王都アエテルニタの休日(たまにはこんな余暇)
「今回の事で領内の問題は一掃されたと見ていいわ」
エレナの淹れた珈琲のお代わりを豪快にグビグビとミルクも砂糖もなしに飲みながら、ベルナデット嬢は上機嫌で今回の事件の首尾をまとめる。
「最大のアジトである『ストロベリーフィールズ』はうちの傘下に入って、ついでにダイヤモンド鉱山も転がり込んできた。聞いてるわよ、新しい研磨方法が確立されて今後はダイヤモンドの価格高騰が期待できるそうじゃない?」
「そのようですね」
ルネ経由で既にエディット嬢に返してあるブリリアントカットの指輪を思い出しながら、僕は自分の珈琲に砂糖を足して同意する。基本的に僕はブラックは飲めない。珈琲にはミルクと砂糖が必須――というか、紅茶の方が好きなんだけどね。
ダイヤモンドの話題が出たついでにふと思い出して確認してみた。
「――そういえば偽者のオットマーから、とんでもなく大きなダイヤモンドのネックレスを貰ったというか、ドサクサ紛れに持ってきてしまったのですが、これもラヴァンディエ辺境伯領の資産として返還すべきでしょうか?」
「ああ、なんだか碌でもないいわく付きのネックレスでしょう?」
「まあそうですね。とはいえ〈神剣〉の神光を浴びて、ある程度は浄化されている筈ですが……」
「それでもなんか呪われそうだからいらないわ。もともとイリアコイ大陸の原住民が崇めていた……嘘か本当か知らないけれど、出所も不明だからうちの鉱山から産出したものでもないみたいだし、宝石ってのは知らずに相応しい相手の元に行くものよ。東洋では“縁”って言うのかしら? いいから貰った当人が持ってなさいよ」
「……はあ。そーですか」
さすがは大貴族。飴玉をあげる感覚で、あっさりと所有権を放棄する(単なる厄介払いのような気もするけれど)。
にしても、縁ねえ……。実際のところ渡されたのはロレーナの時だし、僕が貰ってもいいものかどうか。まさかその縁に引き摺られて今後もちょくちょくロレーナの出番があったりしないだろうねえ。すっごく嫌な予感がするんだけれど。
とは言え、そもそもモノが邪神の神器だけに気軽に人にあげたり、砕いて小粒のダイヤモンドにしてお手頃価格で売ったりしたら、今度こそとんでもない呪いを受けそうだ。
ま、いまのところ僕がつけている分には怪しいところはないけれど(少なくとも以前のように意識を支配されるようなことはなくなった)、この手の呪いアイテムは僕の専門外だからね。一度、専門家にでも鑑定してもらったほうが良いかも知れないな。
「まあそれはそれとして」いつの間にか本題を外れていた話を軌道修正するベルナデット嬢。「今回の荒療治のお陰で領内の膿の摘出と治安の回復、ついでに迅速に処理を行ったことで領民の領主家への信頼も回復したわ。
それに対して中央貴族――特に現職の軍務卿であり親族関係になるはずのレーネック伯爵家は一切の支援を行わず、関係のない反乱へ繰り出す始末。このことが将来のあたしの配偶者としてフィルマンで大丈夫なのかという不満と危惧に結びついたことで、領民や血族内での婚約推進派にも楔を打ち込むことに成功したし、さらにはナトゥーラ王国が国内の不逞の輩と手を組んで、うちにちょっかいをかけていた証拠も握れたので、政治的にも万々歳ってところなんだけれど……」
「けれど?」
「どうも資料をもとに調べた限り、ナトゥーラ王国も一枚岩ではない……というか、すでに傀儡政権に取って代わられている節があるのよ」
「傀儡? そこいらの弱小国家ならともかく、それなりの歴史と規模を誇るナトゥーラ王国がですか?」
カチカチと歯車が小刻みに回る。
併せてバラバラになっていた事件のピースを頭の中で埋めてゆく。
考えろ。平原の国であるオルヴィエール統一王国と違って、ナトゥーラ王国は半島と幾つもの島々によって構成される海の民である。そのナトゥーラ王国を屈服させる相手となると……。
「――海洋国家アラゴン交易国?」
