竜頭蛇尾な結果(バカモン、そいつがオットマーだ!)
オットマーが開け放していったドアを抜けた先に広がっていたのは、五メトロンほどの廊下で、その突き当りの扉を開けたところにあったのは、見覚えのある応接室だった。
趣味の悪い成金部屋だと思っていたけれど、隣の悪趣味極まりない寝室に比べればまだまし……と思えるのは、僕の感覚が麻痺しかけてるのかも知れない。
……王都へ帰ったら美術館巡りをしよう。そう切実に思った。
それはそれとして、応接室へと飛び込んだ僕たちの目に即座に飛び込んできたのは、乱雑に机や椅子が蹴り倒され、家具が散乱する部屋の中央に膝を突いて蹲っているヨータ少年の背中であった。
「くう……」
押し殺した呻き声と足元に転がる鶴嘴を確認した瞬間、
「ヨータっ!?」
慌てて駆け寄って見れば、こめかみの辺りを強く殴られたようで血のにじむそこを両手で押さえたヨータ少年が、のろのろと顔を上げて悔しげに歯軋りをする。
「……ねえちゃん? ごめん。野郎に追いついて一発ぶん殴ろうとしたら、振り返ったんだけど……あの野郎、死んだ親父そっくりの顔に化けやがった」
咄嗟の事で度肝を抜かれたヨータ少年を殴り倒し、応接室にあった金目の物をポケットに詰めていたところで、僕たちの足音を聞いて慌てて逃げていったらしい。
「クソッ! あいつが顔を変えられるのを知っていたのに、このザマなんて!」
自責の念に駆られているヨータ少年だけれど、無鉄砲に飛び出した少年の身を心配していたこっちにしてみれば、まだこの程度で済んで御の字といったところだ。
「無理をしてはいけないよ。勇敢なのと蛮勇なのは別なのだからね」
そう嗜めながら手持ちのハンカチでヨータ少年の傷を押さえる。
「見たところ単なる打撲みたいだけれど、頭の怪我は後になって酷くなることがあるからね。しばらくは様子を見て、可能なら医者か神官に診せたほうがいいんだけれど……こらこら、動かないの。これで怪我のところを押さえてて」
「ああ、そんなら伯爵家のほうでこの一件が終わったら手配しときます。捜査の協力者ということで名目を立てて」
トリニダードがそう気を利かせて申し出てくれた。
「い、いいよっ。医者とか神官とかに診てもらったら目玉が飛び出るくらいの金がかかるんだろう? とてもおいらに払えるわけないし。あとこんな高そうなハンカチ汚したら悪いから、返すよねえちゃん」
「駄目っ。ちゃんと押さえておくこと。ハンカチなんて洗って返せばいいんだからね」
そう念の押してヨータ少年の手にハンカチを強引に握らせる。ま、ハンカチ程度はこのままあげるつもりなんだけれど、遠慮するのが目に見えているし、貴族であることをひけらかすような行為なので口には出さない。なし崩しにしてしまおうという考えからだった。
……まさかこれが後に自分の黒歴史を世間に知らしめる墓穴を掘った布石になったとは、この時の僕は想像もしなかったけれど。うわ~~っ、なにが『ヒロインはまさに少年期の憧れ、聖母の象徴である(by:ヨウタ・カトー氏著『ひと夏の出会い』の評)』だ、こんちくしょう!
「そうそう。金については気にするな。それか、どうしても気がすまないってんなら、無利子無担保にしとくんで、将来の出世払いで構わんで~」
トリニダードも僕の意を汲んでそう気楽にヨータ少年に告げる。
そう言われてしばし小考していたヨータ少年だけれど、
「……わかった。俺、絶対に偉くなってこのハンカチと金は返すよ。だからロレーナ姉ちゃん、絶対に俺の事を忘れないでくれよな!」
「あ、うん。楽しみにしているよ」
決意に燃えた少年の言葉に、適当に返事をする。そんな僕の背後では、ルネがトリニダードの袖を引っ張って声高に、
「告白ですわ! ついに初恋を自覚した少年の告白ですわっ。さっきの脂ぎった中年は論外ですが、真剣な眼差しの年下の少年とか美味しいポジションではありませんか! 何となくお義姉様って年下の男の子から今後も熱烈なアプローチを受ける気が致しますわね」
無責任に囃し立てているなあ……と思ったけれど、これが後にまさかの相手である年下からの執拗な直結行為に結びつくとは、この時ロレーナ嬢であった僕は思いもしなかった。
とりあえず傷を押さえたヨータ少年を連れてやたら人気がない屋敷の中を小走りに走り、順に玄関を抜けた僕、ヨータ少年、ルネ、トリニダードの四人。
途端に全員の双眸に飛び込んできたのは、もとはこの町の支配者たちがこぞって軒を連ねていた成金屋敷……のなれの果てと、まだ残っている建物を踏みつけ薙ぎ払う巨大な黒竜の姿であった。
