side:少年は荒野に向かう(ボーイ・ミーツ・ガール(?))
ヨウタは憔悴に駆られていた。
人生最大――父親が死んだと聞かされた時や、自身が鉱山の監督たちに殺されそうになった時でも、これほどは狼狽しなかった(ある程度覚悟があったがゆえに)というのに――ついさっき知り合ったばかりのロレーナと名乗った貴族のお姫様が、ならず者同然の監督たちによって、この鉱山と町を仕切っているオットマー・ボイムラーの元に連れて行かれたと聞いて、自分でも信じられないほどの動揺を受けたのだ。
「指を咥えて黙って見送ったのかよ! なんでおいらに黙って姉ちゃんを差し出したんだ!? おっちゃん、あんたそれでも男かよ!! チビの姉ちゃん、あんた本当に姉ちゃんの妹かよ!?! ふたりとも赤い血の通った人間か?!」
気絶から醒めたヨウタの目に飛び込んできたのは、最初に目覚めた時に見たホテルの安普請の天井とベッドであった。
どうやら寝ているときにまたこの部屋に運ばれてきたらしい。
周囲にひと気がないことから、慌てて飛び起きて今回は鍵の掛かっていなかった部屋を飛び出し、隣の部屋におっとり刀で駆けつけた彼の目に飛び込んできたのは、暢気にクッキーを食べているチビの妹(確か“ルネ”とか名乗っていたひとつ年上の小生意気そうな少女)と、残り少なくなったブランデーをチビチビと嗜んでいる同国人らしい褐色の肌をした青年(ヨウタを気絶させた元凶である“トマス”)の姿であった。
一目でその場にロレーナとメイドのエレナの姿がないことを見て取り、ヨウタの脳裏に最悪の展開が予想され……そしてそれは事実として、ふたりの口から語られ、結果、さきほどの罵声へとつながる。
「お義姉様なら大丈夫ですわ。仮にも子爵家の令嬢であり正式に商業ギルドとご領主からも紹介状をもらっての訪問なのですから、いくらなんでも無体な扱いはしない筈ですもの。――おいしいですわね、このクッキー。ドライフルーツが練り込んであるようですが、食べたことのない食感で」
「そうですな。なんぼロレーナお嬢様が美人で魅力的だっちゅーても、たかだか場末の鉱山主如きが、正真正銘の青い血を持った高貴なお方に手出しできるものじゃないでしょう。不埒な真似をしたら即座に(本人かクヮリヤート一族が)処刑でしょうからね」
ヨウタの主観からすれば、青い血どころか血管の中に緑の血が流れているとしか思えない、ふたりの淡白な反応が信じられなかった。
いや、そうじゃない――と、ヨウタは父親に教わった丹田に力を込めるための腹式呼吸を心がけ、深呼吸を繰り返して惑乱する心を静めて、このふたりに説明する言葉を選ぶ。
「――ふう……。チビの姉ちゃんも土地持ちの領主様のお偉い家柄なんだろう? だから、こんなチンケな鉱山の持ち主なんて領地に帰れば掃いて捨てるほどいるだろうし、かしずかれて当然だと思っているんだろうし、だから安心しているんだろうけど、ここの支配者層は違うんだよ。そんなこと屁とも思っていないヤバい相手なんだっ」
「ほほう? 興味深いですなあ」
げっぷをしながら適当な合いの手を入れるトマス。それに併せてルネも興味津々たる面持ちで、クッキーを食べる手を休めたのを見て、ヨウタは自分の説得が功を奏したかと一瞬期待したのだが、あにはからんや……。
「ええ、取り乱さないできちんと説明しようとする姿勢は好印象ですが、何が彼をここまで駆り立てるのか、その理由に興味がありますわね」
「そりゃ一目瞭然『恋」ですな」
何か別な娯楽を提供しただけであった。
「はああ~っ!?!」
「恋っ!?」
唖然とする――と同時にきゅんと胸の奥に棘が刺さったかのような痛みを覚えるヨウタと、はしたなくも素っ頓狂な黄色い声を上げるルネ。
そんな少年少女の初々しい反応を年長者の貫禄で受け流しながら――ただ単に酔っ払っているだけかも知れないが――トマスは訳知り顔でグラスを傾けながら頷く。
「この年代の少年は年上の女性に憧れるもんですわ。ましてやロレーナお嬢様はあれほどの美人で、命を助けられるという劇的な出会いも果たしたわけですから、これはもう懸想して血迷うのも仕方ないっちゅーもんですわ」
「おい、ちょっ、まて。そんな勝手に決め付けるな!」