「ほぼ正解。ついでにいえばミネラ公国の軍事支援も背景にあるんじゃないかと睨んでいる」
「ミネラ……ですか。あそこは昨年二十歳そこそこの公王が王位についたばかりだったと聞いていますが?」
思わず小首を傾げる。
位置的には大陸の端にあるアラゴン交易国のさらに向こう側。地図上では直線距離では案外近いものの、海路を通るならともかく陸路だと途中に三千メトロンを越える山脈が林立しているため、ほとんど国交のない国という位置づけの国であるため、あまり情報が入ってこないのが実情だった。
「そうね。今度の公王は果断な性格と有名よ。本来は第五王位継承権しかなかった筈が、軍部を掌握して半ばクーデターであっという間に玉座を奪ったのだからたいしたものね。ロラン公子も参考にして……ああ駄目ね。あちらは勇者や魔族や妖精の類いは大嫌いらしいから絶対に気が合わないと思うわ」
「……それはまた心温まる情報をどうも」
どちらかというと僕よりもジェレミー第二王子と馬が合いそうだな、とぼんやり考える。ちなみに現在ジェレミー第二王子は体調を崩して臥せっているらしい。
王家の要請で治癒を行った神殿関係者から伝え聞いた限りでは、高熱で「麗しき君…必ず手に入れ…」とか、意味不明のうわ言を繰り返しているらしい。まあ、いまのところ僕に関わることはないだろう。
それよりも問題なのは――。
「ナトゥーラ王国・ラヴァンディエ辺境伯領ルートはほぼ潰されて梯子を外されたアラゴン交易国の拳の持って行き場ですね。こうなると、可能性が高いのはやはり港湾都市シャンボンの完全占有化でしょうね」
今回の内戦では自分は関係ないとばかりせせら笑っていた、シャンボンの領主であるシャミナード子爵家の直系マクシミリアンのにやけ面を思い出してため息をつく。
あいつも足元に火が着いていたのに全然気付いていないんだろうな~。クリステル嬢に夢中で。
「そこらへんが妥当な線ね。本来なら離宮にお住まいになってらっしゃるナディア姫が、マクシミリアン卿と婚姻を結ぶことでシャンボンをアラゴン交易国へも開放する融和路線が、公王が替わったせいでガラリと変わったわけだから、平和の使者として輿入れする筈だったナディア姫の立場も微妙でしょうね」
ナディア姫の立場を慮ってか、珈琲を飲んで嘆息するベルナデット嬢。
「――なんとかならない、ロラン公子?」
ついでのように水を向けられた。
「とは言っても、さすがに離宮から一歩も出ずに会うこともできないお姫様をどうこうすることはできませんよ」
軽く肩を竦めてそう答えるしかない。
現在、先の王妃である太妃様の元で保護されているナディア姫については、御年十歳でアラゴン交易国の王族の血を引いている……以外ほとんど情報がないも同然である。
確認しようにも、そもそもが離宮自体が男子禁制で、王族であっても太妃様のお誘いがなければ足を踏み入れることが出来ないのだからしかたがない。
とはいえ、マクシミリアンの馬鹿が婚約破棄なんて宣言したら、現在のアラゴン交易国なら嬉々としてこれを口実にシャンボンを軍事的に制圧するだろう。
カチカチと歯車が小刻みに警告するかのように音を刻む。
「問題はナディア姫が現在のミネラ公国及び傀儡政権となっている国許と共同歩調をとっているのか、はたまた対立勢力なのか……最低限そのくらいはわからないと手のうちようがないってことよね」
「まあ、さすがに十歳のナディア姫本人が率先して主導権を握っているわけはないでしょうから、派閥の旗頭として担いでいる連中の立場がどうなのかなのですが」
普通に考えれば十歳の子供がイニシアチブを取れるとは思えない。単なるお人形さんと考えるのが普通だろう。実際、エドワード第一王子がアレで意外と貴族院の支持が高いのは、基本的に阿呆なため……“担ぐ御輿は軽いほうが良い”という理屈から重宝されているというのが実状なのだけれど、さてナディア姫の場合はどうなんだろうか……?
