剣士ふたり(活人剣と殺人剣)
これでフィルマンの出番は終わりです。
ロランたちを追って五分ほど走ったところで、奥まった庭園の一角にある葉の豊富な針葉樹に囲まれ、緑の壁で周囲と隔てられた袋小路のような形の広場を見つけ、そこでいままさに対峙するロランと三人組のチンピラの姿を見つけ、フィルマンは慌てて従者ふたりに待ったを掛けて、そっと木陰から成り行きを窺うことにした。
いつものように穏便に事を納めようとするロランに対して、チンピラどもの兄貴分が何かしら下卑た言葉を発して威嚇する。
こうした実際の暴力を振るう場において、手を出すよりも先に言葉で相手の出鼻を挫いて、なおかつよりも精神的に優位に立とうとする喧嘩の常套手段であるが、この場合は相手が悪かったとしか言えない。
生憎と連中の口にした物言いが下劣過ぎて、どうやら言っている意味が上級貴族であるロランには通じないらしく、異国人の言葉を聞いたかのようなきょとんとした表情で小首を傾げるのみである。
こんな時であるが、傍で見ていたフィルマンは思わず失笑を漏らしていた。
不幸な行き違いであるが、その態度を舐められたとでも解釈したのか、いきり立ったチンピラどもは一斉に懐の武器を抜いて身構える。
「「――っ!?」」
鈍い刃の輝きが陽光を弾き、フィルマンにつられて木陰から様子を窺っていた従者ふたりが息を呑んだ。
痩せても枯れても騎士家の人間であり、貴族の従者を勤める者達である。目の前で町のチンピラが貴族に対して行おうとしている乱暴狼藉を前に咄嗟に止めようと足を踏み出しかけたそれを、フィルマンは素早く手で制して、そのまま慌てた風もなく三人組の武器と殺気を前にしても、いまだ自然体で佇むロランの挙動に注視するのみである。
兄貴分の手には短剣。ふたりの子分はおのおの両手ナイフと、砂の入ったごつい重量級の革製のブラックジャックが握られている。
対するロランはステッキも席に置いてきたために完全な素手――。
(いや、違う!)
そう思ったフィルマンは目を疑った、両手でまるで剣を握っているかのように構えた――〈神剣の勇者〉の名に相応しく、ロランはいついかなる場合でも盾というものを持たない――その先から、銀色に光るスプーンが半分ほど顔を覗かせていた。
いつの間にかカフェから失敬してきたらしいそれを構える見方によっては滑稽な姿に、チンピラどもの顔色が怒りのあまり赤を通り越して赤黒く染まった。
ブラックジャックが持った子分のひとりが猿のような雄叫びを放ちながら、横薙ぎにその鈍器をロランの顔面目掛けて放つのを物陰から眺めながら、なぜかフィルマンの脳裏にはあの夏の日――王国剣術大会の準決勝からの様子と熱気と――が蘇っていた。
◆
王都剣術大会は予選を経て本選のみが王都の闘技場で行われる。
予選は基本的に犯罪者以外の誰でもが参加できる自由参加枠と、シード権のある招待選手枠とに分かれている。シード選手は予選会準々決勝からの参加であり、それ以外の選手は王都各地に分散された露天型の武道会場――広場の中央に柵で仕切られただけの粗末なもので、その周囲に立ち見の観客が詰め掛け、物売りや売店、そして当然のように賭け事が行われるという按配であった。
ほぼ自由参加の大会のために、毎年腕自慢の自警団の若い衆から本職の剣闘士、騎士、百戦錬磨の冒険者などが入り乱れて、数百人規模が予選会だけで十日から一月(人数と天候によって左右される)あまりかけて行われる。
参加にあたって武器は大会主催者が準備した木剣か木製の盾を使うことを基本としているが、他にもよほど特殊な形状の武器である場合は、安全性を確認した上での持ち込みも許可されていた。
