〈神剣ベルグランデ〉の真実(無駄なスペック)
「…………」
無言のまま立ち上がる〈剣鬼〉。砕けた膝も手首も何事もなかいように平然とした……というか、そりゃ死んでるんだから痛いも何もないわな、というギクシャクした動きだった。
もともと幽鬼じみていた男だけれど、今度という今度はマジもんの亡者と化したらしい。
眼球自体が闇色の染まった瞳で足元に落ちていたカタナを一瞥。
拾って軽くひと振り――ふた振りするたびに、結構刃こぼれがしてボロボロになっていた刀身に黒い闇色の炎がまとわり憑き、ふた回りは大きく禍々しい妖刀と化した。
「――どう見ても取り憑かれた死者ですね」
「ああ、それも飛びっきり性質の悪いモンにな。おまけに肉体のリミッターが完璧にぶっ壊れてやがる。――見えたか? いまの一振り、俺は同時に七回切り返したのを確認したが……」
「ウォーミングアップでアレでは、本番はもっと手数が増えるでしょうね」
「剣速と膂力が一・五倍に増えたとしてもお前と俺とならどうにか捌けるだろうが、倍になったらやべえかも知れねえな」
『聖剣ゼファーナ』を構えたまま、苦虫を噛み潰したような表情で同意されるエベラルド様。
正直、人が肉体的スペックの限界までリミッターを外したところで高が知れている。
少なくとも一流の戦士や〈影〉ならそれができるのは当然のレベルであるし、そもそもそれを遥かに凌駕する人外の存在を何度も相手した経験も豊富にある。
だいたい素の状態の〈剣鬼〉自体が人間の限界を超えていたしね。
だけど普通はそんな状態がいつまでも続くわけがない。
五分も全開で動けば毛細血管が破裂して、筋肉や靭帯の幾つかは破断するものだけれど……。
「もともと死んでる上に、実際のところはあの得体の知れない“影”が本体だろうから、幾ら肉体がぶっ壊れても無意味というわけですか」
「――ふん。単なる〈屍人〉ってわけじゃなさそうだな。下がっていな、ジーノ!」
取り憑いたのは悪魔か悪霊かはわからないけれど、ここに存在するだけで魂を蝕むような闇の波動を発している。先ほどまで〈剣鬼〉が発していた鬼気が、まだしも心地よく感じるほどの腐ったような嫌な波動だ。
この場に留まるだけで負の感情を喚起させ、呼応して王都中の亡霊や妖霊がどんどん集まってくるのが、僕の菫色の瞳――霊的視覚も併せ持つ『オリオールの瞳』――には明瞭に映った。いや、ここまで実体化していたら、ちょっとした霊能者やもともと生物学的に霊感の強い女性なら自然と感知することができるだろう。
「まさかこの私が足手纏いになるとは……」
戦力外扱いされたジーノが唇を噛み締める。
チリチリと焦げた臭いが漂ってくるのは、ジーノのタキシードに縫い込まれた護符や聖銀が悲鳴を上げている印だろう。
取り憑こうと近寄ってくる悪霊の類いは、手にした小型ソードブレイカー(聖銀合金製)で叩き切っているようだけれど、大本の〈剣鬼〉が放つ妖気には抗しがたいらしい。普段は冷静なジーノの額に汗の玉が流れ落ちるのが見えた。
「……しかたがないね。相性の問題だよ。僕は『妖精王の祝福』があるから大丈夫だけれど」
それとエベラルド様も聖剣の力で闇の力を遮断しているので、この場で平然としていられるけれど、それだって時間の経過とともに押し切られる可能性がある。
実際、先ほど怨霊の本体らしい闇に包み込まれた瞬間、僕でさえギリギリ『妖精王の祝福』と精神力――ほとんど強姦されるも同然の生理的嫌悪感による火事場の馬鹿力――により、どうにかはじき返せたくらいだ。
それさえも、相手が困惑したような躊躇を見せたので成功したようなものだ。
「他の連中はそうはいかねえか」
ちらりと庭のそこかしこに転がったままの『宮廷騎士団』の団員たちを一瞥するエベラルド様。すでに数人が悪霊や妖霊に囲まれている。全員が何らかの護符や聖銀に準じた装備を持っているお陰か、いまだに遠巻きに様子を眺めているだけのようだが、このままでは遠からず憑依されて精気を吸われてしまうだろう。
それと比較的人気が少ない時間帯とはいえ、そろそろ騒ぎに気付いて人も集まってくる頃合いである。
