辺境伯家のお家事情(悪役令嬢というよりも…)
明日のつもりで予約投稿日を間違えました……。
げほげほげほ咳き込む僕たちを尻目に、平常運転で突っ立っていたエレナが小さく片手を挙げてベルナデット嬢へ問い掛けた。
「――よろしいでしょうか?」
「ん? いいよ。……て、えーと、君は?」
「オリオール家のメイド兼ロラン様の内縁の妻のエレナ・クヮリヤートと申します」
さらりと会話に嘘を混ぜ込むエレナの言葉を否定しようにも、こちらは一時の衝撃から立ち直るのに必死でそれどころではない。
「げほげほ……違っ……ごほごほ」
「けほんけほん……お、おに、お義兄様、ハ、ハンカチを……けほけほ……どうぞ……けほん」
そんな僕たちの醜態を楽しげに――だいたい何を言いたいのかは理解した上で面白がっているのだろう――眺めながら、ベルナデット嬢は知らないフリをしてエレナに先を促す。
「へえ、有名なクヮリヤート一族のお嬢さんか。で、何が聞きたいのかな?」
「私の立場上、有名になるのは問題があるのですが……実際、フィルマン様をぶっ殺すだけなら、若君に依頼しなくても、〈影〉か職業暗殺者数人を雇えば事足りると思うのですが? もしくは婚約者という立場を利用されて、ベルナデット様が毒を盛るとか」
「ああ、そのほうが手っ取り早くて確実なんだけどさァ。それだとまるであたしが悪人みたいで寝覚めが悪いじゃないの」
いけしゃあしゃあと言ってのけるベルナデット嬢。
一方、気管に入った珈琲が抜けて呼吸も収まった僕は、ルネに借りたハンカチで口元を拭いながら、ふと気が付いた。
(あれ……? 僕がアドリエンヌ嬢の味方するのを決めた理由って、理不尽な婚約破棄でとばっちりを受ける御令嬢方を助けようと思ったのが大本だった筈。けど……あれ? もしかして婚約破棄を目論んでるフィルマンよりも、殺害を計画しているこっちの方が悪辣なんじゃ……?)
カチカチと歯車の音が、途切れ途切れに聞こえてきた。
そんな僕の疑問と心境の変化を顔色から読み取ったらしい、同じく予備のハンカチで口元を拭ったルネが、どこか焦った様子でベルナデット嬢に目配せをしながらフォローに回る。
「ま、まあ、ベルナデット様がおっしゃることは、おそらくは何かの喩え……比喩的な事柄だと思いますわ。別にフィルマン様が(現時点では)憎いわけではないのでしょう?」
「まあね」
問われたベルナデット嬢はあっさりと首肯して、自分の分の珈琲で喉を湿らせてから続きを口に出した。
「――というか、フィルマンのことは好きでもなければ嫌いでもない。結婚相手として手頃だから……ああ、あとそこそこ顔も良くて腕も立つんで、交配相手としてはまあいいかなぁと思って、婚約も承諾したわけだけどさ」
「……うわぁ……」
思わず声が出た。本当に洒落抜きで種馬としか認識されてないよ、フィルマンの奴は。
「むー……お義兄様。その反応は男尊女卑の最たるもので不公平だと思いますわ。この場合、ラヴァンディエ辺境伯家の方がレーネック伯爵家よりも格上で、なおかつベルナデット様が次の当主と確定していますので、一般的な貴族としてはごく妥当な判断と看做されるものだと思いますわ。特殊なのは御令嬢の方が領主になるという点だけで、普通に男女が逆だった場合、殿方はやはり伴侶を家柄や見た目で判断されるのではありませんか?」
ベルナデット嬢に対するルネの擁護を聞いて、なるほど……と、再度思い直して、心情的にフィルマンに傾きかけていた天秤の皿がニュートラルの状態へと戻った。
ちなみに『辺境伯』というのは『伯爵』と同格に思えるかも知れないが、実際のところはまったくの別物で、常に異民族と接する最前線に位置するため、広い領地と独自に軍を指揮する権限を持つ、どちらかといえば自治領主に近い立場である。宮廷内の序列でも、侯爵以上で公爵に準じる扱いをされるのだった(国によっては公爵と同格。うちは五公爵家の権威が強いのでそこまでは認めていない)。
そんなルネの話を聞いていたベルナデット嬢は、我が意を得たりといわんばかりの嬉しげな表情で何度も頷く。