歯車が警戒を促すように、ギシギシと軋む。
「――エレナ。ナディア姫について何か情報はない?」
クヮリヤート一族ならあるいは、と思って尋ねてみたが。
「たいした情報はありませんね。『ナディア・ラケール・イネス。十歳二ヶ月。髪の色はブルネット。瞳の色アーモンド・グリーンともトパーズ色とも言われています。現アラゴン交易国アレクサンテリ国王の父親である先王エルネスティの末子のため溺愛されており、それによって義母兄であるアレクサンテリ国王に疎まれている』といったところでしょうか。
なお、エルネスティは元来蒲柳の質(※体が弱いこと)であり、ことに六年前から病床にあるため、先王とはいえ実権はまったくなく、我が国へ降嫁することになったのも、自国においては身の危険にたびたび遭遇したから……とも言われています。そのせいでしょうか。幾多の暗殺や謀略からも生き延びた、別名『生還王女』とも呼ばれているそうです」
たいした情報はないといいつつ流石はエレナ。なかなか興味深いプロフィールを詳らかにしてくれる。
「『生還王女』ねえ。よほど優秀な〈影〉か護衛がついているってことかしらね?」
「それはそうでしょう。もしも自力で乗り越えてきたとしたら、年齢的経験的によほどの傑物――どころか空恐ろしいほどの鬼才でもなければ無理でしょう」
「興味深い、どちらんしても一筋縄ではいかない相手のようだし、是非にも会ってみたいものね。とはいえ外様のうちでは王宮の奥の奥、太妃様のお膝元へ招待されることはまず無理だろうけど、オリオール家ならどーにかなるんじゃないの?」
「……確かに子供の頃は可愛がられた記憶はありますけど、ここ数年はお目にかかる機会も滅多にないですからねえ」
というか僕が避けている。
どうも太妃様は僕と王族との婚姻を密かに目論んでいたらしく、ロズリーヌ第三王女の暴走の際には最後まで王女を庇って、なんとかなし崩しに結婚へ持ち込もうと画策していた節があるのだ。
理由をつけて会うとなれば、どうしたってその話を蒸し返されざるを得ないだろう。あちらは王家の第三王女。こちらは公爵家の嫡男。家柄は釣り合いが取れるし、彼女自身も華やかな美姫ではあるけれど、何が悲しくてエドワード第一王子をそのまま女性にして、さらに三倍くらいアグレッシブにした相手と一生添い遂げなければならないんだ。断固拒否するっ。
「う~~ん、あとはアドリエンヌの線かな? あの子も結構太妃様に気に入られているらしいから、頼めばナディア姫との顔つなぎもできるかもよ」
「それはそれでハードルが高そうですね。おいそれと理由は話せませんから、ただ興味本位に十歳の他国の姫君と密会を希望する軽佻浮薄な男と思われて、ただでさえ底辺を這っている僕の評価が取り返しのつかないレベルになりそうです」
「だよねえ……」
その後もしばしお互いに意見交換をしたものの、これという妙案も浮かばなかったことから解散という運びになった。
こういう時にルネがいれば頓知を効かせてくれたところだろうけれど、基本的に僕もベルナデット嬢もその手のアドリブは苦手としているのでしかたがない。
それに話を聞く限り、どうも物心つく以前から、大人の悪意や害意にさらされて生きてきたようなお姫様のようだ。そうした外野から護るために太妃様が離宮に庇護されていらっしゃると思えばこそ、無理を押し通すのも申し訳なく思える。
――もっとも、この考えがまったくの的外れで、実態は手におえない猛獣を隔離するのに等しい行為だった、と僕が知ったのはこのちょっと後のことだった。
「ああ、そうそう。折角だから帰りにルネちゃんの顔色を窺ってから戻ることにするわ」
帰りしなそう思いついた様子で付け加えるベルナデット嬢。
ふむ……。僕もこの話し合いが終わったら自宅へ戻ろうかと思っていたけれど、そうなるとベルナデット嬢とはタイミングをずらして帰宅したほうが無難だろうな。
