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side:アドリエンヌと迷子の仔猫ちゃん(舞台裏は修羅場)

 最近、アドリエンヌ様があの男爵令嬢――第一王子を骨抜きにして、学園屈指のイケメン御曹司たちを侍らせ悦に耽り、ドミニク様を破滅させた――例の下賎な女の経歴や動向を密かに探らせているらしい。

 そうした噂が学園の女子生徒の間にひっそりと、そして着実に草の根のように広がっていた。


「いままでは我関せずだったアドリエンヌ様が、ついにあの阿婆擦(あばず)れの所業に業を煮やされたのね」

「なんでも連日逢瀬を重ねているとか。先日などは男子禁制の女子寮に殿下を連れ込んだそうよ!」

「信じられない厚かましさね。さすがに寛大なアドリエンヌ様も堪忍袋の緒を切らされて当然だわっ」

「まああっ、なんてこと! 身分と立場を弁えない平民上がりが、付け上がって恋人気取りかしら!? アドリエンヌ様がお怒りになるのも当然ですわ!!」

「そういえばアドリエンヌ様が猫を飼われたらしいのですが……」


 そうして、程なくアドリエンヌ派の御令嬢たちの耳にも、まことしやかにその噂が届いて、その結果それはほとんど確定事項のように流布し始めた。

 もっとも、当の本人であるアドリエンヌは周囲に悟られないように、さり気なく探っている……つもりのようであったため、その事について面と向かって確認する無粋な御令嬢もおらず、結果的に当人の知らないところで噂はひとり歩きしてしまったのだが……。


 せめて初期の段階でルネ公爵令嬢やエディット伯爵令嬢といったアドリエンヌと親交が深く、また客観性に優れ、発言力もある者達が真偽を確認して火消しに回っていれば、そのようなことはなかった筈であるのだが、この時期は間が悪いことに『フェーヌム平原の会戦』敗戦の報を受けて、

「いっそ反乱軍へ情報を意図的に漏洩させて殿下を亡き者にした後、お義兄様が華麗に反乱軍を殲滅して、その勢いに乗じて玉座を禅譲(ぜんじょう)させるというのはいかがでしょう?」

 と、白孔雀の羽で作られた扇を広げて、何やら東洋の軍師のように天下を掌握する計画を立てたり。

「王子の親征となると近衛騎士も同行ですから、これは飼葉やそれに付随する物資の不足が確実ですわね。いまのうちに買い占めて置くように指示をして……ああ、あとボロ負けに負ける公算も強いので、海外へ国民が亡命する希望者用に臨時の馬車と……」

 取らぬ狸の皮算用で、算盤片手に商売人の血を騒がせていたりと、はっきりいって御令嬢同士の派閥争いなどに関与している暇がなかったのが不運であった。


 それは、他の理性ある高位貴族の御令嬢方も似たり寄ったりで、一瞬でも気を抜けば生き馬の目も抜かれるこの混乱期、いずれも己の領地や国政に関することに掛かり切りになっていたため、結果的に「戦争? 遠い遠い世界のお話ですわね~~」という、お花畑に生きていられる(それがスタンダードなのだけれど)御令嬢方の気を利かせたつもりの、大きなお世話の動きを止めることができなかった。

 そうして、気付いたときには既に後手に回っていたのである。


 さて、それはともかく確かにこの噂の元になった、アドリエンヌ嬢がクリステル嬢に対するスタンスの変化があったことは確かであった。

 そのあたり、この噂が流れるようになった少し前に時間は遡る。

 エドワード第一王子とクリステル嬢が会って、『フェーヌム平原の会戦』について話をした直後にその切っ掛けがあったのであった。


 ◆


「……にゃ~……」

 珍しく取巻きも周囲にいない状況で、講義も終わって帰り支度をしていたアドリエンヌの耳に、か細い仔猫の助けを求めるような声が聞こえてきた。

 ぴくり、と耳をそばだてたアドリエンヌは、その声が講義室の後方、半分開いた一番後ろの窓の外から断続的に聞こえてくるのを確認した。


 幸い室内にはもう残っている生徒はさほどいない。

 その数人がアドリエンヌに挨拶をして出て行ったのを確認してから、そっと抜き足差し足で窓のほうへと向かう。

 位置的にこの講義室は二階の角部屋に辺り、窓の外にはわずかばかりの煉瓦の出っ張りと、二メトロンほどの距離を隔てて等間隔にポプラの結構な大木が植えてある。新緑の若葉が芽吹いている枝は四方へと張り出して、もうちょっと手が届く場所まで張り出していた。


 仔猫がいるとしたら出っ張りの部分かポプラの枝だろうと見当をつけて、まず窓の下をぐるりと見回してみたが、それっぽい姿はなかった。

 続いてポプラの木を目を凝らして見てみれば……ああ、いたいた。ちょうど一番後方の窓から身を乗り出して、手が届く高さに太い枝を延ばしている木のほぼ反対側の枝の根元に、まだ乳離れできたかどうかという仔猫が蹲っている。


「ホラホラ、怖くないからおいでなさい」

 窓際から手を伸ばして仔猫を招き寄せようとするのだけれど、幹が邪魔で仔猫は動けないでいるようだった。

「……しかたないわね」


 こういう場合に即断するのが彼女の持ち味である。

 誰かに頼むほどのことでもないし、かといって控え室で待っているメイドのソフィアに言ったら絶対に反対されるに決まっている。それにあまり遅くなると、ソフィアが心配して様子を見に来るかも知れない。