「そうそう。おまけにラヴァンディエ家ってもともと、隣国のナトゥーラ王国からオルヴィエール統一王国へと鞍替えしたじゃない?」
そう言いながら、自らのオリーブ色の肌をした二の腕に視線を落すベルナデット嬢。
「だから辺境伯とはいっても中央での発言力は小さいし、いまだに色眼鏡で見る連中も多いし、昔を知っている年寄りと、今しか知らない若い連中の対立。もともとのナトゥーラ人とオルヴィエール人との折衝とか色々と面倒臭いわけよ」
軽い口調で口に出しているけど、『色々と面倒臭い』どころの問題じゃないんだろうな、と思える深刻な問題であった。
そもそも我がオルヴィエール統一王国は平原の国である。
一年を通して温暖であり、場所にもよるけれど国土全体を見れば夏季冬季の寒暖の差が少なく、肥沃な大地と豊富な水源に事欠かない穀倉地帯と牧場が国土の大部分を占める実り豊かな国というのが一致した見解だろう。
もっともひとつだけ瑕疵を挙げるならば、内陸国であるため海に面する場所がほとんどなく。大型船の接岸できる港湾がシャンボンしかないため、せっかくの農産品を諸外国に売って外貨を稼ぐにも、大半が陸路を使わざるを得ないため、輸送の手間がかかり過ぎて、さほどの儲けにならないというもどかしい状況にあった。
そのため海に面した隣国ナトゥーラ王国の併呑を目指して時には攻め入り、逆に平地が少なく農産物の自給率に問題のあるナトゥーラ王国もまた、オルヴィエール統一王国の豊富な平地を確保しようと躍起になった。そうした歴史が連綿と続く中、双方の中間位置にあったラヴァンディエ家が、オルヴィエール統一王国への恭順を表明したのが、およそ三十年ほど前の話である。
ラヴァンディエ家の領地はもともと海に面していたわけでもなく、またさほど農業に適した土地柄でもなったため、ナトゥーラ王国内でもあまり豊かな場所といえず、おまけに紛争地帯なために隣接するオルヴィエール統一王国から食料を輸入するわけにもいかない……というわけで、思い切って敵側に鞍替えしたという経緯があった。
統一王国側も渡りに船で、最近は街道も整備されてきたことから、さほど海路に固執する必要もなくなってきたこともあり、こちらから積極的にナトゥーラ王国と事を構える理由はないが、相変わらず国境地帯は安全とは言えないので、ラヴァンディエ家に『辺境伯』という名目を与えて、前線の護りに従事させればいい……という思惑から現在の形へとなし崩しになったらしい。
「――ところが、その『なし崩し』が問題でね」
ベルナデット嬢は令嬢とも思えない伝法な口調で続ける。
「本来、統一王国の法では女には王位や爵位の継承権がない……ま、正確には明文化されているのは王位の方だけで、爵位については明示してないんだけれど、それに倣って継承権を与えないのが慣習化されている。――ナトゥーラ王国では基本的に男女どちらでもいいんだけどね」
「ですがベルナデット様は次の領主になることが決まってらっしゃいますよね?」
いまさら何を? 解せませんわね、という表情で小首を傾げるルネ。
「そのあたりがねえ……戦時特例法で『領主が死亡した場合に、臨時にその妻や娘が領主を継げる』の規定を強引に逆手にとって、『ラヴァンディエ辺境伯領は常時紛争地帯であり、万一の際には女子であっても実子であれば領地の継承権を与えて貰いたい』と、辺境伯へ叙爵された当時に申し出て承認された経緯があって、それを盾に認めさせたんだけど、今度はそれが足枷になっちゃってねー」
面倒臭い表情で眉根を寄せるベルナデット嬢の空になったカップに、
「お代わりはいかがですか?」
「ああ、ありがとう頼むわ」
珈琲を注いだエレナ。ついでのように僕の半分飲んだカップにも注ぎながら、小声で注釈を加える。
「ちなみに前当主であるベルナデット様のお父上は、十年前に領地視察中に正体不明の賊に襲われて逝去されています。実子はベルナデット様おひとりです」
なるほど『実子』という文言を入れたために、親戚や身内から養子を取るという手が使えないというわけか。
