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side:ソフィアさんの憂鬱(朴念仁&恋愛脳)

 オルヴィエール統一王国王都アエテルニタの中心市街地第一区。

 王都アエテルニタはおよそ百十六の行政区に分かれていて、そのうち王宮を中心にした一から四区までが特別区へと制定されており、基本的に外国人の立ち入り禁止及び市民であっても足を踏み入れる際には市民証の提示と審査が必要な別世界。高位貴族の館が立ち並ぶ選ばれた天上人だけの聖域(サンクチュアリ)となっている。

 その中でもとりわけ壮麗な館と広大な敷地をもつジェラルディエール公爵邸の中庭で、麗らかな日差しの下、チェストを持ち出して優雅にアフタヌーン・ティーを嗜んでいらした、絶世の美貌を持つ薔薇色の髪の麗人が、

「……ふう」

 小さくそして官能的にため息を放たれたのだった。


 恐らくは無意識の所作なのだろう。お茶を口元に運ぶ手つきも機械的で、とてもお茶を楽しんでいる風には見えない。

 普段であれば、いま口に含んでいる同じ重さの黄金よりも高価な、遥か遠い蒼陶国産の希少な茶器と白茶(白毫銀針(シルバーニードル)と呼ばれる最高の銘柄で、清らかな香りと繊細な味が特徴的)は彼女のお気に入りであり、どんなに気分が晴れないときでもこれを飲んだ後は、心地よさげなお顔をされていらした。けれどいまは心ここにあらず、という様子がありありと……本当に手に取るようにわかる。


 この様子を前に、給仕をしていた私ははっきりと確信した。

 嗚呼(ああ)、やはり私の女主人(あるじ)――誰よりも気高く高貴でお美しい公爵令嬢――アドリエンヌ・セリア・ジェラルディエール様は、現在(いま)道ならぬ恋をしておられる!


 アドリエンヌ様の専属メイドにして、畏れ多くも乳姉妹として生まれた時より十五年間、片時も離れずにお仕えしている私、ソフィア・フローラ・パルミエリは、そうしたアドリエンヌ様の日常に垣間見える些細な変化から、逸早くその事実に気付いていた。

 おそらくはこの事を察しているのは家人の中でも私だけだろう。ことによるとアドリエンヌ様ご本人すら意識していないかもしれない。


 だが、自分以上アドリエンヌ様をお慕いしずっと見てきた私にはお見通しだ。

 アドリエンヌ様の意中のお相手、ままならるぬ恋のお相手は勿論、婚約者であるエドワード・ハーヴェイ・クェンティン殿下――アドリエンヌ様を(ないがし)ろにする愚昧なこの国の第一王子――ではない。あの不誠実な男であるはずがない。

 アドリエンヌ様のお心が既に彼のお方から離れているのは明白……いや、前当主である大旦那様同様に、もともとアドリエンヌ様はこの婚約を忌避していたのだが、現当主である旦那様と国王陛下の是非にとの懇願を受け、ご自分の我儘(私はちっとも我儘だなどは思わないが)よりも、御家のため、ひいては国の安定のため、そして貴族に生まれた尊い義務として、苦渋の選択をされたのだ。


 もちろん、聡明でお優しいアドリエンヌ様は、だからといってお妃教育を怠けたり、エドワード殿下を軽んじるような言動を取ったことなど一度もない。国母となるべく血の滲むような研鑽を重ね、たとえ愛はなくとも将来の伴侶となる方に徳と情を持って接しようと、それはそれは親身になって接せられる努力をなされた……だが! あの厚顔無恥な男と無邪気を装った性悪女がすべてを台無しにしたのだ!!


 クリステル・リータ・チェスティ。

 その名を口にするだけでも胃の腑の底から怒りが湧いてくる、どこの馬の骨とも知れない男爵令嬢。


 そう、たかだか男爵令嬢如きが(ちなみに私は子爵家の三女である。そのくらいの家格がなければ筆頭公爵家の乳母や専属メイドが務まるわけがない)立場も弁えずにアドリエンヌ様の(政略結婚とはいえ)婚約者であるエドワード殿下を誘惑し、半ば公然と恋人気取りでその傍らに侍るようになったのだ。

 最初にそれを聞いた時にはまさかと思った。次にエドワード殿下の物好きによる遊び……私個人としては看過しかねるが、それを赦すのもまた女の度量、若い内の遊びは人生経験と看做される風潮もあり、まあ一時的な気の迷いであろうと、アドリエンヌ様ともども静観というか、アドリエンヌ様に従って取り乱すのも恥と考えて完全に無視を決め込むことにした。

 だが、それが悪かったのだろう。

 気がついた時にはエドワード殿下は完全にかの男爵令嬢に篭絡され、正当なる婚約者であるアドリエンヌ様を軽んじるどころか、完全に邪魔者として敵対する姿勢を鮮明に打ち立ててきたのだ。


 あああっ、なんて愚かな! そしてなんてお気の毒なアドリエンヌ様!