ただし防具については自前のものでの参加となるが、ルールが剣術の試合に則って減点方式(急所に当たった場合は『試合続行不能』とし、その他武器の当たった箇所に応じて減点され、先にポイントがゼロになった方が負けとなる)で行われることから、大多数の参加者が動きを阻害されないように板金鎧など言語道断で、せいぜい革製の胴胃を装着するよう心がけているのが普通であった。
なお、予選・本選ともにいずれもトーナメントによる勝ち抜き戦である。
一昨年は本選へ出場できたものの二回戦で国軍の騎士に敗れたフィルマンもまた、今回のこの大会にかける意気込みは凄まじく、今度こそはと捲土重来を誓って一年間血の滲むような修行を己に科して大会に臨んだのだ。
同じく必勝の態勢で望むアドルフ(前回は準々決勝で敗れている)ともども、破竹の勢いで予選会を突破して、三十二人による本選のトーナメントでも順当に準決勝まで勝ち進んでいた。
先に準決勝を決めたフィルマンは、同じく準決勝を先に決めていたアドルフともども、闘技場の中央――人の腰ほどまである分厚く硬い石畳が、正確に直径三十メトロンほどの円を描く形で造られた試合場を眺めていた。
注目の先はチャンピオンとして予選会を免除になっていたロランが、下馬評通りの強さを発揮して、ここまで危なげなく――三試合のすべての試合時間を合計しても十秒にも満たない、まさに秒殺で、なおかつ一撃を受けることもかすらせることすらなく、逆にすべて一撃で勝ちを収めてきた――その準々決勝の試合が始まろうとしていた。
勝てば(間違いなく勝つだろうが)次の準決勝で、いよいよロランと自分が当たることになる。
目を皿のようにして試合の行方を凝視するフィルマンの視線の先では、ロランの対戦相手である三十歳を過ぎた剣士――王都近郊で道場を開いているという円熟した剣術家――が、落ち着いた物腰で一礼をしているところであった。
「――強いな、相手側は」
「ああ、魔術剣を派手に使ったり、トリッキーな武器を使うわけではない。純粋に強くて根性がある。一番厄介な相手だ」
隣に座るアドルフの感想に、これまで本選で当たった相手――剣に炎を纏いつかせて飛ばしてきたり、暗器と鎖鎌を交互に繰り出してきた変則的な戦い方をする者達――を思い出しながら同意するフィルマン。
ロランの対戦相手は見るからにそういう小手先の小技とは無縁なタイプである。
実際、男は昨年も準決勝に残った強豪で、身長は平均よりもやや高い程度であるものの、肩の太さと胸の厚みは大会に出てきたどの選手よりも二回りは太く、ことに手首の太さは子供の太腿ほどもあるのが印象的であった。
またその手にある木剣も通常のものよりも遥かに太い、丸太のような無骨なもので、もはや剣というよりも重量級の鈍器というべき代物である。あれを相手に正面切っての力比べになれば正直、フィルマンでさえも押し切る自信はないし、実際、その膂力を利用した剛剣でここまで快勝している。
対するロランは誰が見ても細くて、触れれば折れそうなほど嫋やかに見えた。
例えるなら巨大な牡牛と若鹿の戦いと言ったところか……。
「鍔迫り合いに持っていけば或いは相手の勝ちかも知れん。対するロランはスピード重視。捕まえるまでが勝負だろうな」
そう付け加えたフィルマンの言葉が終わるのとほぼ同時に、「――開始っ」の合図があり、それとともに剣士の男は石畳の床を蹴った。
疾い!
その鈍牛のような見かけとは裏腹に(おそらくこれまで速度を温存していたのだろう)、ロランの虚をつく形で一気に距離を殺した男は、そのまま全体重と全腕力と加速度をつけた剛剣を、寸前と変わらぬ位置で構えを取ったままのロラン目掛けて振るった。
横なぐりの颶風のような一撃。
無理だっ、あれではたとえ剣でガードしてもガードごと撃ち抜かれる!
