興味深そうにエドワード第一王子が身を乗り出して合いの手を入れたその声で霧散してしまった。
「その後、クリステルが誕生し――少なくとも当時は誰が父親なのか、イーリス様は頑として口を割らなかったそうですが――彼女たち親子がミネラを訪れた際には変わりなく、宿代わりに我が家の別棟を使って貰った……それでまあ、多忙なイーリス様に代わって、公演中は幼いクリステルの保護者代わりをしていた。そういった関係なんですよ」
「……なるほど。あくまで保護者としての感情しかないということですか?」
そう改めて僕が念を押すと、即座に「勿論です」という答えが返ってきた。
その迷いのない返答に一同の間にほっと弛緩した空気が流れる。
返答次第では『クリステル嬢の身内同然=味方』という構図から、『不倶戴天の天敵』へと変貌する可能性すらあったわけだから当然だろうけれど、僕は逆にあまりにも間髪入れない答えに引っかかるものを覚えていた。
(……他の答えより反応がコンマ二秒は早かった。つまり事前にこの質問を想定していたということだね)
やはりこいつは曲者だな。という意識が明確になる。
というか、これだけあからさまに怪しい奴をなんで誰も疑わずに身内に取り込むのかねえ。クリステル嬢絡みになると全員の判断力が乳幼児並に下がるのはどういうわけなんだろう。
以前……一年前まではそれなりに切れ者揃いでいて、
「殿下、殿下は我らのみならずオルヴィエール統一王国の旗頭でございます。我等一同、その為の足場を固めるために精進いたします!」
と、ドミニクが言えば、
「頼もしいな。だが、ただ俺を担ぎ上げるだけではなく、もしも俺が間違ったことをすればそれを糾す努力も必要だ。その時には遠慮なく俺を糾弾してくれ」
と、エドワード第一王子が応じて、さらにエストルあたりが眼鏡のブリッジの位置をクイッと直しながら、
「なるほど。つまり同時に我々に期待されている能力は、理想だけではなく現実を直視して対策を用意して批判する力……というわけですね?」
「その通りだ。周りにそういう人間がいなくなると、目的達成のためには捏造や誹謗中傷も恥と思わん卑劣感が増えて、逆に人心が離れる原因となるからな。気をつけねばならん」
と、そう頼もしく締め括っていたエドワード第一王子。
……奇しくも正気だったその当時、危惧した状況になっているのは皮肉としか言いようがないけれど。
そんな僕の諦観を知ってか知らずか、ガブリエルは腹の底の見えない笑みを浮かべて続ける。
「まあ、実際に会えるのは年に一度か二度程度でしたので、こうして今回、御国へ留学するまで、恥ずかしながらクリステルが父親の元に身を寄せていたことも、イーリス様が永の暇をしていたことも、恥ずかしながら把握していなかったようなものでして。……ともあれ、今回の留学に関しては旧友との再会がカードで暗示されていたので、『もしかすれば』とは思っていました」
「カード? カード占いっすか?」
興味をひかれた面持ちでマクシミリアンが尋ねる。
「ええ、まあ。ほんの手遊びですが」
「へええ。試しに占って欲しいですね。俺たちの今後とか」
無邪気な口調で続けるマクシミリアンだけれど、もしかして彼なりに現在の状況に危機感を覚えているのだろうか? 取巻きの中でも喜怒哀楽が一番激しいけれど、その分イマイチ本心のつかめないところがあるだけに判断に迷うところだ。
「——ふむ……宜しいでしょうか?」
おもねるように僕に尋ねてくるガブリエル。
この短時間のやり取りで、どうやら僕らの人間関係の力関係を把握したらしい。
基本的に取巻き同士が話をする場合にはさほど上下関係はないけれど、ことエドワード第一王子に関わる案件や、全体を統括する事象になった場合には、直接第一王子に伺いを立てるのではなく、『取巻きA』たる僕を通して話をする……という面倒なやり方を早速に踏襲してきた。
「——よろしいでしょうか、殿下?」
そう尋ねる僕に向かって、しばし考えてから微かに憮然とした表情で頷くエドワード第一王子。
魔術嫌いのとしてつとに名高いミネラ公国の若き公王ほどではないけれど、彼も基本的に占いや迷信の類いは嫌悪している節がある(だから家妖精を放逐するという暴挙に出られたわけだけどさ)。