 当然、私をはじめアドリエンヌ様を慕う学園の御令嬢方も怒り、義憤に震えたものだが、常に冷静でかつ公正なアドリエンヌ様はそんな私たちを嗜め、決してエドワード殿下やその噂のお相手に悪意を向けないようにと戒められた。そのような嫉妬は醜いものであり、一時的な感情の発露は周囲に軋轢をもたらすだけであるから。エドワード殿下も時間が経てばきっと理解してくださる筈……。


 そう口に出しながらも一番傷ついているのはアドリエンヌ様の筈なのに!

 そのことを十分に理解している私たちは何も言えなかった。だけどずっと願っていた。このお方に救いを! アドリエンヌ様へ心からの笑顔をお返しください! そう神へ祈らずにはいられなかった。


 そして、その願いは神へ届いたのだ!

 そんな傷心のアドリエンヌ様をそっと支えて、見守ってくれる殿方が現れた。


 その名は、ロラン・ヴァレリー・オリオール様っ。


 統一王国の貴族であるなら知らぬ者のない、ジェラルディエール公爵家と並ぶ名門貴族であり我が国でも最古にして最強と名高く歴代の〈神剣の勇者〉様を輩出してこられた公爵家のご嫡男にして、数百年ぶりに現れたという当代の〈神剣の勇者〉様であらせられる、まさに神の御使い。


 ちなみに歴史上『神剣』は幾たびも(一説に寄れば時代の区切りや、魔族や魔王の活動が活発になった際にこれを掣肘(せいちゅう)するため)顕れ、その時代時代屈指の能力を持った人物が使い手として神剣に選ばれた――とされているが、オリオールこそがその最初の勇者の家系であり、事実その後も『オリオールの祝福』と呼ばれる、彼らだけにしか発現しない空色の髪色と菫色の瞳という特徴的な形質を持った方が〈神剣の勇者〉様として、〈神剣〉に選ばれる確率が非常に高かったらしい。


 とにかくもロラン様も〈神剣の勇者〉と呼ばれるに相応しい能力と家柄、何よりも素晴らしい人格と容姿をお持ちになった素敵な方であった。

 そのことを私は身を持って知っている。

 ほんのしばらく前に、ならず者に襲われた〈ラスベル百貨店〉襲撃事件。その際に、油断から人質となった私(と五人の婦女子)を、たちまち救ってくださり、最後まで私たちの心配をされてくださったまさに勇者様!


 ああっ、あの方の事を考えただけで胸がときめくこの想い……アドリエンヌ様に対するものとは似て非なるこの甘酸っぱい感情。これこそが恋なのだと、何度密かに寝台(ベッド)の上で身悶えしたことか。


「ソフィア、貴女最近学園に随行するのがずいぶんと楽しそうね?」

「そ、そんなことはないですよ」


 そうしてロラン様と一目会えないかと、エドワード殿下らと遭遇するのを懸念して、以前は苦痛でしかなかったアドリエンヌ様に付き従っての学園通いもいつしか心待ちになり、アドリエンヌ様から怪訝な目で見られるようになったくらいだ。


 だからその事に最初に気付いたのもやっぱり私だった。

 ロラン様……ロラン様はアドリエンヌ様を意識されておられる!