ヨウタ少年の抗議もなんのその。それを聞いたルネは、
「言われてみれば確かに……ああ、でもこの場合応援するべきかしら、それともこの禁断の恋を反対するべきかしら……個人的には、どこまで行き着くのか見届けたい気持ちもあるけれど、でも……」
嗜好と良識の狭間で煩悶するのだった。
ちなみにルネは別な意味で口に出したのだが、ヨウタは『禁断の恋』というのを貴族の御令嬢と奴隷の少年の身分違いの関係にあると、健全かつ自然に受け止めていた。
「別に恋とかそんなんじゃない。ただ……」
ただなんだというのだろう? 自問するヨウタの胸に刺さったままの棘が塞がったと思っていた古傷を抉り、そこからジワジワと染み出してくる感情のままに言葉を羅列する。
「ああしておいらのことを撫でてくれたり、抱き止めてくれて、お日様みたいな良い匂いがして、懐かしかったんだ……ああ、そうだ。もう面影くらいしか覚えていないけど、死んだ親父がいつも母さんは美人だって言ってた。だから、なんとなく母さんみたいで、でもって違くて。だけど失くしたくなかったんだ――」
そんな少年の想いが思いのほか根深くて本気なのを察して、下手に茶化す雰囲気ではなくなった。
(つまり失踪した母親の面影をロレーナお義姉様に投影しているということかしら?)
(なおかつ思春期の少年特有の甘酸っぱい初恋がミックスされて昇華している状態ですな)
思わず目線で会話をするルネとトマス。
((なんにしても、本当のところをバラしたら人生のトラウマになるのは確実ですわ!))
これはうっかりでも話さないように、出かけているふたりが戻ってきたとしても、真実を口外しないように厳重に言い含める必要がある! そう固く心に誓ったルネとトマスであった。
なお、余談ではあるがこの十年後。紆余曲折の末、王都の新聞記者となったヨウタが、仕事の傍ら少年の日の体験をもとにして書いた小説が空前のベストセラーとなり、多くの賞を受賞し舞台や歌にもなったという。
特にヒロインである避暑にやってきた美しくも儚げな子爵令嬢と、貧しい鉱山労働者であった少年のひと夏の思い出と不当な鉱山主への反抗と冒険。そして最後の別れのシーンは印象的で、少年の甘酸っぱい初恋と悲恋、そして最終ページに一行だけ書かれた『さらば少年の日よ』という言葉に集約された作者の思いが胸を打つ不朽の名作として、のちのちまで長く読み継がれていくのであった。
また、そのモデルになった令嬢とは誰であるのか? モデルになった人物については、当時から様々な憶測が流れたが、直接に名乗り出た数人については作者であるヨウタ氏が真っ向から否定し、また数人の候補についても確実だと思われる明確な決め手に欠け、その後も永遠の謎であり少年の永遠の憧れの存在にして聖母という地位を確固としたのである。
閑話休題。
「必死になる理由はわかりましたけれど、具体的にどう『ヤバい相手』なのでしょうか?」
ルネの問い掛けに、「それは……」と、言いよどむヨウタ。
そこへブランデーの瓶を逆さにして、最後の一滴まで胃の中に流し込んだトマスが追い討ちをかける。
「つーか、いい加減に観念してホントのことを話してもらわんと、こっちも動きようがないんだけどねえ」
「な、なんだよホントのことって!?」
「自分らに隠していることがあるやろ? もともとおかしな話だったんよ。いくら対立しているかっていっても、奴隷たちのまとめ役である親父さんを監督が集団でボコって殺したり、その子供までいたぶって殺しかける……単に気に食わんからって理由や見せしめなら、さくっと後ろから刃物で一突きすれば済むこっちゃ。親父さんはなんぞ連中の不利益になるようなことを知っていたか、そのブツを隠していた。そのために拷問をされたけれど頑として吐かなかった。だから一人息子の坊主ならなんぞ知っているかと、矛先を変えたけど坊主も知らぬ存ぜぬを貫いたので処刑ってことになった……ってシナリオと睨んでおるんやけど、違うかな?」
トマスの指摘に苦渋の表情を浮かべるヨウタ。暗に図星だと認めているようなものである。