そうフィルマンを含めた闘技場に詰めかけた全員が声にならない悲鳴をあげた刹那、暴風が通り過ぎた後のような音を立てて、剛剣が空を切る音が最上段の席まで聞こえた。
まるで嵐に吹かれる木の葉のように、或いは清流に泳ぐ魚のように、最小限の足運びでこれをいなしたロラン。
相手の目には、当たったと確信した刹那、まるで武器がロランの頭部をすり抜けたように見えたことだろう。
最小限の円の動きから停滞なく最短距離での直線運動へと足運びを変えたロランの神速の一撃が、重量級の武器を振り抜いた体勢のまま立ち尽くす対戦相手の手首に向かって、ゆっくりと……いっそ優しげと言っても良い勢いで振り下ろされた。
その緩やかな一撃を前に、一瞬だけ無骨な対戦相手の口元に余裕の笑みが浮かんだ。
『所詮は貴族のお坊ちゃん剣術だな』
そう言いたげな表情でロランの単なる手打ち……いや、しっぺとしか思えない木剣の一撃を甘んじて受ける岩のような男。
これで多少はポイントが減るだろうがすぐに挽回し……『がああああああああああっ!?!』。
刹那、男の鍛え上げられた手首を中心に全身に凄まじい痺れが走り、思わず握っていた木剣を取り落として、悲鳴を押し殺しながらその場に膝を突き、そのまま白目を剥いてもんどりを打って倒れる対戦相手。
傍目には牽制の軽い一撃にしか思えなかったそれ。
それだけで、あれほど鍛えられていた対戦相手の手首の関節が両方とも脱臼させられていた。そうとフィルマンが知ったのは、男が治療室へ運ばれた後であった。
あの男だったからあの程度で済んだが、もしも自分があれを食らっていたら。脱臼どころか関節ごと粉砕されていたかも知れない。
改めてロランの底知れない実力を知って戦慄するのだった。
そうして気を引き締めなおして、いよいよ準決勝でロランと対峙したフィルマン。
この日のために準備した黒革のハードレザーアーマーに、右手には普通よりも握り拳ひとつ分長い木剣。左手には小型の木製の円形盾を装備している。
ロラン相手には速度重視と割り切って、ひたすらリーチと手数で自分のペースを掴む作戦である。
基本的に盾を持たずに両手持ちで剣を構えるロランよりも、片手で剣を振るう自分の方が早いはず。あとはどれだけ相手の攻撃を受け流して、隙をつけるか……それが勝負の分かれ目だろう。
そのロランは普段と変わらずに、動きやすい半袖のシャツに半ズボン姿で、こにこと親しげな笑みで舞台上に待っていた。
その余裕に苛立ちながら審判の合図で構えを取った――刹那、フィルマンの背筋に凄まじい悪寒が走った。
なぜだ!? と思うよりも先に、対峙するロラン――自分より頭一つ小さく、体重に至っては半分しかない華奢な体――が、突如立ち塞がる山脈のように大きく聳え立って見えた。
本能が最大限の警鐘を鳴らす。
一瞬で夏の暑さも観客の熱気も忘れ、からからに乾いた喉に必死に生唾を飲み込むフィルマン。
これが……これが本気のロラン! これが〈神剣の勇者〉なのか!?
無理だ……。こんなものに勝てる人間がいるわけがない!!
知らず奥歯がカチカチと鳴る音を、フィルマンの耳はどこか他人事のように聞いていた。
正直舐めていた。〈絶対王者〉と呼ばれるロランではあるが、この一年間精進を重ね。軽く手合せするたびに自分がその領域に近づいてきたことを実感し、これなら勝てる……そう確信を抱いていた自分の思い上がりに絶望した。
何が〈黒若獅子〉だ! 何が〈剣聖〉門下の麒麟児だ!
本気を出したロランとの彼我の戦力差に呆然としながらも、開始の合図とともに弾かれたように動けたのは奇蹟に近かった。
必死に放ったフィルマンの突きは、自分でもほれぼれするような軌跡を描いてロランの喉元へと向かう。
それすらロランは余裕を持って躱すが、そこまでは試合開始前に何度も脳裏に描いたシナリオ通りである。ここからが本番。これこそがこの一年掛けて編み出した奥の手だ!