 今まで同様にエドワード殿下に追従するような言動を取りながらも、さり気なくアドリエンヌ様を気遣い、その一挙手一投足に注意を払って肝心なところでアドリエンヌ様のお味方をしてくれている。


 その事に気付いた瞬間に、私はアドリエンヌ様の専属メイドとして眼の醒めるような歓喜と、ソフィア・フローラ・パルミエリ個人として失恋の悲哀を同時に味わったのだった。

 わかっている。これはアドリエンヌ様にとって唯一の福音であり、私はそれを心から祝福しなければならない立場なのだ……と。


 それでも私の中に僅かに残っていた初恋に対する執着心が、醜い嫉妬心がそのことを口に出して、アドリエンヌ様へ告げることを躊躇わせていた。

 だけどもともと聡明で気配りの絶えないアドリエンヌ様のこと、多少恋愛に晩生(おくて)朴念仁(ぼくねんじん)であるきらいがあろうとも、早晩そのそのことに気がつくのは目に見えていた。そうなれば、秘められた恋心を自覚するのは火を見るよりも明らかだった。


 しかしアドリエンヌ様は公式に認められたエドワード殿下の婚約者。どうあってもこのままではアドリエンヌ様の恋が……なによりも幸せが成就されるわけがない。

 なんとかしたい。だけど、一介のメイドである私にできることなど……。


 密かに歯噛みする私へ向かって、或いは自分に言い聞かせるような口調で、ふとアドリエンヌ様は口出された。

「――ねえ、べス……エリザベスはどこにいるのかしら?」

 『エリザベス(べス)』というのは先日、アドリエンヌ様がどこからか拾ってきた雑種の仔猫のことである。

「モナ……こほんっ。エリザベスならお昼を食べて私の部屋で先ほどまで寝ていましたけれど?」

 『モナ』というのは、アドリエンヌ様が名前をつけるのに四日もかかったため、その間名無しも可哀想なので私が仮につけた愛称だったりする。

「あの子いつもあなたの傍にいるわね。拾ってきたのは私なのに……」

「仕方ありませんよ。日中のお世話は私と庭師のセザールが主にしているので」

 ちなみにセザールは仔猫のことを勝手に『キティ』と呼んで、これが一番仔猫の反応が良かったりするのは、私の胸の内に仕舞っている秘密のひとつである。

「私だってもっとべスと遊びたいのに……」

 不満そうに唇を尖らせるアドリエンヌ様。よかった、仔猫の話題で少しは気が晴れたようだ。


 そう安堵したのも束の間、アドリエンヌ様は再び沈んだ――いや、自嘲するような、いままで見たこともない儚げな笑みを浮かべられた。

「……ままならないものね。本当に私は何を見ていたのかしら。真実はすぐそこにあったというのに、周りの意見や思い込みから事実に目を背けていた。いまさら取り返しがつくとは思えないけれど、けれどできることなら――」

「…………っ!!」


 その瞬間、私の体に電撃が走ったような気がした。

 これほど……これほどアドリエンヌ様は思い詰めていらっしゃる。ロラン様との禁断の恋に!

 ならば一介のメイド如きと諦めている場合ではない。

 大好きなアドリエンヌ様のために。ほのかな恋心を抱いたロラン様のために私ができること――。


 そうだ。考えを変えればいいんだ。メイドだからできないのではなく、メイドだからできること……それは……。

「!?!」

 刹那、私の脳裏に天啓が落ちた。いや、もしかすると悪魔の囁きだったのかも知れない。

 だけどこの手なら……!


「――アドリエンヌ様」

 私は空になったカップに追加のお茶を注ぎながら、なにげない風を装ってアドリエンヌ様へ語りかけた。

「なにかしら?」

「お願いがございます。明日より貴族学園へ赴く際には私ともう一名、身の回りをお世話するメイドの追加人員をお認め願いいたいのですが」

「その程度は問題ないけれど、なぜかしら?」

「待ち時間を利用して、学園内で調査したいことがあるためです。万一に備えて私がいない間にその者に待機させておきたいので」

「調査? 必要なら暗部に調査させるけれど?」


 当然といえば当然、ジェラルディエール公爵家子飼いの〈影〉の存在を匂わせるアドリエンヌ様。

 だけども私の目的は調査結果よりも、どちらかといえば『アドリエンヌ様の専属メイドであるソフィア』が調べているという過程が知れ渡ることのほうが大事であるので、この場合は〈影〉では不適当なのだ。


「いえ、貴族学園の御令嬢相手に噂話を聞く程度ですし、それならばアドリエンヌ様のメイドで仮にも子爵家の三女である私のほうが気楽に話を伺えると思いますから」

「ふぅん? 珍しいわね貴女が御令嬢方の風聞に興味を抱くなんて。何が知りたいの?」


 ここが正念場だ。嘘はつけない。私はアドリエンヌ様の瞳……ルビーのような類い稀な瞳を真正面から見据えてはっきりと言葉にする。

「クリステル男爵令嬢のことを。アドリエンヌ様の憂いを晴らすために調べます!」

 刹那、驚愕のあまりアドリエンヌ様の手から蒼陶国産の茶器が滑り落ち、地面に落ちて入れ直したばかりのお茶が残らず零れた。

 