頷いた僕の表情から合点がいったのを読み取ったらしい、ベルナデット嬢は苦笑しながら続ける。
「ま、実際取り決めを決めた当時、そこまで考えてはいなかったんだろうけど。だからあたしが領主を継いで、旦那には適当な(押し出しが良くてチョロそうな)相手ということで、フィルマンを選んだわけなんだけど」
「……気のせいか、さっきからルネもベルナデット嬢も本音が駄々漏れなんだけど?」
「空耳ではないのですか、若君」
こっそりとエレナに確認を取ったけれど、私は知りませんと言下に否定された。
「だからまあ学園でどこぞの男爵令嬢に尻尾を振っても、あたしとしてはどうでもよかったんだけれど」
あ、知ってて黙認してたんだ。
というか、本当に心底フィルマン個人には興味ないんだな、ベルナデット嬢……。この割り切りさ加減は案外情に脆いルネやアドリエンヌ嬢、エディット嬢にはない。実に男前の考え方である。
これが生来のものか過酷な環境に鍛えられた結果なのかはわからないけれど、どちらにしてもフィルマンには太刀打ちできないのは確かだろう。
「何をとち狂ったのか、『イルマシェの反乱』の第二次討伐軍に参加するとか、独断で決められたせいで、いまうちの領にいる若い層や外から移住してきた連中が馬鹿なことを言い出したわけよ。曰く――」
『女性領主を認めよというのはもともとナトゥーラ王国の法に従ったもの。しかも現在は散発的な小競り合いはあるものの明確な宣戦布告はない。
故に戦時特例法の適用をするのは詭弁を弄する行為である。ラヴァンディエ辺境伯領が心より統一王国へ恭順している意思を明確にするため、いまこそ旧弊な価値観を打破し本来の王国法に従うべきである。
こたびの内乱でベルナデット様の婚約者であるフィルマン様は、その武威と気概を明確にされようとしている。我々に必要なのは中央に通じた強き領主であり、そうであるならばフィルマン様を領主へと迎え、ベルナデット様はそれを支える貞淑な妻として、次なるラヴァンディエの血を残すべきであろう』
「――ってわけで、いま現在領内は大揺れに揺れているわけよ。ま、確かに一理あるし、なるほどあたしがか弱い乙女で、なおかつ右も左もわからない箱入り娘なのは確かだけどさ。それでもその意見は性急過ぎるし、いまだ実権を握っている旧臣の手前、到底受け入れられるものじゃない」
「まあ、そうだろうね」
一部、ツッコミどころ満載だったけれど、とりあえず空気を読んで無視して同意しておく。
「で、まあ、諸悪の元凶は勝手なこと始めたフィルマンというわけで、事前にフィルマンを何とかしておこうと思ったわけ。かといって後ろ暗い真似をしてバレたら洒落にならないし、そうなると事故に見せかけてどうにかするしかない。戦いに行く前の訓練とか理由をつける段取りはあたしがする……けどフィルマンはアレで腕が立つので、一方的にぶちのめして尚且つ事故に見せかけられるような凄腕となると、統一王国内ではハロルド様かエベラルド様くらいなのだけど、こちらには伝手がないもので」
「…………」
誰だっけ……? と、思ったところで絶妙のタイミングでエレナが耳打ちしてくれる。
「親衛騎士団長の〈剣豪〉ハロルド様(アドルフの父親)と、王国剣術指南役の〈剣聖〉エベラルド様ですわ。――あの、もしかしてその他大勢と混同してお忘れですか……?」
「ハハハハハ、ソンナワケナイダロウ」
「……思いっきり声が棒読みで、目が泳いでいますね、若君」
うんうん、いたいた。いやホントに覚えてる覚えてる、顔はうろ覚えだけど、片や剛剣で片や変幻自在の剣で若い頃(年齢ヒトケタ当時)は苦労したのは覚えている。ここ数年はタイミングが悪いのか、訪ねて行っても留守だったり、急な腹痛とかで体調が悪くて試合できないでいるけど。
「そうした訳で、恥を忍んでロラン様におすがりするしかないわけで……ああ、あたしも鬼ではないので、気が進まないと仰るなら命まで取れとは言いません。最低限、顔と生殖機能さえ残して、あとは使えなくしてくれれば十分です」
