御令嬢の初恋事情(馬に蹴られそう)
「このたびは誠にはしたなくもお見苦しい姿を……いえ、ロラン公子様のお手を煩わせた上、大変な失礼をいたしました。これもわたくしの不徳の致すところ……この一命にかえても償いをいたしますので、どうか、どうかどうか我がショーソンニエル侯爵家には寛大なご配慮をっ!」
前回の気絶から覚めたのが早かったせいか、いままさに変な顔をした(顔の半分で怒って、もう半分で困惑しているような、泣き笑いに近い面妖な表情の)アドリエンヌ嬢に突き上げを喰らっている、その騒ぎで正気を取り戻したオデット嬢(十六歳八ヶ月)は、状況を理解すると同時に、
「!!!」
はっと目を見開いて、デボラ先生が止めるのも聞かずに、転がるようにしてベッドから飛び降りると、同時に膝を床に突いて深々と僕に向かって頭を下げた。
クリーム色に近い栗色の髪がはらりと、飾り気のない淡色のカーペットに落ちる。
およそ侯爵家の御令嬢が行う姿勢ではない。罪人が断罪者に対して罪を償うため平伏す姿勢であった。
呆気に取られる僕たち。
さらにはガチガチと震えながらも言うべき台詞を一気呵成に言い切ったかと思うと、オデット嬢はそのまま懐からスラリと抜き出した護身用の短剣を躊躇いなく自分の細い喉元へと――!
「「「えっ!? ――わああああっ!! やめろ(やめなさい)っ!!!!」」」
あまりの潔さに一瞬止めに入るのが遅れた僕とアドリエンヌ嬢、ルシール嬢。
デボラ先生はオデット嬢の変な行動力に目を剥いて驚いているだけだし、シビルさんは「ほぉ~っ」ちょっと見直したという目で、彼女の覚悟のほどを見守っている。
必死に止めるのも聞かずに、オデット嬢は潔く刃の先を力一杯押し込んだ。
刹那、鈍い音とともにそこそこ磨かれた刃が肉を切り、点々と艶やかな鮮血がカーペットへ滴り落ちる。
「「「……え――?!」」」
「いてて……あ、絨毯を汚してしまった」
ギリギリ短剣を素手でつかみ取った僕の掌から落ちた血が、救護室の絨毯にマダラの染みを作ってしまったのに気付いて、僕は思わず舌打ちをしてしまった。
「ロラン公子っ!!」
「ちょっ、ちょっと大丈夫なのロラン――貴方っ!?」
「まあ大丈夫じゃないの~? 絨毯の心配をしているくらいだし~」
「あー、でも染み抜きが面倒臭いのよね~」
その様子に血相を変えるシビルさんとアドリエンヌ嬢。
一方、このふたりより図太いルシール嬢はシニカルに軽く肩を竦め、部屋の責任者であるデボラ先生は面倒臭そうに(流血沙汰など見慣れているからだろう)汚れた絨毯を確認するのだった。
「……まあこの程度のかすり傷は『妖精女王の癒し』の効果で、半日もしないで跡形なく治るとは思いますけれど」
慌てるふたりを安心させるべく軽く説明を加える。
何しろ剣の稽古で血豆が潰れ骨が折れても、翌日には赤ん坊みたいに再生するくらいに効果が抜群だからねえ(お陰でいつまで経っても見た目筋肉がつかない)。
とはいえ〈剣鬼〉相手にもここまでザックリ斬られた傷はなかったことを思えば、少々気が緩んでいたかも知れない。
そんなことを思いながら、本気で心配しているらしいアドリエンヌ嬢に見えるように、握ったままだった短剣を取り上げて、安全のためにシビルさんに渡してから、刃物を掴んだ右手を開いてみせた。
手相が一本増えた程度で、すでに血も止まって治りかけている僕の右手の具合をためすがめす確認して、ほっと安堵のため息をつくアドリエンヌ嬢。
「――ふ、ふん。女の子みたいに細くて白い手の割にずいぶんと丈夫なのね」
「まあ一応〈勇者〉ですので」
ほっとしながら、ふと思い出したように嫌味を言うアドリエンヌ嬢。わかりやすい女性だなぁ。
なんでこんなお人好しで、貴族とは思えないほど裏表のない相手を悪役令嬢扱いするんだろうエドワード第一王子は?! 馬鹿じゃないの――ああ、馬鹿なんだなぁ……。
いまさらながあ、なんかいろいろと虚しくなってきた。
……いやまあ、アレを甘やかした責任だろうけどさ。でも言い訳をさせてもらえれば、正気を保っていた半年くらい前まではきちんと諫言していたんだよ。