 芝生のお陰で茶器が割れなかったことに安堵しながら、屈みこんでそれを拾った私の背中へ、アドリエンヌ様のようやく搾り出した喘ぐような声がかけられる。

「ソフィア……貴女、気付いていたの……?」

「勿論です」


 震える声にそう頷きながらも私は納得していた。ああ、やっぱり私が思いつくような浅墓な考えは、既にアドリエンヌ様の胸中にもあったのだな。でも、その公明にして高潔な人格が、その行為を良しとしなかったのだろう。

 私が考えたそれ。

 エドワード殿下との婚約が問題となっているのならば婚約を解消すればいい。けど基本的に王子との婚約に対して公爵家から破談を申し込むことはできない。ならばエドワード殿下から婚約破棄を言い出させればいいことだ。


 その方法は、業腹だけれど例のクリステル男爵令嬢とエドワード殿下を、今以上に明確にくっ付けてしまえばいいのだ。

 破談となれば普通は令嬢側にダメージが大きく、大抵はその後の結婚を諦めて修道院などに入るものだが、相手に大きな落ち度(勝手な婚約破棄)や醜聞(馬の骨の男爵令嬢を選ぶ)があれば、こちらは被害者であると法廷でも社交界でも胸を張って言えるだろう。

 そうなれば大手を振ってロラン様との再婚約も十分に可能になる。


 では、クリステル男爵令嬢とエドワード殿下を今以上に親密にさせるにはどうすればいいか。簡単だ。あの単細胞の殿下のこと、周りに障害があればあるほど恋愛にのめり込むだろう。あれは絶対に焼け木杭に火がつくタイプだ。

 そう、私が動き回ることで、いままで無視を決め込んでいたアドリエンヌ様が、クリステル男爵令嬢を意識するようになったと噂されば、あの文字通りの下種の勘ぐりをする殿下は、それはすなわち自分たちの仲を切り裂く破壊工作を始めたと看做すに違いない。


 いや、もちろんそんなことはしない。ただ私がクリステル男爵令嬢の噂話をそれとなく聞き回るだけだ。

 だがあの浅慮で嫉妬深いエドワード殿下は確実に深読みをする。そうして焦ればしめたもの。勢いに乗じて既成事実をクリステル男爵令嬢と結んだ上で、自発的に公衆の面前で婚約破棄を申し出ればしめたものだ。こちらは証拠を揃えて不義密通を訴えれば勝てる。

 その過程でアドリエンヌ様にまたもや無用な心の傷を負わせることになるかも知れない。そのことだけは慙愧に堪えないけれど、その先の幸せを信じてそのことは私の一生の後悔として死ぬまで心に刻んでおこう(最近、胸に仕舞っておくことが多くなったせいか、バストサイズが変わってきたけど)。


「…………」

 そんな私の提案に、チェストに座ったまま瞑目して考え込んでいるアドリエンヌ様。

 どのくらい時間が経過しただろうか……。

「……わかったわ。確かに私が直接聞いて回るわけにはいかないものね」

 顔を上げられ、窮余の一策……という表情で頷かれた。


「――では?」

「ええ、だけれど無理はしないで(派手に動いて周囲に悟られないようにお願いね)」

「はい、心得ております(周囲にバラすように、なるべく口の軽そうな御令嬢に接触します)」

 乳姉妹としてお互いに口に出さない部分で以心伝心。アイコンタクトで合意をする。


「喉が渇いたわ。追加のお茶をお願いね」

「わかりました。では茶器を換えて、次は取って置きの黄茶を煎れて参ります」

 一礼をした私はすっかり冷めたポッドと茶道具をトレーに乗せて、その場を後にした。


 さあ、明日から忙しくなるわね!

11/18 誤字修正しました。次回の更新は11/19 夜を予定しています。


アドリエンヌとの関係は、実母にソフィアの兄が生まれて乳離れした頃にアドリエンヌの乳母の話が来て、その後、1歳くらいまでアドリエンヌの世話をした後、一旦実家に帰った実母が翌年にソフィアを生んで、この娘は将来的にアドリエンヌのお世話係りにしようと、乳飲み子を抱えたまま乳母に復帰。実母は現在は子爵家に戻っていて、ソフィアだけが公爵家にお世話になっている形です。

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