少女たちの歌声響く午後(そっちはノータッチ)
豪華なシャンデリアに毛足の長い絨毯、猫足の椅子と机、典雅なキャビネットにちょっとした図書館ほどの本棚と蔵書の数々……公爵家の図書室に相応しい一部屋であるが、風が入らないように窓を閉め切られ、太陽光で紙が変質しないように分厚い天鵞絨のカーテンがもう五日も締め切られたその場は、いまカオスと化していた。
全員が座った眼差しで机に向かたまま黙々とペンやら筆やらを動かしていたが、そのうちのひとり、この中では一番の年上であるアンナ(二十歳)が、座ったままこっくりこっくりと船を漕ぎ出した――刹那、
「――ひゃあああああああああああっ!?!」
スパンッ! という風切り音に、半ば本能的に上半身を仰け反らせた――ほとんどタッチの差で――刹那、一瞬前までアンナの頭があった位置を一条の閃光のようにペンが掠め飛んで行き、スパ~~ン!! と、景気のいい音を立てて木製のキャビネットに突き刺さった。
「――ちっ、外しましたか」
口惜しげに舌打ちをするエレナ。
「って、ちょっと微睡んだだけで殺す気っすか!?」
さすがに気色ばんで憤然と席を立ってエレナに抗議をするアンナであったが、
「……勘違いしてはなりません。私が狙ったのは、いま貴女の瞼にこっそりと眠りの粉を振り撒いていた小妖精に対してです」
そう指さす先を振り返って見てみれば、いましも小脇に眠り薬の入った壺を抱えた小妖精が、大慌てで逃げて行く後姿が目に入った。
ちなみにこの小妖精の尻尾を捕まえると、生涯快眠が約束されるという言い伝えがある。
「――いつの間に……」
仮にも百戦錬磨と謳われる元アナトリア娘子軍の副隊長であった自分が、こうも易々と不覚を取るとは……と、己の不明を詫びるアンナであった。
それから、ふと、エレナの足元になにやら白くてフワフワモコモコしたものがハムのように紐でグルグル巻きになっているのに気付く。
「って、なんですか、それ?」
微妙に動いている、体を広げるとひとひとりをすっぽりと覆えるほどの謎の生き物(?)を前にして、アンナが思わず尋ねると、エレナはこともなげに答えた。
「ああ、さっき私を襲おうとした〈睡魔〉です」
「えっ、いつの間に〈睡魔〉が忍び込んでいたんすか!? つーか、勝ったんですか?!」
どうやらエレナは秘密裏に〈睡魔〉と戦っていたらしい。そして見事に勝った……というか、いま現在〈睡魔〉をふん縛って足蹴にしている。
白昼夢を見た気持ちで戦慄するアンナ(というか実際に夢を見ているのかも?)。
一方、ふたりの騒ぎに脇目も振らず、朦朧とした目でペンを動かしていたエディット嬢であったが、のろのろと顔を上げたところでエレナの足元でモコモコ動いている、フワフワと温かで柔らかそうな〈睡魔〉に気付いて、
「お、おふとん……」
フラフラと立ち上がって吸い寄せられるように〈睡魔〉に抱き付こうとする。
「駄目よ、エディット様! いま寝たら確実に原稿が落ちますわ! あと六頁終わらせれば、あとは好きなだけお休みくださいませっ」
「放してっ! 放してください、ルネ様! もう三日も寝ていないのよ! それも三時間の仮眠だったし!!」
血走った目ではしたなくも取り乱すエディット嬢を、どす黒い隈をまとった目のルネが羽交い絞めにして押し留める。
相手が仕える主家の御令嬢と、国内最大の財閥を従えた伯爵令嬢とあって、エレナもアンナもさすがに手が出せずに、しばし黙って見守るしかなかった。
「ここで妥協すれば、またゲストの原稿や既刊でお茶を濁すことになってしまいますわ。そうなれば各サークルのお姐様方から、また後ろ指を差されることになるのですわよ!」
「――うっ!」
ルネの喝を受けて、禁断症状から錯乱していたエディット嬢の目に光が戻った。
読者も怖いが、はっきりいってこの業界は先輩であるお姐様方との派閥、力関係がもっと怖い。下手なサロンや社交界よりも複雑怪奇で百鬼夜行がまかり通り世界なのだ。
『あら、貴女。見ない顔ですけれど、どのジャンルを嗜んでらっしゃるのかしら?』
『あらあら。表紙は○○だけれど、中身は△△ねえ。これは頂けませんわねえ』
『まあ流行りものに乗るのも一興ですけれど、ポリシーがないというのは……ねえ?』
『まあ枯れ木も山の賑わいですわ。――せいぜい一度か二度の賑やかしでしょうけど』
『ああ、別にいらないわ。この調子なら島のまま消えて、壁になるなんて無理でしょうから』
過去に心を抉ったお姐様方の言葉のナイフが走馬灯のようにふたりの胸を去来する。
「……そ、そうですね。申し訳ありません、少々取り乱しました」
深呼吸をして威儀を正し、カーテシーをして再び席に着くエディット嬢。
彼女が落ち着いたのを確認をして、ルネが音頭を取って提案をした。
「こういう時には歌いましょう! 歌って眠気を覚ますのですわ!!」
「「「お~~~~~~~っ!!」」」
