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偽令嬢のオトリ捜査(血に飢えた乙女たち)

 その日、朝靄の立ち込める早朝から、首都アエテルニタ第一区の中でも屈指の豪邸――王家を含めたこの国の門閥貴族の中でも名門中の名門、上級貴族としては三本の指に入るであろうオリオール公爵本宗家の王都本邸――の正門が開き、一際目立つ栗毛二頭立ての白を基調とした瀟洒な高級馬車(キャリッジ)が、蹄の音も高らかに人通もない大通りへと繰り出した。


 ちなみに高級馬車(キャリッジ)というのは、二頭立て四人乗りの馬車であり、見掛けの優美さと併せてソファやスプリング、サスペンションも装備された代物――要するにお伽噺に出てくるお姫様が乗っているカボチャの馬車――のことを指す。持っているだけでステータスという代物である。


 時間が時間だけに通りを歩く人っ子一人見当たらず――また、最近は王都を騒がす殺人鬼によって物騒になり、夜間外出禁止令が出ていることもあって、連日連夜どこかで必ず行われていた夜会なども自然自粛ムードになっているため――閑散とした通りを足早に通り過ぎ、何の障害もないまま馬車は第一区と貴族街のある第二区以下第九区とを隔てる通用門へと早々に到着するのだった。


「――っ。止まれ!」


 馬車に気付いた門を守る衛士たち。

 馬車の側面に描かれたオリオール公爵家の家紋を前に、気後れした様子で形式的に制止の合図を送りながらも、職務に忠実に従って正門の裏面(・・)を守っていた歩哨のふたりが、手にした長槍を交差させてゆく手を遮る。


(――糞っ。こんな早朝から五公爵家のお出ましたぁ、ツイてない……)


 内心で毒づきながらも表面上は平静な顔で、ゆっくりと減速してきた馬車に近づくふたり。

 実際のところ、彼ら衛兵の役目はどちらかといえば表側(・・)――外部から第一区内部に入る者や物品のチェックが主な業務であった。

 広義には外宮の一種と言える第一区。いわば天上人たちの住まう別天地を守るための最後の砦ある正面ゲート。

 七つの尖塔を抱える優美な王宮と三千年前から変わらぬ生態系の自然公園を擁する第一区。そこの保安安全上の観点から、外部からの訪問者や物品には執拗な――それこそ複数の魔道具を使ったチェックや目視と魔術、訓練された犬を使った何重ものセキュリティを通して内部への侵入を許す――ものの、こうして内側から外へ出かける相手に対しては、実のところほとんどノーチェックであるのがこれまでの慣例であったのだ。


 だが、夜間外出禁止令などと併せて枢密院からのお達しにより、ゲートを通過する者はたとえそれが王族であろうとも、外出の際にはその目的と全員の姓名、時刻だけは確実に確認するようにとの指示が出されている。

 そのため名目上のこととはいえ、上級貴族の家紋がこれ見よがしに描かれた馬車であっても、これまでのように黙って見過ごすわけにはいかないのだった。


 とはいえ相手は自分たちなど痩せた野良犬ぐらいにしか見ていない上級貴族様である。


 普段なら御者が馬車の側面に描かれた家紋を顎でしゃくって見せて、横柄な態度でそのまま無言で通り過ぎるのが当然……と思っている連中のこと。

 ちょっとした質疑応答であっても、その手間を惜しんで……とかく偉い人間というのは、爪先ひとつでも余計な仕事を挟まれると、自分たちの持つ特権が侵害されたと考えて激高するものである。

「たかが衛兵風情が我が家の面子を潰すつもりか!?」

 と、いくら道理を説いても聞く耳を持たず烈火のごとくまくし立てる連中相手に、ここ数日は衛士たちの誰も彼もが胃の痛くなる毎日を送っていた。


 まして、今回の相手は王族にも準じる超高位貴族のオリオール公爵家である。

 できれば見なかったフリをしてこのまま素通りさせてしまいたいところであるが、それをやって万が一にも相手が事件・事故に巻き込まれたら、責任問題となり確実に自分たち――のみならず関係者と一族郎党の――首が飛ぶ。

 そのため理不尽だと心の底から恨めしく思いながら、上官の命令に従って、謂れのない叱責を受けねばならないのだった。


(こんな時間に外出するなんて訳ありに決まっている……)

(目的とか聞いたら絶対にキーキー逆上して大騒ぎするだろうなァ……)


 げんなりしながら、目前に止まった高級馬車(キャリッジ)へ向かって、重い足取りで向かうふたりの衛士。その背中を物音に気付いて詰め所から出てきた同僚たちが、同情と安堵(特にあと三十分ほどで交代予定だった衛士は、自分たちが貧乏籤を引かなかった幸運に対して神に感謝しながら)の目で見送る。


「――失礼。貴殿のお名前と同乗者の姓名。どのような目的で外出されるのかお聞かせ願えますか?」

 衛士のうちやや年長の青年が御者の若者へと問いかけた。


 問われた黒服の御者は、目深に被っていたソフト帽のツバを持ち上げ、

「……早朝からご苦労様です」

 意外なほどにこやかに対応する彼――いや、よくよく見れば二十代前半と思える男装の麗人。


 動きやすいように短めにバッサリ切られた髪がいささか勿体ない。どこぞの貴族の令嬢といっても通じる硬質の美貌をした彼女は、座ったまま腰を捻って高級馬車(キャリッジ)に座るふたりの女性に視線をやった。


