とりあえず邪魔なところから大掃除(静かに速やかに)
《三日前・反乱軍陣地中枢である元領主の館の執務室にて》
食い詰め農民が傭兵や元兵士らの協力の元、圧制を敷く領主のイルマシェ伯爵(当時)へ反旗を翻したのが一月ほど前のこと。
どうせこのままでは餓死するか、領民全員が夜逃げするしか道はない、と半ばヤケクソの武装蜂起であったのだが、あにはからんや結果は農民たちの大勝利に終わった――いや、終わってしまった。
絶対に勝てないと思えていた上位者――子供にとっての父親や、犬にとっての飼い主に無我夢中で反抗した結果、思いがけずに相手を殺してしまった。その罪に怯え慄く弱者に取り入るのは実に簡単だった。
「お前たちは当然の行動をしたに過ぎない。見ろ、この領主と代官の倉庫にうず高く積まれていた小麦を」
「見ろ、この贅沢極まりない暮らしぶりを」
「これはお前たちの血と汗と涙を搾り取った結果だ」
「それを奪い返して何が悪い。いままでは力がないと諦めていたから奪われるだけだった」
「だが違う。俺たちには力がある。それこそこの腐った領をひっくり返せる力がな」
「さあ飯を食え。腹がはち切れんばかりに! そして武器を取れ。再び俺たちの財産を奪おうとする連中に目にもの見せるために!」
領都にたんまりと貯め込まれていた小麦をはじめとした穀物の山や銭を前に、狂喜乱舞する農民たちへ、そう鼓舞する反乱の主導者たち。
大部分の農民たちはこの時点で『反乱軍』と呼ばれ、国にあだなす逆賊とされた自覚もなく、
「これで腹いっぱい食える」
「持って帰れば、おっかあ喜ぶぞ」
と、無邪気に考え……この集団に参加すれば、今後も楽な生活ができると錯覚したのだった。
或いはこのまま勘違いしたまま解散をして、各々の村に帰っていた方がこの後の混乱と悲劇は起こらなかったのかも知れない。
(――まっ、意外と早く統一王国が討伐軍を差し向けてくれたおかげで、右も左もわからん農民連中を俺たちが統制をして、易々と反乱軍として一本化することができたわけだが)
元軍人であるという触れ込みの元、いつの間にやら司令官に祭り上げられた(という具合に工作をした)イスト・ヘイゼルは、見るものを畏怖させる鋭角な顔貌を誤魔化すため、蓄えていたのがいつの間にか趣味と化していた口ヒゲと顎ヒゲを撫でながら、さし迫る第二次討伐軍相手にどう立ち回るかと思案を巡らせていた。
一時の安心も束の間、国が差し向けてきた第一次討伐軍の軍勢を前に、ようやく自分たちが賊徒と看做され、末代にまで渡る大罪人という烙印を捺された事に気付いて浮き足立つ、反乱軍に参加した農民たち。
これを言葉巧みに抑えて、さらには数的に有利だったとはいえ、碌な装備も訓練もしていない寄せ集めの集団を指揮して、まるで英雄譚のように正規軍を撃破してみせたイスト。
彼に対する反乱軍の忠誠と崇拝は、もはや軍神を崇めるかのような凄まじいものになっていた。
当初こそ誰とも知れぬ異国人であるイストを警戒する声もあったが、いつの間にかそうした少数の声は賞賛の叫びに掻き消され……または密かに処分される結果となり、いまや事実上反乱軍は彼と彼がどこからともなく連れて来た腹心によって、完全に掌握される形となっている。
(さすがに前回のように舐めて来る事はないだろう。盗賊ギルドからの情報でも前回の倍以上の数を揃えて、なおかつ持久戦の構えを取っているようであるしな……)
前回の第一次討伐軍は、最初から反乱軍を烏合の衆と舐めて、補給など考えずにとにかく一気呵成に蹴散らそうと真正面から向かってきたため、こちらとしても上手く嵌めることができたわけだ。
それにこちらの損害も少なくなく、一度の衝突で死傷した農民兵はざっと二万――。
周りには二千人の犠牲と言っているが、実際にはその十倍の被害が出たわけで、損耗率から考えれば誰がどう見ても負け戦である。
(まあ、もっとも無知な農民は上が二千といえば、そう頭から疑うことも知らぬし、死傷者はまとめて魔族に処分させたので証拠は残っておらん。だいたいにおいて農民などいくらでも湧いてくるものであるから、肉壁に使ったところで痛くも痒くもないが、さすがに同じ手は使えんだろう)