逆に弟王子であるジェレミー第二王子は、その手のものに造詣が深いとの噂もあるので、もしかするとそのあたりが関係しているのかも知れないけれど、エドワード第一王子としてはかなり寛容な判断でガブリエルの申し出を受けたのだった。
「ええ、ではひとつお手並み拝見させていただきます」
「ははははっ、怖いですね。占いはあくまで現時点での予測にしか過ぎませんので、あまり囚われないでください」
挑発的に促した僕の台詞を軽やかに躱しながら、まるで手品のように掌の上に重ねたカードをシャッフルするガブリエル。
それから案外、無造作な手つきで円卓の上にカードを並べ始めた。
「……タロット? いや、基本二十二枚の生命の木に関連付けれられたものより数が多い。大アルカナも小アルカナも見たことのないカードがある」
一見して古典式タロット占いとは微妙に違うカードを前に困惑する僕。
「さすがですね。これは現代式のタロットよりもさらに古い古い……名もない時代のカードです。ま、現代式の根本、原理に当たるものと考えていただいて結構です」
わずかに自慢げに答えるガブリエルの言葉を額面通り受け取った一同の間に、感嘆したような空気が流れるも、基本的に魔術師や占い師は『自分のは特別だ』『これこそが秘術だ』と、似たような講釈を垂れるのが常道なのを知っている僕と、もともと占いには懐疑的なエドワード第一王子は(意外なことに)さほど感じ入った様子もなく、無機質に淡々とした面持ちで占いの結果を見守っている。
そうしてひと通りカードを並べて、ひとしきり確認していたガブリエルだけれど、やや困惑した面持ちになって戸惑っている様子に気づいて、
「——どうした問題でもあったのか?」
不快に思ったのか、エドワード第一王子が直接そう尋ねた。
「あ、いえ……その、カードの結果によれば、近々皆様方に決断の時が訪れるとあります」
「「「「「「むうう……!」」」」」」
思わず同時に唸り声を発する僕ら。
決断ってアレだよねえ……あれしかないだろうけど、まさか今日メンバーに加えたばかりのガブリエルに、そこまで能天気に教えた馬鹿がいるだろうか?
思わず疑いの目を他の取巻きたちへ向けると、一斉に全員が小さく首を横に振って「違う違う」した。
ふむ。嘘かも知れないけれど、いまのところこの場でバラした奴はいないということか。
そう思ったところで、さらに占いの結果を続けるガブリエル。
「決断は時期を間違えなければ成功するでしょう。ただ……」
「ただ?」
思わずといった風で水を向けるドミニク。
それでもしばし躊躇してから、全員の眼差しに押し切られた形で、しぶしぶとガブリエルは続きを口に出した。
「ただ、問題は我々の中に裏切り者がいる――と、そう占いが示唆している点です」
「「「「「「なっ……!?」」」」」」
思いがけないその言葉に、「馬鹿な‼」そう口にしたドミニクの言葉尻が震えていた。
「——まったくですね」
同意を相槌を打つ僕の心臓がバクバクと高鳴る。
同時に円卓のメンバーたちがお互いを探り合うような目を向けだした。
「……ロラン」
そこでおもむろにエドワード第一王子に声をかけられた僕。思わず椅子から飛び上がりそうになりつつも、どうにか平静を装って、「なんでしょう?」と笑顔で応えることができた。
「俺は占いの類いは信用していない。だが、円卓内に不和があることも確かだ」
「不和、ですか?」
何を言い出すんだこの思い付き王子は? と思いながら聞き返す。
「正直、目に余る……アレを放置しておくというのはな」
「はあ?」
イマイチ何を言いたいのかピンと来ない僕。
「そうか。お前はまだ見ていなかったのか……」
ひとりで納得したエドワード第一王子の視線が、これまでの会話にも入らずに遠慮がちに大きな体を小さくしていたアドルフへと向けられた。
突然の注視に目に見えて狼狽えるアドルフ。
「この建物に入る際に、物陰からこちらを伺っていたショーソンニエル侯爵家の令嬢の姿を」
「ご、誤解です! 私とオデットはもはや無関係も同然で――」
慌てて声を張り上げるアドルフだけれど、ちょうどいいスケープゴートだとばかりドミニクが第一王子の尻馬に乗ってせせら笑う。
「あの執着を見る限りとてもそうは思えませんがねえ」
「それは、あれが勝手に――」
必死に弁明をするアドルフを、僕とガブリエル以外の他の取巻きたちが冷めた目で見据えるのだった。