歯を食いしばったフィルマンは全身の筋肉に力を込めて、無理やり体のベクトルを転換させ、突きの姿勢から全身の筋肉とバネを総動員して切っ先を返し、木剣をロランの右胴目掛けて返した。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
〈黒若獅子〉の異名に違わぬ咆哮に続く稲妻の如き黒い閃光。
ほぼ同時にロランの突きが己の鳩尾に向かってくるのを視界の隅に捕らえて、フィルマンは苦笑した。
(まったく……。こっちは全力全開だってのに、全然余裕じゃないか)
同時にぐぐっとくぐもった呻き声が聞こえて――状況からして自分の肺の空気が口から漏れているのだろう――石畳の床から足が勝手に離れる。
空が見えた。
カンカン照りの眩しい空だ。そう感慨を抱く間もなく、もんどりうって石舞台上から弾き飛ばされたフィルマンの長身は、そのまま五メトロンは離れた審判席に頭から突っ込んで、そこで意識が途絶えた。
治療を終えて意識を取り戻したフィルマンが試合場へ戻ってみれば、いままさにロランとアドルフの決勝戦が始まったばかりであった。
傍から見てもアドルフの奴は完全に気を飲まれて手を出しあぐねているようだ。
観客がブーイングを投げ掛け、フィルマンも苛立ちまぎれの叱責をアドルフに送るも、フィルマンはだらだらと脂汗を流して、蛇に射すくめられた蛙のように身動きが取れないでいる。
その様子に困ったような顔でロランが小首を傾げた。
(そういえば師である〈剣聖〉エベラルドがおっしゃっていたな。ロランの剣は活人剣。後の先を取るのを心情としているので、戦意のない相手とは勝負しない……と)
その様子を眺めていたフィルマンの脳裏に、かつて師に聞かせられた言葉が甦る。
それを裏付けるかのように、「試合放棄ならそれでもいいよ?」と、言わんばかりの態度を示すロラン。その一瞬、アドルフの瞳に迷いが浮かんだ。
試合放棄をすれば形としては引き分けとなる。だがその妥協は剣士としての敗北でもある。
「……これまで、か」
そう小さく呟くフィルマン。
だが、そのこう着状態を破ったのは、貴族が陣取る貴賓席の一角から放たれた乙女の声援だった。
時たま学園の修練場で訓練をしていると、ひっそりと物陰に隠れるようにしてアドルフに熱い視線を向ける、窓際の花のような可憐な容姿の御令嬢。
アドルフもまた気付かないフリをしてこっそりと視線を返す……そんな奥床しい関係の恋人同士。
その彼女の精一杯の声援が、怒号渦巻く闘技場の中で奇蹟のように届いた――刹那。一瞬にして迷いを振り切ったアドルフは、堂々と真正面から上段の構えを取って、何のてらいもない渾身の一撃をロランに向けて放った。
『――うん。それでいい』
聞こえるはずもない距離であったが、満面の笑みを浮かべたロランが舞台上で確かにそう言ったのが、治療を終え観戦していたフィルマンの耳にはっきりと聞こえた気がした。
一瞬にしてふたつの影が試合場の中央で交差し、互いに五、六歩距離を置いて位置を変えて再び向かい合ったロランとアドルフ。
その姿勢のまま、また先ほどの焼き直しのようにお互いに構えを取ったまま一歩も動こうとしない。
焦れた観客が再び騒ぎ出したところで、審査委員長を務める王国剣術指南役でありフィルマンの師匠でもある〈剣聖〉エベラルドが壇上に躍り上がって、試合終了と勝者ロランの名を宣言した。
ざわめきが最高潮に達したところで、救護班が壇上に立ち尽くしたまま意識を失っているアドルフの巨躯を数人がかりで運び出し、続いて〈剣聖〉エベラルドは朗々とした声で、彼の額・喉・鳩尾と三箇所が、先ほどの交差の際に同時にロランによって打ち抜かれていたことを宣言する。
途端、不満のざわめきは凄まじい熱狂に変わった。
それは圧倒的な強さを今年も魅せてくれた〈神剣の勇者〉ロランに対するそれであり、また本大会において唯一一撃以上受けてなおかつ倒れなかった挑戦者であるアドルフに対する惜しみない賛辞であった。
一緒になってその大声援に加わっていたフィルマンは、満足そうな顔で運ばれていくアドルフと、いつの間にか貴賓席から降りて甲斐甲斐しく寄り添う御令嬢の姿が消えるまで見送りながら、来年こそは……と、再戦の誓いを新たにした。
◆
ふと気が付くとあの日の焼き直しのように……よほどお粗末であったが、それぞれ重量級の武器、ナイフ二刀流、そして破れかぶれの上段からの短剣の打ち下ろしと、ほぼ同時に放たれた三人組の攻撃を、掠らせもせずスプーン一本で、すべて一撃で急所を打って無効化させたロランは、意識を失って倒れた三人を適当に芝生の上にならべてはそのままに、さっさとこの場に背を向けてカフェに戻りかけている。
小さくなっていくその背中を見詰めながら、フィルマンの脳裏にはまざまざとあの夏の日が甦っていた。
ギラギラと輝く太陽の下、何も考えずに剣を振るっていたあの日――。
血豆が潰れぶっ倒れるまで稽古をしていた日々が無性に懐かしく思えた。
「……帰るぞ」
この場にいることが無性に恥ずかしくなったフィルマンは、そうぶっきら棒に従者ふたりに告げて、そのままマントを翻してロランたちとは反対方向の出口を目指して歩き出す。
久々に師匠の元で鍛え直してもらおうか。なあに、今後なにがあっても剣一本あればどうにかなるさ。
不思議と清々しい気持ちで帰路に就こうとするフィルマン。
そうして美術館の正面からやや離れた裏通りに停めていた馬車に乗り込もうとしたところで、ふと、視界の端にさきほどの挙動不審な中年紳士の姿がまた映った。
うん? 仲間だろうか? どこか陰惨な雰囲気をまとった痩身の男と何やら揉めている様子である。
(何者だ、あの男は?!)