ただクリステル嬢に骨抜きになっていた馬鹿と、次々に籠絡されていった周りが聞く耳がなかっただけで……。
(……で、気が付くと僕もミイラ取りがミイラになってたんだから嗤えないよね)
と、思わず自嘲を込めて嘆息をすると、アドリエンヌ嬢のルビー色の瞳に『言い過ぎたかしら……?』という心配の色が浮かんだ。
そんなわかり易いアドリエンヌ嬢の態度に、ルシール嬢がヘラヘラ笑いながら揶揄を加える。
「心配してんだったら、ちゃんと言ったほうがいいわよぉ、アドリエンヌ~? 貴女そうでなくても、誤解されやすいんだから~」
「べ、別に心配なんてしてないわよ! それも誤解も何もないわっ」
即座に臍を曲げて膨れるアドリエンヌ嬢を、「やれやれ」と言いたげないたわりのある眼差しで見詰めてから、ルシール嬢が形だけ恐縮した呈で僕に向かって軽く膝を曲げて謝罪をする。
「ごめんなさいね~。この子って素直じゃないから~」
「いや、まあ……実際にはずいぶんと心配してくれたのはわかりますから」
そう正直に言うと、アドリエンヌ嬢、ルシール嬢ともに驚いたような表情を浮かべた。
「……ふ、ふん。貴方があまりにも不甲斐ないせいよ」
「……ふ~~ん。やっぱりロラン公子は他の取巻きとはちょっと違うわね~」
「「違う?」」
思わず知らず問い返す僕とアドリエンヌ嬢の声がハモり、反射的に目を合わせた瞬間アドリエンヌ嬢は、ぷいと視線を逸らせた。
これは不快に思ったというよりも照れ隠しなのでは……?
そんな僕の邪推に関係なく、ルシール嬢は面白そうにそんな僕たちの様子をのほほーんとした笑みで値踏みしながら続ける。
「前から思っていたのよ~。もしかして、ひょっとしてだけど~、ロラン公子だけはエドワード王子の取巻きの中で、唯一、一匹……じゃなくて、一人だけギリギリ信用できるんじゃないか、と。で、もしも、義妹のルネさん以外のどなたか御令嬢と、普通に話しているようなら、信用してもいいかなぁ~、と思ってたわけ」
そう言ってウインクをするルシール嬢。口には出さないけれど、どうやら先日のベルナデッド嬢との会話が踏み絵だったらしい。
そして、知らないうちにどうにか合格していたようだ(あと言い直したけれど、彼女の中では第一王子の取巻きの数え方は『匹』なんだ。貴族どころか人間扱いしてないいんだ。と、密かに戦慄する僕であった)。
そんな僕たちの暗にほのめかした会話を前に、「む~~っ!」と、微妙に拗ねた表情になる……けれど、その矜持からツッコミを入れることも出来ずに消化不良を起こしているらしいアドリエンヌ嬢であった。
……それと。言うまでもなく、この間、無言を貫いていたオデット嬢は、
「きゅうううううううううううううう……」
さっき流れた僕の血を見たところで、恒例の卒倒をして目を回していた。
本日三度目の気絶であるが、いい加減に耐性ができたのか、さっきからシビルが背中に活を入れたり、デボラ先生が気付け薬を嗅がせたりをしているのだけれど、一向に目を覚ます気配はない。
それでも精神的な重圧からか、悪夢にうなされているようで、
「――アドルフ様ぁ……う……ううう……」
苦悶の表情で時たま婚約者であるアドルフにすがっている。
「……はあ~。この子もいい加減、不誠実な婚約者のことは見限って、さっさと忘れればいいのに」
その様子にルシール嬢がやり切れないため息をつく。
「そうね。立場的にショーソンニエル侯爵家の寄子でたかだか子爵家でしかないカルバンティエ家から、婚約破棄を申し出られるわけはないんだから、オデットの方から婚約破棄を申し出ないと無理でしょうしね」
アドリエンヌ嬢もそれに同意する。
「そうよね~。そういう意味ではアドリエンヌは悲惨よね~。なにしろ国王陛下が是非にと申し出た縁談だし~。立場上、どんだけ嫌~な相手でも、格下の公爵家から婚約破棄を言い出さすわけにはいかないものねえ。世間も法律も許さないものねぇ」
「まあ、さすがに相手もそのくらいは弁えているでしょうからね」
肩を竦めるアドリエンヌ嬢。
そー思うじゃん?
