辺境伯令嬢の物騒なお願い(場所柄を考えろ)
聖教徒大神殿の本殿は王都アエテルニタの第七区に鎮座する壮麗な白亜の殿堂である。
もとをただせば何もない平原だったところに、これまた何の変哲もない岩がひとつだけあって、そこに最初の〈神剣〉である〈神剣チュエッラ〉が顕れたのが、聖教徒教の信仰の始まりと大神殿創設、ひいては王都成り立ちの契機になった……とされている。
ま、実際のところはもともと周辺にあった土着の原始信仰と〈神剣〉という目に見える奇蹟を無理やり絡めて、さらには時の権力者が〈神剣の勇者〉を手駒にすべく、それらを庇護した結果、いつの間にか独立したひとつの宗教として確立したというのが実体に近いらしい。
ともかくも創立よりおよそ三千年あまり。おそらくは世界最大規模の教徒の数と、諸国の隅々までその足跡と神殿を持つ宗教団体の総本部が、ここであった。
あと余談だけれど〈神剣〉はその使い手が生まれると同時に、もっとも近い場所にある神殿に顕現するため、各国ではひとりで万の軍にも匹敵する〈神剣の勇者〉を囲い込むため、こぞって神殿を建立したという歴史的背景があり、それが聖教徒教を世界宗教に押し上げた原動力だったりする(中には邪教扱いをして頑なに自国での布教を禁じた国もあるが)。
さて、その聖教徒大神殿だけれど、この構造は大まかに言って三重の正方形によって形作られている。
白の大理石の壁で囲まれた大神殿の敷地正面にある『麗しの門』は常に開放されていて、神殿関係者のみならず一般人であっても分け隔てなく立ち入ることが許されている。
ただし自由行動ができるのは『蒼き庭』と呼ばれる広大な敷地の前半分だけで、後半分と中央に鎮座している『聖教徒大神殿本殿』への立ち入りができるのは、基本的に神殿関係者と王族だけ。
大神殿本殿はすべてがマーブル模様の大理石で覆われていて『祭祀の庭』と呼ばれる広大な空間の先に、床も天井も柱も壁もすべて水晶石によって造られた『至聖所』があり、ここに入れるのは一部の高位聖職者と〈神剣の勇者〉だけとなる。
なお、神殿関係者は裏門から抜けた先(神殿の後半分)に『祭祀の館』(高位神官の邸宅)と『断罪の家』(下位聖職者の宿舎兼修行場)があって、そちらで暮らしていた。
ちなみに聖教徒大神殿においては〈神〉は唯一の存在であり、その姿は人間には認識できないとされているので、神の名や神を模った像や絵画などは存在しない。
ただし、宗教的シンボルとして〈神剣〉を崇めているため(以前はレプリカだったらしいけれど)、奥の至聖所の中央に現在は〈神剣ベルグランデ〉が、どーーーんと奉られているのであった。
ま、奉るといっても最初に〈神剣チュエッラ〉が刺さっていた、何の変哲もない岩(煌びやかな水晶の部屋のど真ん中に路傍にありそうな岩が置いてある様はなかなかシュールである)の上に置いてあるだけだけど。
で、本来は一般信徒は立ち入ることすらできない『至聖所』に程近い小部屋に、〈神剣の勇者〉という特権をもって通された僕とルネ、エレナといういつもの面子は、やや遅れて案内されてきた、どうみても神殿関係者とは思えない、動きやすいミディアムヘアを巻き髪にした、オリーブ色の健康的な肌と大きなアーモンド色の瞳が特徴的な、この国の人種とはやや異なるエキゾチックな風貌の美少女と対峙していた。
「――それでは勇者様。我々は隣室にて待機しておりますので、何かありましたらお手元のベルでおよび下さい。では」
「失礼致します、勇者様」
高位神官を示す紫色の肩掛けを掛けた中年男性と、こちらはうら若い女性神官が、僕に向かって潤んだ眼差しと上気した表情のまま、ほとんど九十度の角度で深々と腰を折って出て行った。
完全にドアが閉まって隣の部屋にふたりが入った気配を確認したところで、僕はやっと肩の力を抜くことができた。
「……は~~っ。ここに来るといちいち『勇者』『勇者』と連呼さるのはまだしも、全員が神に命を捧げる殉教者のようなキラキラした眼差しで見られるのが、正直もの凄く疲れる」