 そう瞬時に判断したアドリエンヌは周囲の目がないのをいいことに、さっさとミュールを脱いで、ついでにガーターから靴下を外して裸足になった。

 それからスカートの裾をたくし上げて、邪魔にならないように腰の後ろで結ぶ。これまでの行動にはまったくの遅滞がない、実に手馴れた動きである。


「こんなものかしら……?」


 足元の動きやすさを確認してから、窓を完全に開け放って、周囲に完全に人目がないのを確認をして、窓枠の上に手をやって軽々と窓を乗り越えて、一旦窓の外の縁のところで姿勢を整え、「えいっ!」と、軽々と宙へ飛び出し、手近なポプラの枝に猿のような身軽さで飛び乗った。

 まったく危なげのない見事な動きである。もっとも、公爵令嬢が素足もあらわに講義室の窓から木の枝に飛び移るとか、はしたないどころか第三者が見たら正気を疑う光景であるが……。


「にゃ!?」

 さすがに完全に着地の振動を殺しきれずに枝が揺れ、振り子の共振のように反対側の枝も揺れ、その勢いで仔猫が転げ落ち――落ちかけたところを、素早く枝を伝わって幹のところまでダッシュしたアドリエンヌが危なげなくキャッチした。


「はい、大丈夫でちゃか? 怖くないでちゅよー」

 そのままぶるぶる震える仔猫を胸のところで抱き締めて、よしよしと撫でながら幼児言葉であやす。

 目を閉じたまま怯えが止まらない様子の仔猫ちゃん。

「よしよし、にゃー君……あら、にゃーちゃんかしら? ああ、女の子ね。にゃーちゃんのママはどこでちゅか? 迷子でちゅか? よしよし、大丈夫でちゅよー」

 もうしばらくこうしていたほうがいいわね、と判断したアドリエンヌは枝を椅子代わりにして、その場に座り込んだ。


 そうやってしばらく撫でている内に、ようやく震えが収まってきたところで、不意に仔猫が耳を立てて恐々下に注意をやっているの気付いて、アドリエンヌもつられて下を見る。


「――ッ!?」

 危うく声を上げそうになったのをどうにか堪えた。

 いつの間にかポプラの木の下に女子生徒がひとり立っていたのだ。

 まあそれならばいい。普通の人間はまず目線より高いところをわざわざ見上げて見ようとはしないだろう。それにポプラは結構枝葉が茂っているのでアドリエンヌの姿を隠すのに十分あるし、万が一バレたとしても適当にお茶を濁せば、大抵の無理は通る立場であると少なからず自覚はしている。


 だが、今回はそれが通用する相手とは思えなかった。

 なにしろ、その女子生徒というのが大問題なのである。

 アドリエンヌも直接の挨拶はないものの、遠目に何度か見たことがある銀糸のように細くて長い髪と妖精のようにしなやかで小さな肢体を持った少女。

 見間違いようがない、すなわち婚約者である彼女をないがしろにして、エドワード第一王子が夢中になっている女性。噂のクリステル・リータ・チェスティ男爵令嬢その人であるのだった。


「……はあ」

 何か心配事でもあるのか、たっぷりと憂いを含んだため息をついて項垂れているクリステル嬢。

 なるほどエドワード第一王子以下取巻き連中が夢中になるのもむべなるかな。同性の自分が見ても思わず庇護欲が沸きあがるような――ちょうどこの胸に抱いた迷子の仔猫のような――可憐かつ繊細さを感じさせる娘である。


 と、思ったのも束の間――。


「なんで女子寮で待ち伏せしてるんだよ、あのストーカー王子がっ!」

 絶叫とともにポプラの木の幹に蹴りが入った。

「他の野郎だったら寮母さんだって追い返すだろうに! 王子で顔がいいからってホイホイ招き入れるとか、どーなってんのよ、セキュリティ!? あたしの唯一のオアシスが聖域が、どんどんとあのウザ王子に侵食されて行く! もう耐えられないわ!!」

 ガスガスガスガス、と腰の入った回し蹴りが次々に叩き込まれる。

「んで、他の寮生に陰口叩かれるのはあたしなんだよ! なんでよ、あたし被害者じゃないの!? あたしのせいじゃないのに、どーせ明日あたりはあたしが寮に王子を連れ込んだとか、誑かしたとかないことないこと噂されて、学園の女帝、紅薔薇様とその一味に睨まれるんだ~~っ!!!」

 ほとんど半狂乱で今度は拳を幹に叩きつけるクリステル嬢。構え自体は素人なのだが、喧嘩慣れしていると一目でわかる堂に入った連打であった。

 ちなみに言うまでもなく『学園の女帝』とか『紅薔薇様』というのはアドリエンヌの学園での二つ名である。

「もーいいい、もー、イケメンはあたしの人生には十分よ! ホント、地の果てでも戦場にでも行って帰ってこなきゃいいのよ! つーか、婚約者なら婚約者らしく馬鹿の首輪をしっかり握っててくださいよ、紅薔薇様! せめて野放しにするのはホント止めてくださいよ!! いい加減、あたしもストレスで死にますよ!」

 ひとしきり言いたいことを言い放って手足を振り回し、多少は気が落ち着いたのか、げほげほ……と、咳き込んだところで大きく嘆息したクリステル嬢は、最後に「……はあ」と、小さくボヤいて、とぼとぼと肩を落としてその場を後にした。


「…………」

 その小さな後姿を、凝然と目を見張って見詰めるアドリエンヌ。

 やがて校舎の影に見えなくなったところで、「にゃ~っ」と小さいながらも元気に仔猫が鳴いて、同時に講義室の方から自分を探すメイドのソフィアの声が聞こえてきて、ようやくアドリエンヌは我に返ったのだった。

明日は所要で更新できないかも知れません。

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[良い点] 猫を助けるために木に飛び移るアドリエンヌとか 地を出しまくりのクリステル嬢とか 意外性の宝箱やー めちゃくちゃ面白いですね
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