完徹連チャンの変なテンションで、椅子に座ったまま各自が握っていた消しゴムやベタ塗りの道具を掴んだまま両手を挙げる。
「では、皆様がご存じの『小鳥さん』の歌を歌いましょう。――せぇの!」
この国の人間なら誰でも知っている童謡の名前を口に出して、まずはルネが明るく歌声を響かせる。
「つかまえた♪」
「「「つかまえた♪」」」
それに合わせて輪唱をする他の三人。
「さあつかまえた、可愛い小鳥さん♪」
「「「かわいいことりさん♪」」」
「おめめをむしってあげましょう♪」
「「「おめめ、おめめっ!!」」」
「くちばしむしって♪」
「「「くちばし、くちばしっ!!」」」
「あたまをむしろう♪」
「「「あたまをむしろう♪」」」
「あたまっ♪」
「「「あたま、あたまっ!!!」」」
「はねをむしろう♪」
「「「はねをむしろう♪」」」
「はねをっ♪」
「「「はねを、アーーァッ!!!」」」
「「「「アーアーアーアーーーーッ!!!!」」」」
軽快なテンポに合わせて一心不乱に歌いながら、少女たちは黙々と作業を続けるのだった。
◆
今頃、エレナたちは優雅にお茶の時間かなぁ、と思いながら僕たちもサロン付きのメイドが用意してくれたお茶を嗜んでいた。
「――うむ。意外と合うものだなバナナと珈琲も」
僕が持参したバナナを練り込んで、メイドが即興で作ったというマフィンやスコーンに舌鼓を打ちながら、エドワード第一王子が満足そうにコーヒーカップを傾ける。
元をただせばアドリエンヌ嬢からのお下がりなのだけれど、そう口に出したら最後、絶対に口を付けないだろうから言わないけどさ。
ちなみに我が国における貴族社会では紅茶派が主流なのだけれど、クリステル嬢がどちらかと言えば紅茶や白茶よりも珈琲派なので、それに合わせて自然とこのサロンの面子も珈琲派となったのだった。
ま、僕はどちらかといえば紅茶の方が好きなんだけれど。
ガブリエルも特に文句を言うことなく出された珈琲を飲んでいる。どうでもいいけど、いちいち嚥下する仕草が艶めかしいというか妖艶というか……。
「ははははははっ、ロラン様にガブリエル殿。美人がふたりとは眼福ですね~っ。そう思いませんか、アドルフ殿?」
マクシミリアンが空気を読まない発言をして、アドルフに同意を求める。
「そうですねぇ……」
問われたアドルフは困ったように曖昧な笑みを浮かべて言葉を濁した。
こと剣の腕前ではフィルマンを抜いて若手ナンバーワンと謳われるアドルフだが、子爵家という下級貴族である立場もあって、普段からあまり積極的に円卓でも発言をすることはない。
「――ふむ。しかし考えてみれば新顔も入ったことですし、序列も変えた方がよろしいのではないでしょうか?」
そう僕の方を向いて話しかけてくるエストル。
形としては僕に伺いを立てているようだけれど、実際はエドワード第一王子に提案しているのだろう。
きらりとその銀縁眼鏡が輝いた。
「序列?」
そう尋ね返す僕と興味深そうに視線をエストルへ向けるエドワード第一王子。
「ええ。何しろ我らのナンバーⅢであったフィルマン殿が除籍されて、なおかつ数々の失態によって伯爵から男爵へ成り果てた者が、おめおめとナンバーⅡの座に収まっているというのは、いかにも外聞の悪いことですからねぇ」
「……ぐっ……」
嘲笑を浴びて、その当てこすられた当人であるドミニクが机の下で握り拳を丸めて唇を噛んだ。
「ふむ。まあ確かにそれについても考えなくもなかったが。ドミニクとは昔からの仲だ。一度や二度の失態で邪険にすることもあるまい」
鷹揚にそう口に出すエドワード第一王子の言は、一見すると大器の片鱗のようにも感じるけれど、実際のところは王族である彼にとっては、伯爵が男爵になったところでさほどの違いを感じていないだけの鈍感さによるものだろう。
基本的に王族と五公爵家以外の貴族など、彼にとっては『その他大勢』にしか過ぎないのだ。
だからこそ男爵家の庶子であるクリステル嬢に入れあげているわけだけどね。
「――それに“円卓”の理念は、互いに上下関係のない対等な友人であろうというものですからね」
そう一言僕が建前を口に出すと、
「なるほど。その通りですね。私が浅慮でした」
一応納得したふりをして引き下がるエストル。
もっとも徹頭徹尾、ドミニクに向けて冷笑を放っていたところを見ると、『お前はもう俺たちの下だ』との冷然たる事実を、この場で周知して精神的な捲土重来を果たした気持ちなのだろう。
(困った連中だなぁ……)
いままで一枚岩だと思っていた王子の取巻き連中だけれど、ここにきて心なしか不協和音が奏でられるようになった気がする。
それでなくても心労が絶えないというのに……。
そんな僕たちの水面下の遣り取りを、ガブリエルが興味深げに眺めていた。
ちなみにルネたちが歌っている歌の原曲になっているのは、フランス民謡の『ひばり』です。
中身はほぼ原曲を踏襲しています。