「それはまあ、もともと〈神剣〉と〈神剣の勇者〉を崇める狂信……もとい宗教団体ですから当然かと。若君が死ねと言えば死ぬでしょうし、いまからザイン王朝ウェルバ国まで行って名産のカットレット(ジャガイモを揚げたコロッケで路上販売されている)を買ってこいと命じたら、死力を尽くしてパシってくるのは確実……面白そうなので試してみますか?」
冗談ともつかない口調でテーブルに置かれたベルに手を延ばすエレナの動きを、「やらんでいいっ」と掣肘する僕。
ちなみにザイン王朝ウェルバ国は中央海を隔てた隣の大陸の南西部に位置する大国で、行って帰ってくるだけでも半年はかかる道のりである。
そんな僕たちのやり取りを眺めていたルネは、浮かない表情で僕に謝罪した。
「申し訳ございません、お義兄様。ここくらい『未婚の男女が偶然に顔を合わせて挨拶をする』という条件に合致して、なおかつ勘繰られても『神に誓ってやましいことはしていない』と、声を大にして言える場所が思い浮かばなかったものですから……」
「ああ……いや、ルネが謝ることじゃないよ。ルネはあくまで提案しただけで、それを仕方がないと受け入れた時点で、責任の帰趨はすべて僕にあるんだからね。いまのは僕の失言だった。気にしないで」
慌ててルネを宥めて、興味深そうに僕たちの様子や室内の調度を見回していたゲストへと視線を戻す。
「――と。申し訳ありません、レディ……」
「いえいえ、謝るのはこちらです。お忙しいところ態々お時間と場所を確保していただき、誠にありがとうございます。初めまして、ラヴァンディエ辺境伯家が一子、ベルナデット・イルセ・ラヴァンディエです」
物怖じしない様子で滑舌よくはきはきと喋りながら、気軽に右手を差し出してくるベルナデット嬢。
貴族の御令嬢が右手を差し出してきた場合、普通は手の甲にキスをするものだけれど、この勢いと手の向きは握手を求めてのものだろう。
(南方――中央海諸国の風習だな)
と、思いながら僕は握手を交わした。
途端にベルナデット嬢は『へえ……』と感心した表情をしてから、にこっ……じゃないな、『にやっ』という悪童のような悪戯っぽい笑顔を浮かべて、心なしか先ほどよりも気安い態度で、
「うんうん。聞いていた通りだね。ルネとアドリエンヌと貴方で三人目……男じゃ初めてかな。あたしの肌の色を全然気にしないで挨拶してくれたのは。なかなかいい男じゃないかルネ、あんたの兄さんはっ」
「当然ですわ。私の自慢の義兄ですもの」
胸を張るルネだけど、そんなたいした事かな? 肌の色がちょっと違うくらい。魔族の変種の多彩さに比べれば、丸っきり些細な違いだと思うんだけどねえ。
首を傾げる僕の表情がよほどツボにはまったのか、握手を解いた後もケラケラと楽しげに笑っているベルナデット嬢。
「いや~っ、いいな~。誰かのお手つきでなかったら、あたしの旦那に欲しいくらいなんだけどねぇ」
「やりませんよ。というか、いつまでも立ったままというのもなんですからお座りください。エレナ、お茶の支度を」
ルネに促されてテーブルを挟んで椅子に座る僕たち。エレナは事前に神殿で準備をしていたティーワゴンからティーセットを取り出して給仕を始めた。
「吝嗇だねえ、ルネちゃん」
「吝嗇で結構。それにベルナデット様にはレーネック伯爵家のフィルマン様という立派な(かどうかはわかりませんが)婚約者がいらっしゃるでしょう?」
座りながら茶々を入れるベルナデット嬢に、ルネがあながち冗談とも思えない口調で釘を刺す。
「ああ、それそれ――おっと、珈琲だね。ありがとう――それなんだけどさ」
エレナがテーブルに置いたカップの中から立ち上る芳醇な香りに、心底嬉しそうな顔をしながらベルナデット嬢はなんでもない事の様に、
「そのフィルマンをロラン公子にぶっ殺して貰えないかと思ってお願いにきたのよ」
「「――むぐっ!?!」」
さらりと口に出された婚約者に対する殺人教唆に、僕とルネは危うく口に含んだ珈琲を吹き出しそうになったのだった。
次回更新は11/21頃を予定しています。