中年男ひとりだけだったら或いは気にもしなかったかも知れない。だが一緒にいる男は、なぜかこうして遠くから眺めているだけでも全身が総毛立つような、強烈な違和感を覚える相手だった。
いまどき珍しく街中で剣らしい大小を腰に下げているとなればなおさらである。
「どうかなしましたか、フィルマン様?」
従者のひとりに聞かれて、フィルマンは馬車に乗りかけていた足を戻した。
「わからん。どうにも嫌な気配を放つ奴がいる。お前たちも念のために武器を持て」
そう言われて怪訝そうな顔をしながらも、言われたとおり馬車に積んでいたお互いの剣を持ってついてくるふたり。
声を掛けるまでもなく、先方はこちらに気付いている様子で、
「――何か御用でしょうか、貴族の若君?」
中年紳士のほうはあくまで腰の低い姿勢で頭を下げるが、どこか取ってつけたような抜け目ない目つきをしている。
(犯罪者。それも軍人崩れだな……)
国内の治安をはかる軍務卿という父親の仕事の関係上、また〈剣聖〉エベラルドの弟子ということで荒事にも慣れているフィルマンは、間近に接して男の正体に気付いた。
それはふたりの従者も同じだったらしく、
「失礼。お名前と住所とご職業をお聞きしてもよろしいかな? 我々は軍務卿であるレーネック伯爵家の者です」
そう慇懃な物腰ながら剣に手をかけて従者で騎士のひとりが尋ねた。
「……レーネック伯爵。その身なりと物腰は、〈剣聖〉エベラルドの弟子で〈黒若獅子〉だったか? ふむ、数も三人と予行練習には丁度いい」
興味なさげに明後日の方を向いていた痩身の男が、『レーネック伯爵家』の名に反応して凄絶な笑みを浮かべてそう言い放った。
「お、おいっ。まさかこんな場所で――!?!」
その言葉に仲間のはずの中年男が慌てふためくも意に介した風もなく、痩身の男はフィルマンの方へ無造作に足を進める。
「なんだ!?」
「無礼者がっ!」
色めきたつ従者ふたりだが、男のその流れるような足さばきを前に、フィルマンの本能が最大限の危険信号を放った。
「はああああああああっ!!」
警告も何もない。
咄嗟にマントを跳ね上げたフィルマンの愛剣が、閃光のような軌道を描いて男の胴を凪ぐのとほとんど同時に、鋼と鋼が打ち合う音が一度だけ路地裏に響き、続いて何か湿ったものを無造作に斬る音が三度続いた。
◆
(……寒い)
もうすぐ夏が来る。また王都剣術大会が始まるというのに、なぜこんなに今日は寒いというのだろう?
夕方になってきたのだろうか。薄暗くなってきた視界の隅で、フィルマンはそうぼんやりと考えていた。
雪でも降っているかのようにしんしんと体が凍えていく。
どんどん薄暗くなってくる暗闇の中で誰かが、
「――ちっ。一撃受けざるを得なかったか。〈神剣の勇者〉はいままで一度も受けに回ったことはないという話だが、まあこちらは玄人相手の三対一だからな……」
不本意そうに吐き捨てながら、遠ざかっていく足音が聞こえた。
ああ、ロランか。あいつは凄い奴だ。だけど今年こそロランに……目にものみせて……。
最期にそう思いながらフィルマンの意識は闇へと沈んでいった。
現在の光景を眺めながら過去を追想する、という手法をとりたかったのですが、わかりにくいというご意見が多かったので後半を書き直しました。