このままでは被害は加速度的に広がるのは目に見えていた。
「ならこの場は僕とエベラルド様に任せて、ジーノは倒れている連中の救護と、周辺に一般人が立ち入らないように包囲を!」
「――承知いたしました」
普通であれば護衛が主人筋である僕を置いて立ち去るとなれば躊躇するところだろうけど、できることできないことを瞬時に判断をして割り切れる〈影〉ならではの合理性で、自分がいては足手まといになると見切りをつけたジーノは一礼をしてその場から風のように消えた。
さすがはジーノだ。これがエレナだったら、余計な屁理屈を並べて面倒なことになったかも知れないけど、話が早い。
今回、エレナを屋敷に置いてきたのは我ながら良い判断だった。『ナイス僕』と、微かに自画自賛したところで、頭の中でキリキリと歯車が抗うような軋んだ音を立てた。
「いってらっしゃいませ。楽しみにしております」
そして、昨日屋敷を出る際に放たれたエレナの思わせぶりな挨拶がふと耳に蘇った。
にわかに湧き起った不安だけれど、そんな葛藤とはお構いなしにエベラルド様が怒鳴りつけるような口調で、
「つーか、俺はともかく坊主はそんな棒っきれでまだやり合うつもりかい?」
そう問い質してくるので我に返った。
「まさか。さすがにこの相手には出し惜しみはしませんよ。〈神剣〉を召喚します!」
「そうこなくっちゃな!」
喝采を叫ぶエベラルド様と、心なしか〈神剣〉という言葉に反応をして、死んだ目を向けてくる〈剣鬼〉。
「ただ、召喚までに若干、時間がかかりますので」
「俺が時間稼ぎをしろってか? ふん――っ!!」
打てば響く調子で、言い放つと同時に一気に〈剣鬼〉に詰め寄るエベラルド様。
対抗して迎え撃つ〈剣鬼〉の体が分裂――凄まじい速度による残像だ――し、さらにそこから一呼吸で十三撃にも及ぶ斬撃が繰り出される。
ギン! と鋼と鋼が打ち合う音が幾重にも奏でられ、〈剣鬼〉の体のそこかしこが切り裂かれて、残像がエベラルド様の右手側ひとつになった。
「…………」
「ふん。痛くも痒くもねえって面だな」
面白くもなさそうに舌打ちしたエベラルド様。微かに手足に切り傷が散見できる。
スピードと手数では〈剣鬼〉の方が上だけれど、老練な見切りと見た目に反して『ぬらり』と、変幻自在に動くエベラルド様独自の剣技の成果である。
「いまのところは互角だが……」
このままのマラソン勝負となれば、遠からず生身で老齢のエベラルド様の方が先に疲労困憊するのは火を見るより明らかだ。
「だが、まだまだ亡者如きに負ける俺じゃねえぜ。目の前の孫の嫁と曾孫の顔を見るまでは――なっ!!」
「だから、変な死亡フラグを立てないでください! つーか、嫁にも行きませんし生みませんよっ!」
視線で僕を急き立てながら、さらに〈剣鬼〉と火花を散らせるエベラルド様。
思わず突っ込みを入れる僕だけれど、勿論、その間僕もぼけっと傍観していたわけじゃない。
〈神剣ベルグランデ〉を召喚すべく、大至急呼びかけを行っていたのだ。
「“神剣よ”」以下略、と行きたいけどアレは勿体ぶって登場するのが好きなので、このあたり様式美を踏まなければならないのが面倒なところだ。「“神が鍛えし神剣よ。すべての魔を討ち滅ぼし、天と地を分けし偉大なる神剣よ。ロラン・ヴァレリー・オリオールの名において汝を召喚す! 来たれ、〈神剣ベルグランデ〉っ!”」
僕の言霊に即応する形で、眩い神光が乱舞して、ひとつの巨大な剣の形を作る。
『ぐぅ~~~っ!』
低級霊の類いはこの神光だけで霧か霞のように霧散したのだけれど、〈剣鬼〉という憑代を得て実体化した怨霊だけは、不快げに唸り声を放ちながら僕から距離を置いただけである。
「つーか、前から思ってるんだが、そんなデカい剣じゃドラゴンや魔族相手ならともかく、人型相手には邪魔じゃねえのかい?」
さすがは〈剣聖〉。〈剣鬼〉の猛攻をしのぎ切って、一息ついたエベラルド様は、僕が両手で抱える超巨大重量を誇る〈神剣ベルグランデ〉を前にして、当然と言えば当然の疑問を口に出した。