 つられて見れば、開放的な窓から覗けるそこには、臙脂を基調とした高価な化粧服(ぺニョワール)(ウールやカシミアなど高級生地を使った普段着のドレスのこと。ただし着るのは午前中のみ)を纏った、貴族らしい十六~十七歳ほどの金髪の御令嬢と、お付きらしい紺のワンピースに白のフリル付きエプロン、白のヘッドドレス姿の黒髪の娘の姿があった。


(――こんな時間に女性ばかりでどこへ?)

 当然、不審に思う衛士たちであったが、何しろ相手は雲の上の存在である。重ねて疑問を口に出すような無粋な真似をすれば、確実に怒りを買うだろう。

(どうする? もう一度確認するか?)


 嫌々アイコンタクトを取るふたりに向かって、御者の男装の麗人がにこやかに告げる。


「乗っておられるのはオリオール家の分家筋に当たるミラネス子爵家のご息女であらせられるロレーナ・ヴァネッサ・ミラネスお嬢様と、その護衛役でもあるメイドのエレナ・クヮリヤート。そして御者の私シルヴァの三名です。目的は郊外にあるオリオール家の別荘での静養目的です」


 淀みのない口調でそう必要事項を答えられ、ふたりの衛士はほっと安堵のため息を漏らした。

 どうも上級貴族というものは居丈高に出るものだと頭から思い込んで身構えていたが、考えてみればオリオール家に関係する家門の人間に無体なことをされたり言われたなどと噂にも聞いたことはない。

 それを示すかのように、フカフカの馬車用ソファに座った金髪のなかなか可愛らしい顔立ちをした御令嬢が、軽くふたりに向かって目礼をした。


 反射的に直立不動になって敬礼をするふたりの衛士。

 それから、

(助かった。当たりクジだったか……)

 ほっと胸を撫で下ろしたふたりだが、そうなると今度は心配が先にたってきた。このご時勢に女性三人で遠乗りなど無謀ではないのか?


「――失礼ですが、情勢が落ち着くまでは第一区から出ないほうが安全ですので、外出はあまりお勧めできません」

「そうです。まして貴女方のようにお美しくか弱い女性ばかりでは……どうしてもというのでしたら、せめて護衛団を付けるべきかと」


 余計なお世話だとは思うが、ついつい老婆心ながら忠告をせずにはいられなかった。

 本気で心配をするふたりの衛士を前に、御者の女性はなぜか逆に上機嫌になり、

「――まあ、か弱いだなんて……おほほほほっ」

「「――ごほん!」」

 なぜか同時に咳払いをする座席に座った御令嬢とメイド。

 途端、ばつが悪そうに首をすくめた御者のシルヴァという麗人は、居住まいと(とろ)けかけていた表情筋を戻して、

「ですが(ちまた)を騒がせている殺人鬼の標的になっているのは、いずれも屈強な殿方ばかりということですので、大仰な護衛は逆に危険と判断してのことです。それに皆様方のお仲間が、市内を巡回して安全を保っていらっしゃるのでしょう? いざとなればそちらに救いを求めますのでご安心ください」


 ここまで自分たち衛士に全幅の信頼を寄せられた上でなおもウダウダ反対するのは、逆にこちらの信頼を、それも美しい女性のそれを裏切ることになる――そう判断したふたりは、せめて市内の警邏部隊に急ぎ通知を出して、それとなく彼女たちに便宜を図れるよう取り計らおうと心に誓いながら、

「――わかりました。シングルナンバーを守る二の門には、こちらから鳩を飛ばして伝令を出しておきますので、お名前だけおっしゃっていただければ問題なく通過できるはずです」

 ここほど厳重ではないが、シングルナンバーと呼ばれる貴族街とその外周にある一般市街へ通過する際にも衛兵によるチェックが行われるはずである。

 その手間を省くのと、まさかとは思うがここから貴族街を抜ける間に何らかのトラブルに巻き込まれて、彼女たちに何かあった場合、即座に対応できるようにと配慮しての衛士の申し出であった。


「何から何まで痛み入ります」

 丁寧に頭を下げるシルヴァと、面白くもなさそうな表情で彼らを一瞥する、黒髪をポニーテールにしたメイド。そしてロレーナ嬢の方はといえば、両手を合わせてまるで信頼を寄せた騎士に思いを寄せる乙女のような、潤んだ瞳で衛士たちに視線を向けてくる。