たとえ味方が九十九人死亡したとしても、敵を百人倒せばこちらの勝利である。
軍人であるならばある程度割り切った考え方をするものだが、イストはかつてその余りにも非人道的な価値観が問題となって、軍籍を剥奪された過去を持つ男であった。
(そろそろ手持ちの食料も乏しくなってきたところだし、ここら辺が潮時か……? できればもう少々、国内の混乱を助長させておきたいものだが、ならばそうなると国軍と領主軍との連携が取れないいまが狙い時か。盗賊ギルドの暗殺者を派遣して、領主軍の指揮官もしくは領主クラスを軒並み暗殺すれば、上手くいけば勝てる。勝てないまでもお互いに泥仕合の消耗戦に持ち込めば、こちらの勝ちと言えるだろう)
ほぼ方針を固めたイスト・ヘイゼルが卓上のベルを鳴らして、隣室に控えている部下を呼び出そうとした。
その喉元へ、いつの間に背後に忍び寄っていたのか何者かが暗殺用の短剣を押し当てる。
「――お静かに。お手数ですが少々お尋ねしたいことがございまして、誠に勝手ながらお邪魔させていただきました」
同時に甘く魅惑的なテノールの美声が囁く。
咄嗟に護身用の短剣に手を伸ばそうとした右手の筋が、抜き手も見せずに翻った喉元の短剣とは別の短剣によって、一瞬で切り裂かれた。
「がっ――! ぐはっ――!?!」
悲鳴が漏れそうになったその口に中へ、机の上に出しっぱなしにしておいた硝子製のナイフレストが無理やり突っ込まれる。
「やれやれ、お痛はいけませんなイスト・ヘイゼル様……いや、元モエニア帝国陸軍インマヌエル・バーリルンド中佐」
悲鳴を漏らさないようにきっちりとナイフレストを押し込んだまま、穏やかな口調で襲撃者は誰も……腹心の部下ですら知らないはずの彼の本名と前職とを正確に口に出した。
「…………」
その瞬間、イスト・ヘイゼルことインマヌエル・バーリルンドは理解した。こいつはプロだ。プロ中のプロの諜報員だろう。つまり、先手を取られたのだ。自分が先ほど考えていたのと同じ暗殺という手段を。
いや、それならなぜさっさと自分を殺さない? 先ほどから幾らでもチャンスは――。
そこまで考えたところで卒然と理解した。
(つまり、こいつの目的は暗殺ではなくて尋問か!? 俺たちが所詮は金で雇われた駒でしかないことまで理解している。その為に生かして情報を得るつもりでいるのだろう――だが)
口の中に転がる折れた前歯を掻き分けながら、密かに舌で奥歯がまだ健在なのを確認するインマヌエル大佐。拷問に対する抵抗訓練は十分に積んでいる。肉体的苦痛をカットするなど容易いことであるし、いよいよとなれば自決用の毒もある。まあその前に脱走を図るつもりではあるが……。
そんな彼の思惑などお見通しとばかり、
「お若いですなぁ。ご存知ですか? いにしえの禁呪には魂を束縛して、これに苦痛を与えるという方法がございます。所詮、肉体に加えられる苦痛には限界がございますが、直接に精神と魂が受ける痛みは天井知らず……さて、どこまで耐えられるものか腕が鳴りますな」
いっそ愉しげに含み笑いをする襲撃者。それと同時に頚動脈を絞められて気絶する――そしてその後、二度と正気では意識を取り戻せなかったインマヌエル大佐が最後に見たのは、黒いタキシードの袖口と銀色のカフスボタンであった。
◆
どちらが先に出迎えるかで多少揉めたダリルとグレッグであったが、どうにか並んで出迎えることでお互いに合意したところで、物見台の下にやってきた馬車が停まった。
「停まれ! 降りろ」
「この先は許可がない者は立ち入り禁止だ!」
使い古した槍を構えて型通りの威嚇をすると、最初にラヴァンディエ領に古くから住んでいるナトゥーラ人らしい、褐色の肌をした若い男の御者が降りてきた。
「へへへっ、どうもどうも。お勤めご苦労さんです」
慣れた手つきで近くの潅木に馬の手綱を結わえて、揉み手せんばかりの愛想のよさで近寄ってくる。
((男はどうでもいいんだよ、男は!))