まあ実際その通りではあるんだよね。
こんだけの長さと重量のある剣なんて、軌道が見え見えだし隙も多いので対人戦では邪魔以外のなにものでもない。
「いや、まあこのまま使ってもいいんですけど、それだと威力が半端ないので、今回は最小限に絞って使うことにしますね」
そう言うと怪訝な表情を浮かべるエベラルド様。
そういえば実際に僕が〈ベルグランデ〉を使っている姿を見たことあるのって、ジーノと大神官、他は〈魔王〉くらいなものだったね(他は全員昇天している)。
「お見せしましょう。なぜこの〈ベルグランデ〉が『個にして全』『全にして個』『最初にして最期』『最期にして最初』と呼ばれるのか、その意味を」
僕は〈ベルグランデ〉の柄を握った姿勢で、再度必要な言霊を唱えた。
「――神剣“解放”」
途端、一度収まった神光が再び高まり、〈ベルグランデ〉が僕の手から飛び出して細かな部品へと分かれて浮遊する。
「おいっ、そいつはまさか――!?」
部品――否、すべて光り輝く神器である様々な種類の剣(スタンダードな直剣から曲刀、エストック、スティレット等など)や槍、戦斧、金剛杵、果ては暗器や弓の類いまである――〈神剣》が、ぴったり百個その場に鎮座していたのだ。
エベラルド様が目を剥くのも当然と言えば当然である。
「これが〈神剣ベルグランデ〉の正体。有史以来、この世に顕れたすべての〈神剣〉が一堂に会して、一つの形となったのが〈ベルグランデ〉の真の姿というわけです。つまり――」
僕はそのうちの一振り。〈剣鬼〉の持つカタナとよく似た形状の片刃の剣を招き寄せた。
〈神剣・鬼切丸〉
思えば〈剣鬼〉を相手にするのにこれ以上適切な〈神剣〉もないだろう。
『ぐおおおおおっ、ロラ……ロレーナっ!』
その瞬間、追い詰められた獣のような咆哮とともに〈剣鬼〉が、手にした妖刀を振り翳して僕に向かって飛び掛かってきた。
凄まじい跳躍力であり速度である。
下手をすれば音速近くまで出ていたかも知れない。
けれど――。
「――つまり、僕を相手にするのは百人の〈神剣の勇者〉を相手にするのと同じだってことなんですよ」
迎え撃つ僕の〈神剣・鬼切丸〉は、ひと薙ぎで〈剣鬼〉の持つ妖刀を枯れ枝のように両断して、その勢いのまま〈剣鬼〉をその身に宿った闇ごと一刀のもとに斬り伏せるのだった。
『怨、お、おぉぉぉ……』
得体の知れない闇が断末魔の悲鳴をあげて消え去り、後にはどことなく満足そうな表情で転がる〈剣鬼〉の遺体だけが残された。
「……結局、本名はわからないままでしたね」
奇しくも本人が言ったように墓碑銘は刻まれないままで終わるだろう。
彼の遺体へ黙祷を捧げながら、僕は運びやすいように〈神剣ベルグランデ〉を元の形状へと結合させる。
「――はっ! 名無しで十分だろうぜ。まあだが、天下の〈剣聖〉様と〈神剣〉を抜いた〈神剣の勇者〉様と遣り合った結果なんだ。剣士としちゃ、いい散り際だったと思うぜ」
聖剣でポンポンと肩を叩きながら、エベラルド様は言い放つ。
「……そんなもんですかね?」
「そんなもんさ」
気休めだか本気なのだかわからないエベラルド様の台詞に、僕は嘆息しながら相槌を打つしかなかった。
何はともあれ、ベルナデット嬢のお願いに端を発した騒動は、ひとつの区切りをつけることができたのだった。
もっとも〈剣鬼〉が死んだことで、再びオットマーの偽物に関する手がかりも途切れたわけだけれど……。
(そのあたりはジーノたちに探索をお願いしよう……)
と、その時はそう思った僕だった。
けど、翌日、大神殿へ〈ベルグランデ〉を戻して、王宮へ報告書を上げて屋敷へ戻った僕は、正面玄関に土下座で僕を出迎えた三人のメイドと、その理由を聞いて色々な意味で仰天して、ひっくり返ることになったのだった。
感想にもご指摘がありましたが、某金ぴか王のように神剣を飛ばして攻撃することも可能です。
もっともアレと違って、水平方向ではなく『神罰』垂直に頭上から一斉に神剣の権能を解放させて、稲妻のように降らす形になります。技名は《ヘブンズ・バニッシャー》と言ったりします。