「――おや? 皆様ご無事で何よりです」
先に庭に出ていたらしいエレナが僕らに気付いて近寄ってきた。
「な…な……な…な……」
常識外の惨状に声もないヨータ少年。
「なんで暴れているの、ブリンゲルト?」
割と日常的にこの程度は見慣れている僕は、意気揚々と暴れている【暗黒魔竜ブリンゲルト】を指差して、状況を把握しているらしいエレナに確認する。
「簡単に言えば、厩舎に連れて行った奴隷の彼女たちが、人目がないと思って切々と自分たちの惨状や、この町の支配者の悪行をばらし、義憤に駆られたブリンゲルトが彼女たちの『隷属の首輪』を噛み千切り、ついでに同じような境遇の娘たちを助けたついでに、ひと暴れしているといったところです。いちおうフェミニストを自称していますから、あのドラゴンは」
「単なる欲求不満のウサ晴らしのようにも見えるけど」
何が『いまや平穏な生活を望む菜食主義者じゃよ』だ、あの暗黒魔竜は! 嬉々として破壊活動を行っているじゃないか。
「ですがまあ、壊しているのはこちら側だけですし、炎のブレスも吐いていないので、まだしも自制している部類なのではありませんか?」
ルネが取り成すけれど、なんでこうおおらかというか、他人事にかけては大雑把なんだろうねうちの義妹は。
「そうですね。ブリンゲルトも向かってくる相手には容赦しませんが、逃げる連中までは追撃しないようですし。そういえばさっき、金目のものを全身にジャラジャラぶら下げた使用人らしい男が逃げていきましたけど、あれって火事場泥棒でしょうかね」
「「「「!!!」」」」
「それってオットマーだったんじゃないの!?」
「? いえ、違いますよ。三十歳代半ばほどの平凡な顔の男でしたよ」
違うっ! そいつがオットマーだったの!!
「……まんまと取り逃がしたわけですか」
慙愧の念に堪えないとばかり渋面を浮かべるルネ。
「ま、仕方ありませんわ。それに不正の証拠や他国や国内のアジトの目星はついたんですから、組織を壊滅させることは可能でしょう」
床下に隠してあった証拠の入っている草臥れたショルダーバッグを叩いて、トリニダードがそんなルネを慰める。
ヨータ少年のリャパウン人であった父親が遺してくれた不正の証拠はかなり綿密で、組織の全体像を知る上でも、また他国から支援等を受けていた物証も十分なほど揃っていた。
「証拠といえば、証人としてヤードックと護衛の兄弟を確保してありますけれど」
「本当ですの、エレナ!?」
「ええ。台所に連れて行かされる……と思ったら使われていない部屋に案内され、程なくヤードックと兄弟の片割れもやってきて襲ってきたので、ちょっとお灸を据えて亀さん縛りにしてあの辺りに放置――」
エレナが指差した先の屋敷の別棟が、飛んできた瓦礫の下敷きになって一瞬でぺしゃんこになった。
「「「「「…………」」」」」
証人消滅。
「『竜頭蛇尾』とはまさにこのことですわね。お義姉様、そろそろあの駄竜を止めないと収拾がつかないのではありませんか?」
口調は丁寧だけれど確実に怒っているなぁ、と明白なルネに促されて、
「そうだね。それにそろそろ帰らないと周りから不審に思われるだろうしね」
ここでやることは済んだし、後始末は(悪いけれど)トリニダードに任せてさっさと僕たちは撤退することにした。
「ねえちゃんっ、もしかして行っちまうのか!?」
そんな僕らの空気を敏感に察したのだろう、ヨータ少年がすがるような目で一歩前に出てきた。
「うん。ごめんね。こっちにも色々と都合があってね、あまり長居はできないので、さよならだよ」
こういうことははっきり言わないと未練が残るからね。きっちりとお別れの言葉を口に出す。
「ねえちゃん……。……また、逢えるかな?」
「う~~ん、どうだろうね」残念ながらロレーナ嬢は幻だ。「――ま、ヨータが偉くなったらもしかすると逢えるかもね」ロランとしてね。
「…………」
返事をしようとして泣きそうになって顔をくしゃくしゃにするヨータ少年。トリニダードはそんな少年の背後に立って、ボサボサの髪を無骨な手つきで力任せに撫で回しながら、目線で僕に合図を送った。
それに従って踵を返して、弾かれたようにブリンゲルトのいる方向へと走り出す僕たち。
「ねえちゃ~~ん……!!!」
悲痛なヨータ少年の叫びにちらりと振り返って見た僕の目に最後に焼きついたのは、必死にハンカチを振る少年の泣き顔と、その肩を抱いて押さえるトリニダードの姿だった。
次回から学園に戻ります。
次回更新、1/6頃の予定です。