「そうですか。ありがとう、義妹に代わってお礼申し上げます」
「どういたしまして、それでは――」
別れの挨拶をして神殿の小部屋から出て行くベルナデット嬢。
扉の外に控えていた神官がドアボーイよろしく扉を開けて、妙齢の巫女が恭しく聖印を切りながら部屋に入ってきて、ベルナデット嬢の分の茶器を片付け始めた。
「ああ、僕らもそろそろ失礼しますので」
椅子から立ち上がると、無言で頷いてテーブルの上を片付ける彼女。
その間にエレナに手伝って貰って濃紺のコートを纏い帽子を目深に被ってなるべく“オリオールの祝福”である空色の髪が目立たないようにしながら、
「――さて。どうやら二~三時間、帰宅を遅らせたほうが無難なようだけど」問題は――「ここからだと歩いて帰っても一時間くらいで帰れる……となると、何か気分転換を兼ねて街で時間を潰さないとマズイなあ。どこか適当な店とかあるかな?」
「気分転換を兼ねて、時間が潰せる場所ですか?」
「うん。なるべくひと目がない場所の方がいいかな。そういえばエレナって休みの日は何してるの?」
「屋台やビストロで焼肉の食べ歩きしまくってます。いっちょ行きますか?」
「……いや、悪いけどそういう気分ではないので」
乗り気のエレナには悪いけど、フードファイトしたい気分ではないのでやんわりとお断りする。
「あの――」
それまで無言でテーブルを片付けていた巫女の女性が、おずおずと話しかけてきた。
「よろしければレオカディオ美術館で、印象画の巨匠ルイス・ミジャンの展示会が開催中で、その……友人の伝手で招待券を貰ったのですが、私はあまり興味がないのでよろしければ〈勇者〉様にぜひ」
そういって目の前に差し出される二枚の招待券。
「ルイス・ミジャンですか! 大好きな宮廷画家ですが……ですがいただいてもよろしいのですか?」
「は、はい! どうせ余りものですから。遠慮なさらないでください!!」
瞳をキラキラさせて、さあどうぞと目前へ差し出された招待券を、半ば勢いで受け取る僕。
大人しい人かと思った巫女さんだけれど、思いのほか元気な人だった。
「――ごほんっ!」
その騒ぎが聞こえたのだろう、扉の向こう側から厳格そうな中年神官の咳払いが聞こえた。
あ、やべっ、という顔で片付けの終わった茶器やナプキンをティーワゴンに積んで、無言に戻った巫女さんは、一礼をしてそそくさと部屋から退室する。
残された僕らは渡された招待券を前にして、
「焼肉には行かないのですか?」
「うん。ちょうど美術館で心行くまで美術の鑑賞をしたいと思っていたところだからね」
未練たらたらで焼肉食い倒れ押しをするエレナに、そう答えるのだった。
◆
「ここでいいわ。じっくりと堪能したいから、私が戻るまでここで待っていること。いいわね」
「ですが、アドリエンヌお嬢様……」
懸念を示すお付きのメイドに念を押して、アドリエンヌはさっさと馬車を降りた。
目の前には近代建築の粋をあわせたレオカディオ美術館の洗練された本館がある。特徴的な建物は王都の名物のひとつで、特に中央に聳え立つ尖塔は周囲を一望できる展望が自慢である。
幸いというか、珍しく急な休みを申請したソフィアの代わりのメイドでは、アドリエンヌの命令を無視して強引に着いてくるなどということはできないだろう。
なおも追い縋ろうとするメイドを強引に振り切って、比較的ラフなお忍びの格好をしたアドリエンヌは、ヒールの音も高らかに玄関に至る階段を昇る。
「だいたい、目と鼻の先にある美術館に入ってくるだけなんだから、心配しすぎなのよね」
ひとりごちながら、お目当てのルイス・ミジャンの真筆を心行くまで堪能しよう。ついでに尖塔へも登ろうと、アドリエンヌは弾む足取りで玄関をくぐったのだった。
次回更新は1/13(土)頃の予定です。