「そんなヤバい相手と知らずにうかうか誘いに乗ったロレーナお義姉様がどうなるか、言わんでもわかるだろう? オットマーがどんな奴かは直接は知らんけど、迎えに来た連中の助兵衛そうなツラからして、上も推して知るべしで、おおかた脂ぎった変態中年なんやろな。そんなところに若くて綺麗なお嬢様が連れ去られた……ひょっとすると今頃は無理やり寝室へ連れ込まれて、あられもない格好をさせられてるかも知れんなあ~」
「うううっ、お可哀想なお義姉様。大切な純潔をそんな下種な男に奪われるなんて……ああ、でも、抗議しようにも乗り込もうにも、相手を黙らせるだけの証拠も何もないのでは取り合うわけがないですわね」
調子に乗って危機感を煽りまくるトマスとルネによって、
「ああああああああああああああああああああっ!!!!」
辛うじて平静を装っていた少年の理性に壮大なヒビが走り回り、頭を抱えてその場に蹲る。
ぐるんぐるんと渦巻き模様を描くヨウタの脳裏では、大人気ないふたりの脅しによってR18の光景が展開されていた。
その様子を眺めて潮時かと見定めたルネは、一転して柔らかな笑みを浮かべて懐柔に取り掛かった。
「ですから教えて欲しいのです。あなたの知っている秘密を。わたくしどもはこの地の領主であるラヴァンディエ辺境伯家とも懇意の仲。実を言えばこのトマスも辺境伯家から警護のために派遣された凄腕であり、他にも見えないところでわたくしたちを見守る護衛はいるのですよ」
その言葉を証明するかのように、空になった酒瓶の首をトマスは手刀で斬り飛ばして見せた。これにはルネも内心で吃驚仰天したが、当然という顔でヨウタの覚悟を試すかのようにじっと見据えるだけであった。
やがて――。
「ああッ! わかったよ! 信じるよっ、だから姉ちゃんを助けに行くのを手伝ってくれ!」
やけっぱちのように少年は叫んだ。
「あいつらが欲しがっていたのは『割符』と『人形』だよ。連中が廃坑になっていた穴に隠していた、いろんな国やギャングと密輸するための割符と、連絡するための喋る変な気持ちの悪い人形だよ。親父が見つけて領主様に知らせようとしてた矢先に殺されたんだっ」
「ほほうっ。そいつは確かに動かぬ証拠って奴ですな。そいつがあれば確実な証拠になる、となると現物を押さえる必要がありますが……どこかに隠しているのかな、坊主?」
茫洋とした酔っ払いの目つきから、領内を取り仕切る為政者の顔つきになったトマスが鋭い目つきで詰問する。
「ああ。あいつらはおいらたちが住んでいた長屋の天井や床下まで探したけど見つけられなかった筈さ。だって親父が死んだと聞かされた晩に、おいらが隠したんだから」
「どこにですの――っっ、まさか!?」
重ねて問いかけようとしたルネだが、彼女の聡明な頭脳は先ほどの少年の台詞――
『いまのオットマーは偽者だよっ。おいらは見たんだ、あいつが自分の顔を粘土みたいに』
そこから、即座に答えを導き出した。
普通に考えればその他大勢である児童労働者が、鉱山の最高責任者の秘密を暴ける機会などあるわけがない。あるとするならただひとつ。
「そうだよ。オットマーの屋敷に潜り込める抜け道を知っているので、こっそりと床下に置いて来たんだ」
まさに盲点というか、足元にあるのを知らずに連中は右往左往していたことにある。
そんな少年の頓知と思い切りのよさに感心するふたりであった。
さらには、
「だからどうあっても姉ちゃんを助けにオットマーの屋敷に乗り込む必要がある。抜け穴はおいらしか知らないんだから、協力してくれるよなチビの姉ちゃん、おっちゃん」
そう言ってのける度胸もある。
「たいしたもんだな、坊主。だけど俺はおっさんじゃない、お兄さんと呼べ」
「わたくしもチビではなくてルネですわ! ――ま、確かに。案外この子は将来大物になるかも知れませんわね」
「そうですな。この件が終わったら、領都に来ないか? 俺の伝手で学校に通わせたるわ」
「そんなことよりも姉ちゃんが大事だろう! さっさと行こうぜっ!」
気忙しげなヨウタに発破をかけられたルネとトマス。お互いに顔を合わせると同時に立ち上がって、各々が部屋の片隅に置いてあった荷物を取りに向かうのだった。
すみません、諸般の都合により12/26(火)以降に更新いたします。
ここで一言。
『締め切りはゴムのように伸びるが、最後にはパチンと切れる』(by:手塚治虫)




