正しい御令嬢との遭遇(絶滅危惧種的な)
およそ四日ぶりに夜間戒厳令が解除され、国王陛下から〈剣鬼〉討伐に関してお褒めの言葉と褒章をいただいた僕。
ついでに、責任を取って剣術指南役を辞退した〈剣聖〉エベラルド様の処遇を、保留の間にドサクサ紛れで握り潰せたことに安堵しているっぽかったけれど。
ともかくもそんなわけで、なんだかんだで一週間ぶりに僕は学園へ足を運んだ。
ちなみに送迎の箱馬車に乗っているのは僕と、御者の他はメイド兼護衛である元アナトリア娘子軍の百人隊長だった新任メイド長のシビル・アミのふたりだけである。
シビルさんがなんで本宅のメイドをやっているのかは、実はよくわかっていないのだけれど、まあ確かに護衛としてはこの上なく優秀な人材であろう。
なにしろ個人としても、おそらくだけれど〈剣鬼〉並の強さを誇り(剣技では劣るとしてもそれを覆せる引き出しを持っている)、それに加えて一軍の幹部を務められるだけの視野見識と統率力を持っているのだ。
つまるところ、彼女の強みはおよそ個人としても指揮官としても不足のない、総合的なバランスの良さにあると言っても過言ではないだろう。
今更だけど、なんでこんな人が前の職場をホイホイ辞めて、僕のメイドなんてものになったのだろうか、実に勿体ない話である。
「……私に何か? ロラン様」
僕の視線に気づいたシビルさんが、小首を傾げてそう尋ねた。さらりと彼女のブルネットの髪が揺れる。
動き易いように短めに切られた髪型だけれど、活動的な印象の彼女にはよく似合っていた。
また、きちんと公爵家のメイドという立場を意識して――ある程度の身分の女性は髪を結ったり、ブローチやリボンなどの装飾品で飾り付けるのがマナーである――花を象った髪飾りも付けていて、意外とメイド服との収まりもよい。
もっとも――。
「いや、その……さすがにその両手剣は邪魔なんじゃないかなぁ、と思って」
すぐ傍らに子供の背丈ほどもある無骨な両手剣を立て掛けていなければ……だけど。
「――はあ。お見苦しかったですか? 愛用の剣ですし、使い易いほうが良いかと思ってこれにしたのですが、明日からは通常の中剣と盾にいたします」
武装しないという選択肢は存在しないらしい。さすがは戦闘種族〈アマゾーン〉。
もっとも、『アミ』という姓を持っていることからわかる通り、彼女自身は生粋の〈アマゾーン〉ではなく、元をたどれば結構いいところのお嬢さんだったらしい。
ただ幼い頃からお人形遊びよりもチャンバラの方が大好きで、それが高じて「俺より強い奴に会いに行く」のノリでアナトリア娘子軍の門戸を叩いて、あれよあれよという間に百人隊長。
そして、初めての挫折を経験して部下百人を連れて僕のメイドとなったという……。
なんだろう。途中までの経歴はしごく真っ当なんだけれど、最後の弾け方だけがおかしいと思うんだけど、なぜ僕以外の全員が納得して受け入れているのだろうか? もしかして僕の感性って変なんだろうか?!
「と言うか、明日もシビルが従者として同行するの?」
「……駄目でしょうか? 確かに私如きがロラン様の護衛など烏滸がましい話ではあるのですが……」
途端、しゅんと肩を落とすシビルさん。僕よりも五歳年上で、大人っぽい女性なのだけれど、悄然と項垂れる様は、まるで雨に濡れた仔犬のような落ち込みようである。
「いやいや、そういうことじゃなくて。……えーと、なんでだかルネやエレナ、それにどうしてだかこの間からエディット嬢も屋敷の図書室へ籠ってるよね?」
「ええ、ラスベード伯爵家御令嬢は『ゲスト』だそうです」
「うん、賓客なのは確かだけどさ。学園も始まっているのに、講義にも出ないで何をしてるんだろうなと疑問に思ったからさ。あと、エレナも引っ張り込まれたみたいだし」
「うちのアンナも駆り出されています。そろそろ三日目になる筈ですが」
アンナというのは、シビルさんの副官だった小柄な女性で、僕よりも年上なはずだけど童顔で、僕と同じかそれよりも下に見える女性で、彼女も先日からなぜか本宅のメイドとして働いていた。
「ふ~ん? 何をしているのか聞いていない?」
「……〆切が近いそうです。そのための『合宿』らしいですね」
なぜか決まり悪げに言葉を濁すシビルさん。知っているけどルネに口止めされているってことか。
「締め切り? 学園の教授からレポートでも出てたのかな?」
「~~♪」
そう尋ねると、目を逸らせて口笛を吹くシビルさん。口笛を吹ける女性って何気に初めて見たな(普通は行儀悪いと禁止される)。
「まあいいけどさ」どうやら口を割る気はないようだ。「で、シビルは手伝わなくてもいいの?」
そう尋ねると口笛が止まり、
「……生憎と私は絵心がないもので、最初のベタ塗りの段階で戦力外だと通告されました」
生憎といって口惜しさを装いながらも、なぜか微妙に安堵した口調でそう言いながら、
「そういえば新兵の頃に、延々と穴を掘っては埋めるシゴキを経験しましたけれど、あれはキツかったですね。肉体的な疲労よりも、いつ終わるか分からずぶっ通しで単純作業を来る返す精神的な疲労が」
なぜか思い出したように、遠い目をして付け加えるシビルさん。
……何があるんだろう、あのルネたちが閉じ籠っている部屋の中で?