そう怒鳴りたいのを我慢して見れば、その背後で黒髪のメイド(これもかなりの美人だ!)の手を借りて、ふたりの上等なドレスを纏った女性がいそいそと馬車から降りてきた。ひとりは十七歳ほどのもうひとりは十四歳ほどに見える。髪の色と瞳の色、なにより顔立ちにどこか共通点があることから、ダリルとグレッグには姉妹に見えた。
(――こいつは凄え。確かに極上の上玉だ!)
特に姉らしい美女は、あちこち渡り歩いて王都などそれなりに垢抜けた街でも評判の美女や、遠目に貴族のお姫様を見てきたグレッグであっても、初めてお目にかかるように途轍もない美貌の持ち主である。
絶世の美姫と言い切ったダリルの言葉に嘘はないと、心の底から同意するのだった。
そんな彼女へ甲斐甲斐しく日傘を差したりしている黒髪のメイドもなかなかの美人ではあるが、グレッグたちなど眼中にないとばかりに無視する態度が戴けない。
妹の方はといえば、確かに可愛らしいとは思うが、まだ乳臭い年齢であるのに加え、こういってはなんだが姉に比べると数段見劣りする……。いや、それでも十分な美少女ではあるのだが、比べる相手が悪かったとしか言いようがない。
(生まれの不幸を呪うしかないよなぁ……)
出来のいい兄姉を持った凡庸な弟妹の悲哀。似たような苦労をしてきたグレッグは、密かに妹へ同情の念を禁じ得なかった。
「あ、許可は得てますよ、旦那方。これが許可証で、こっちが領主様……まあ、いまは前領主様の弟様が代行ですけど、そちらの印が捺してる身分証です」
まあこういう場合、当然といえば当然であるが、明らかに上流階級に所属しているらしい姉妹は後方に待機していて、代わりに男の御者が対応を受け持っている。
そのことに内心苛立ちを覚えながらも、ふたりは出された書類に目を通した。
「……ぬ。ラスベード商会の関係者か」
形だけとはいえ宝石を売るために鉱山主は領内の商業ギルドに加盟している。
そのギルドからの紹介という形で書かれていたのは、統一王国最大の財閥であるラスベード商会の関係者が、現地を見学したいと希望しているので便宜を図って欲しいとの内容の依頼だった。
((難しいな……))
『ストロベリーフィールズ』の町は他からの干渉を極端に嫌う。普通の相手なら適当に文句をつけて追い返すところだが、商業ギルド直接の依頼とラスベード商会というビッグネーム、そしてなによりも……。
((このまま追い返すのは勿体ねえ!!))
という思いがあった。
ただでさえ辺境には女が少ないのに、ましてこれほどの美女とお近づきになれる機会など、全財産を賭けてもいいが、ふたりにとって今後あり得ないことである。
「う~~ん。そういうことなら何とかしてやりたいところなんだが……」
「俺たちの一存では難しいな……」
内心の下心を押し隠して、こればかりは本心から苦渋の選択を迫られるグレッグとダリル。
「あの~? じゃあ町の入り口まで監視がてら送ってもらって、そこで断られたら引き返す……ってことではどーでしょうね?」
「それがそうもいかんのだ。俺たちは【暗黒魔竜ブリンゲルト】を警戒して、ここに夕方まで詰めていなければ、ギルド長にドヤされるからな」
御者の男の提案に、グレッグは渋い顔で答える。
「【暗黒魔竜ブリンゲルト】? ああ、あれならとっくに巣に帰っていきましたよ。知らんかったんですか?」
「なにィ、本当か!?」
思いがけない話にグレッグは素っ頓狂な声を出していた。ダリルも半信半疑の目で男を見据える。
「本当ですよ。でなきゃ、お嬢様方を連れて、暢気にここまで足を延ばしたりはしませんって」
のほほーんと答える男の言葉に、思わずグレッグとダリルは顔を見合わせた。
言われてみれば確かにその通りである。
と、なれば――。
「そのあたりも上に報告しなきゃならんよな?」
「そうだな。ならこの場を離れる大義名分も立つか」
「いや、だがひとりは残らないとマズイだろう」
「そうだ……な」
「「…………」」
そうして、しばし睨み合いが続いた後、再びふたりは取っ組み合いの喧嘩を始めたのだった。
11/29(水)更新予定です。