そう譲歩案を出してくる悪魔のような御令嬢が目の前にいた。
話に飲まれかけていた僕だけど、我に返って慌てて断りを入れる。
「いやいや! 僕は一応はフィルマンの友人ですよ。友人に手をかけるなど人倫に反する行いはできませんよ!」
「そうですわね。それではこちら側にあまりにもメリットがございませんもの」
いや、ルネ。その言い方だとメリットがあれば条件を飲むみたいな言い方じゃないですかやだー。
そう言う前に、にやりと不敵に笑ったベルナデット嬢はカップをソーサーに置いて身を乗り出した。併せてルネも威儀を正して余裕の笑みを浮かべる。
「勿論、天下の〈神剣の勇者〉ロラン様に頼むわけだから、こちらから出せるだけの報酬は確約するよ」
「確約とおっしゃられても、口約束では空手形も同然ですわ。それに金品や美術品など足のつくものはあっても、正直邪魔なだけですし不自由はしておりませんわ」
「そうくると思った。実を言えばロラン公子に今回の件を依頼するに至ったのは、何も消去法で残ったからじゃない。それどころかエドワード殿下の取巻きで、フィルマンの友人である点から真っ先に除外したくらいだ」
「でしょうね。ですがここまで腹を割って話された……ああ、そういえば最初に『聞いていた通り』と仰いましたけれど、あれはもしかすると……」
「ご名答。エディットはあれでなかなか抜け目がないんだ。ラヴァンディエ領内を通ってのナトゥーラ王国への販路拡大の許可と、希少生物の採集を条件に話を持ってきてくれたよ」
「……やはり。ですがエディット様がそうと見込まれたのでしたら、逆説的にある程度信頼できると判断してもいいかも知れませんね」
「そこは全幅の信頼と言って貰いたいね、ルネちゃん」
表面上はにこやかに言葉を交わしながらも、水面下では丁々発止の遣り取りが行われているのが良くわかる。……当事者である僕の頭越しに。
「お手すきのようならキャッツ・クレイドル(ふたりあやとり)でもやりますか?」
そんな僕の目の前にエレナの両手で編まれた紐が差し出された。
「……いま緊迫した状況だと思うんだけど、そんな暇に見える?」
「ええ、割と。若君の無聊を慰めるのもメイドの勤めですから」
「…………」
そんな僕たちを置いて、ふたりの取引は佳境を迎えようとしていた。
「そんなわけで、あたしから提示できる報酬は二点。このうち一点については先払いで、残りについては後払いという条件でどう? どちらもいまのあなた方が喉から手が出るほど欲しいものだと思うんだけど」
「あらなんでしょう、それは?」
「ひとつは“情報”。反乱軍に流れている不鮮明な軍資金と傭兵の流れについて、多分、満足のいく情報を与えることができる。これが先払いの分」
「……なるほど」
予想の範囲内、という表情でルネは満足げに頷いた。
「では、後払いの分は何でしょう?」
「こっちは後払いにするんじゃなくて、せざるを得ないってところだね。ずばり“忠誠”。或いは“腹心の部下”と言ってもいいかも知れない。ロラン公子が王権を簒奪する際には、我がラヴァンディエ領は全力を挙げて協力する。どうだい?」
「!!!!」
これはさすがに予想外だったのか、ルネも息を呑んで絶句した。
「“船”」
「“星”――って、いいんですか若君、何やら重大な悪巧……話し合いがもたれているような気がするのですが?」
「ん~……ここからだとどう返すのがベストなのか、悩むなあ……。――ん? ああ、聞こえない。僕には関係ない話だからね」
何やら興奮した面持ちで、「素晴らしいですわ。上手くいけば北からは魔王、南からはラヴァンディエと連携。情報と物資はラスベード商会が……」と、ルネがブツブツ呟いているような気がするけど、きっと気のせいだろう。神殿のど真ん中で国家に反逆する計画が練られているわけはない。
「……まあいいですけどね。私としては、若君が私だけを見てくれているいまの状況はどんとこいなので」
そんなわけで僕は次の返しを考えるべく、目の前にある紐にだけ集中するのだった。