興味は尽きないけれど、それ以上詮索するなとばかり歯車の音がガチャガチャと忙しなく鳴る。
そんな感じで思いがけなくシビルさんと雑談をしている間に馬車は貴族学園へと到着したのだった。
◆
気は進まないけれど、学園に顔を出した際にはまずはエドワード第一王子のサロンへ顔を出して、王子がいるならご機嫌伺いをするのが通例である。
以前はあの場所に行くことをこの上ない特権だと思い上がり、また結構な頻度で第一王子がクリステル嬢を誘って招き入れていたので、そのことにウキウキと浮かれて足を運んでいたものだけれど、いまとなっては苦痛でしかない。
エドワード第一王子や他の取巻き連中。そしてクリステル嬢に、僕の変質がバレないかといつも戦々恐々としている状況だからね。
針の筵なんてものじゃないよ。
こんな気持ちを理解できる人なんて他にいないだろうなあ……。
と思いながら、故意に遠回りになるように本校舎の裏を通って、サロンのある別館の方へと向かう僕ら。
ま、シビルさんが当然のように両手剣を背中に背負って付いてくるので、なるべく好奇の目にさらされないように人のいない方向を通ったっていうのが真相だけれど。
正直バックレたいけれど、さらに今回はジェレミ―第二王子の件もあり、宮廷内の動きを探る意味もあって、エドワード第一王子の言動に注意しなければいけないので、本当に嫌になるけど顔を出さないという選択肢はないのだ。
で、なぜか途中に食べ終えたバナナの皮が枝にぶら下がっている並木の下を通り(この樹木に野生の猿でも生息していて、誰か餌付けしたんだろうか?)、別館の傍まできたところで、こそこそと木の陰から別館の出入り口を窺う御令嬢の後姿が、思いがけずに視界に入ってくる。
「…………」
熱心、というよりもひたむきな眼差しを注ぐ彼女の姿は、実のところそこそこ見覚えのあるものであった。
「…………」
本人は隠れているつもりでいるみたいだけれど、注意が前方にだけ行っていて、後ろから見れば一目瞭然の結構間抜けな姿である。
セミロングほどの栗色の髪を一部結ってリボンで飾っているだけの、ちょっと見には下級貴族の御令嬢くらいにしか見えない彼女だけれど、れっきとした門閥貴族の一角、ショーソンニエル侯爵家本家の御令嬢だ。
で、王子の取巻きのひとりであるアドルフの幼馴染で許婚であるオデット嬢である。
昔から引っ込み思案であった彼女は、こうしてひっそりとアドルフの様子を窺いに来るのが常だった。
そして、それに気付いたアドルフが照れたような笑みを向け、それに微笑んで返す……そんなお似合いのふたりだったのだけれど。
ここ一年余りは目が合っても一方的にアドルフが無視をする関係となってしまっている。
言うまでもなくアドルフがクリステル嬢に首ったけになったせいであり、
「もう終わった関係」「うざい女だ」
と、以前の彼からは考えられない暴言を、たびたび吹聴している酷さであった。
「…………」
この場合は見なかったフリをするべきだろうな……。
そう思ってそっとその場を後にしようとした僕だけれど――。
「怪しい奴っ! 何者だ!! 何の目的で監視をしていた!? 十数えるうちに答えろ! 十、答えのない場合は抵抗の意志ありと見做して攻撃を加える! 九、まずは両手を上げろ! 八、抵抗する場合は両足の腱を斬って――」
それよりも先に血の気に逸ったシビルさんが、背中から外した両手剣の鞘を放り投げるようにして、肉厚の白刃の先端をオデット嬢に向けて、声高に誰何の咆哮を上げるのが先であった。
「あ、待った! 違う――」
「……っ……!」
僕が慌てて割って入るのと同時に、振り返って自分に向けられた白刃とシビルの殺気を前にして、オデット嬢は恐怖のあまりその場で失神してしまった。
「「あ」」
あまりの呆気なさに同時に気の抜けたような声を漏らす僕とシビルさん。
咄嗟に崩れ落ちそうになったオデット嬢を両手で支えた僕は、蒼白な顔色となってしまった彼女の華やかさには欠けるものの、しっとりと大人しめな顔を(失礼ながら)まじまじと見詰めて、
「――そっか。普通の御令嬢ってこういう嫋やかなものだったんだ」
そう思わず感心して口に出していた。
どうも最近、知り合った貴族の御令嬢や身近な女性が揃いも揃って豪胆というか、豪快というか、とことん一筋縄でいかない方々ばかりだったので、“御令嬢”に対する認識がほとんど怪物に対するようなものになっていたけれど、本来、貴族の御令嬢って氷細工よりも壊れやすい繊細な生き物だったはずなんだよね。
そういう意味では、このオデット嬢は貴族の御令嬢の典型と言えるだろう。
気弱で奥床しくて、ちょっと突けば折れそうな――クリステル嬢はなんか違うと今では思える。だいたい彼女はストレートの髪を伸ばしっ放しの非常識さのまま、推して参ると我が道を行くふてぶてしさがあるし――これぞ、『ザ・御令嬢』ってもんだよね。
なんか感動……っ!!
「……どういう意味でしょうか?」
そんな僕の不用意な一言に、非常に不本意そうな目付きで唇を尖らせながら、落ちていた鞘を拾って再度抜身の剣をしまうシビルさん。
「いや……はははっ、とりあえずどこか休める場所にオデット嬢を連れて行かないと。――非常時のため失礼いたします」
笑って誤魔化しながら、僕は意識のないオデット嬢に一言謝罪をしてから、彼女を抱えて救護室へと向かって小走りに走り出した。
2/27 誤字修正しました。