ところが弁えていないんだなぁ~~っ!!
と、思いっきり暴露したくなる気持ちを押さえる僕。
その衝動に抗し切れなくなった直前、「……アドルフさまぁ……!」という切なげなオデット嬢のうわ言と、場所柄(特に第三者にして本来は宮廷側の人間であるデボラ先生の存在)を思い出して、ギリギリ思いとどまることができた。
「……可哀想に。貴族の娘が初恋の相手と結ばれるなんて滅多にないことですものね。できれば思いを叶えてあげたかったけれど」
痛ましげにそんなオデット嬢の様子を窺いながら、肩を落とすアドリエンヌ嬢。
「しかたないわよ~。恋愛ってのは相手がいてこそ成り立つんだから~。一方的な片思いはただの“恋”よ~。“愛”ってのは相手が応じてくれてこそ成り立つものだし~。それにほらぁ、昔から『初恋は実らない』って言うでしょう?」
そんな彼女をのんびり(達観した?)とした口調で、ルシール嬢が諭す。
「『初恋は実らない』……か。そうね――」
しみじみと同意するアドリエンヌ嬢。ということは彼女にも初恋の相手ってのがいたわけだけど、エドワード第一王子との婚約で夢破れたのかな? と、密かに予想する。
誰が相手か興味はあるけれど、そういうことを根掘り葉掘り聞くものじゃないだろうしね。
なぜか、僕以外の女性陣三人(ルシール嬢、シビルさん、デボラ先生)が、同時に何か悟った表情で、「「「あー……」」」と、妙な顔をしたところを見ると、もしかするとその初恋の相手というのは、案外身近な存在なのかも知れないけど。
「――私のことはいいのよ、私のことは! それよりも早急に何とかすべきはオデットの方よ」
周りの変な雰囲気に居た堪れなくなったのか、アドリエンヌ嬢が唸るように話の矛先を変える。
いや、あなたの恋愛問題こそ最重要なのですが……。
「そうはいってもこればっかりはねえ~? いっそ大々的に失恋でもしたほうがいいんじゃないかしら~」
ルシール嬢も困ったように首を傾げる。
「つまり、えーと、その……例えば、例えばですが、アドルフの口から『クリステル嬢の方が大事だ! オデット、君との婚約破棄を申し出る!』とか言わせればいいわけですか?」
恐々と非常に色々な意味でスレスレの提案を僕がするも、
「だから、常識的にそんなものはできないでしょう!」
「さすがにそこまでとことんバカではないでしょう。そんなことをしたら御家の破滅よ~」
小ばかにするように一笑に付された。
ところがギッチョン、とことんバカなんです!!!
「だいたいこのオデットよ。そんな手酷い裏切りにあったら、どうなるか……」
そう言うアドリエンヌ嬢の視線に促されて、いまだに「アドルフ様~~」と、切なく思い詰めるオデット嬢と、先ほどの突発的に自害しようとした思い込みの強さを思い出して、思わず僕は生唾を飲み込んだ。
「……死ぬわ」
思わず呟いた僕の言葉に、救護室にいた全員が無言で頷いて、同意を示すのだった。
◇
十五分後――。
「とにかく、そっちでもなんとかしなさい!」
というアドリエンヌ嬢の無茶振りと、なぜか知らないけれど「多目に持ってきたのでお裾分け」だという実芭蕉を一抱え持って(持たされたのはシビルさん)、半ば叩きだされるようにして救護室を出た僕は、シビルさんにサロン手前の使用人詰め所に待機してもらい、サロン付きの専属メイドに実芭蕉をお茶請けに使うようにと渡した。
そうして、何事もなかったかのような顔で第一王子のサロンへと顔を出した僕を、出会いがしらに待っていたのは――。
「ロラン、お前ジェレミーの見舞いに行って来い。ただしこっそりと、誰にもわからないようにな」
というエドワード第一王子の掌返しであった
「なん……だと……」
3/4 誤字訂正いたしました。
今週はゴタゴタしているので、更新は3/11(日)頃の予定です。