「お任せください!」

「お気をつけてっ」


 男に生まれ。衛士として、美しくも可憐な姫君に期待されれば発奮しないわけがない。

 すっかり夜勤明けの疲れも吹き飛んだふたりは、仲間に合図を送って正門を開け、馬車が通り過ぎて貴族街の通りを曲がって見えなくなるまで見送ったのだった。

 それから急ぎ伝書鳩を複数飛ばしたのは言うまでもない。一陣の朝の涼風のようなロレーナ嬢の翠色(・・)の瞳を思い出しながら……。


 ◇


 貴族街は第一区ほど危機感がないのか、或いは図太いのか、この時間であっても出歩いている人や馬車、そして酔客や帰宅する夜の商売らしい男女の姿が散見できた。

 そんな街の様子を、ゆっくりと歩みを進める高級馬車(キャリッジ)の車窓から眺めていたロレーナ嬢(・・・・)が、『はあ~~っ』と憂鬱なため息を吐いた。

 

「……ホントにこんな見え見えの罠に引っかかるんですか?」


 彼女――長い金髪のカツラ(ウイッグ)と上等なカシミアのドレスを着せられ、ロレーナ嬢役をやっている『アナトリア娘子軍(じょうしぐん)』の副隊長アンナのぼやきに、御者台に座って馬の轡を取る、彼女の上官である百人隊長シビル・アミが、半分やっかんだような声を掛ける。


「ずいぶんとテンションが低いじゃないの? そんな上等なドレスを着てお姫様役をやれるなんてそうそうないんだから、楽しまなきゃ勿体ないでしょ」


 ちなみに最初に配役を決める際に、ドレス一式を前にウズウズしていたシビル・アミ(二十二歳)であった(まあ、年齢的にダウトということで童顔のアンナが着せ替え人形になったわけだが)。


「いや~、だってこれ誰が見ても明らかに罠ですもん隊長。それに仮に相手が底抜けの馬鹿で引っかかったとしても、あたしが真っ先に狙われるんですよね? こーんなドレスで立ち回りして万が一にも修復不能になったら、どうやって弁償すればいいのか……」

「心配いりません。どちらにしてもその化粧服(ぺニョワール)は貴女に合わせて仕立て直したものですから、そのまま進呈いたします。危険手当代わりだと思ってください」


 対面の椅子に座っていたエレナが至極当然という口調で一言添える。


「えっ、本当ですか!? やりぃ! さすがオリオール公爵家、太っ腹ですね!!」

「うわっ、いいなぁ! ……あ、いや」

 瞳を輝かせるアンナと、もの欲しげな表情になって、慌てて姿勢を正すシビル。


「この程度はどーということはありません。それよりもさっさと〈剣鬼〉(ソード・デビル)と、ついでにオットマーを見つけてぶっ殺すのです。若君の手を煩わせることなく、我々だけでさっさと朝飯前に事を済ませれば、若君は躍り上がって喜んでくださる筈です」

「なるほど。我らの有能さを示すことで、家柄と見た目が良いだけの令嬢方との差別化を図るつもりですか」

「その通りです。若君を付け狙う泥棒猫……貴族の御令嬢方は数多いますが、いずれもアプローチのしかたを間違っています。家柄や美貌など何の意味もありません――つーか、若君の方が可憐ですから――必要なのは腕力であり実績です」


 エレナの(げき)にうんうんと力いっぱい頷くシビルと、不得要領の面持ちで小首を傾げるアンナ。

 これで話は終わりとばかりまた無言になるエレナに、我慢がならなかったのか小さく腕を上げて質問をする。

「あのー……」

「なんですか?」

「えーと、聞いた話ではロラン様はご自分で〈剣鬼〉(ソード・デビル)と決着をつけたがっているとか。ご不在なのをいいことにあたしたちが出しゃばったら、逆にご不快に思われるのでは……?」


 ちなみに現在、ロランは王命により〈剣聖〉エベラルドに翻意を促すべく、昨夜からジーノとともに彼の邸宅に出向いて説得に当たってた。

 いわば当人不在をいいことに独壇戦功を行おうというのだから、あとあと問題にならないわけがない。

 アンナの懸念は当然といえば当然のものであった――が、

「なぜですか? 自分の手を汚さずに邪魔な敵を排除できるのです。喜びこそすれ不快になど思うわけがないでしょう?」

「そうでしょうそうでしょう。ここで私たちが血の滴る〈剣鬼〉(ソード・デビル)の首を引っ提げて凱旋すれば、ロラン様の覚え目出度くなること確実というものです。それに私個人も最近は血を見ていないので少々物足りなく思っていたところですからねえ、くくくくくっ」


 あ、駄目だ。このふたりに常識は通用しない。てゆーか、隊長に関してはただ単に強い相手と戦って、その首を獲ることで頭が一杯になっている。すでに当初の目的を見失っているわ。

 さり気なく投げナイフや毒物、爆薬の点検をしているエレナの様子を見ても、まともな勝負をする気は一片もない様子だし、かく言う自分の得意技も実は剣よりも一息で三本放てる弓であり、座席の床下には愛用の弓が二張りに矢が七十本ほど詰め込まれている。


 〈剣鬼〉(ソード・デビル)が現れた瞬間、この三人でフルボッコにする。

(――死んだわね、〈剣鬼〉(ソード・デビル)

 どんな達人であろうとも逃れられない理不尽な暴力。その運命を悟ってアンナは瞑目するのだった。

いつの間にか作品のウリが、男の可憐さと美貌、女の豪胆さと腕力になっているような……。

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