side:偽りの男爵令嬢(超ヤヴァイ)
寝起きはいつも速やかである。
朝が来たのを飾り気のない木綿のカーテン越しに感じたクリステルは、ぱちりと赤褐色の瞳を開くと同時にシーツに包まったまま軽く伸びをしてみた。
「……うん。昨日よりもダルさが薄らいでいる」
ほっと安堵の吐息を漏らしながら、いったん寝台の縁へ腰掛ける体勢で身を起こし、寝巻き代わりの粗末なワンピース姿のまま、手を延ばして枕元のカーテンを開けた。
眩しい朝日が女子寮に隣接されている木立に遮られて柔らかく微笑んでいる。小鳥の囀りも清々しく聞こえる。
クリステル・リータ・チェスティ。
いちおうは貴族の末端ということになっている。もっとも、男爵令嬢の庶子という立場では、こうして学園に隣接する女子寮の一室を借りるのがせいぜいの苦学生であるが。
寮の窓に備え付けのごわごわの木綿のカーテンも、聞いたところでは子爵や伯爵といった本物の貴族の御令嬢の部屋にしつらえられているものは、草花や風景といった模様を織り込んだ豪華な織物をふんだんに用いた亜麻布らしいし、同じく肌着も最高級の亜麻布。下着は絹というまさに別世界の話である。
「はあ……」
もっともいま現在はその別世界に曲がりなりにも所属しているわけだけれど、いまだにどうにも場違い感が拭えない。
ぼさぼさの銀髪を掻きながらため息をつくクリステル。
まあ彼女も一応は女の子。貴族学校へ特待生として編入が決まった……目標としてそれを狙っていたのは確かであり、そのための努力も惜しまなかったけれど、それでも不安が先立つ中、多少は期待していたのだ。
見目麗しい王子様や貴族の御曹司を物陰から鑑賞することが出来る特権を。目の保養を!
でもって、同じような立場の下級貴族と一喜一憂して、腐った……もとい気の合う友人を作って呑気な学生生活を謳歌するささやかな目標。そんなことを夢見ていたというのにっ。
「――なんで王子を筆頭に学園のイケメン七傑衆があたしの周りに群がるわけよ!?」
ちなみに『イケメン七傑衆』というのは、密かに学園の腐……婦女子が命名した渾名で、どいつもこつも派手な色合いのエドワード王子とその取巻きをひっくるめてものであった。
もっともつい最近、七傑衆の一角である、ドミニク伯爵令息様が親の失脚のあおりを受けて学園を去るという噂があるので、そのうち名称も『イケメン六光星』とかに変わる可能性が高いけど。
とにかくも理不尽であった。
「おかしいじゃん! こっちはたかだか男爵家の娘だよ!? それも素性も知れないような身分卑しい庶子だっつーのに、なんであいつらが絡んでくるわけ!? だいたい王子とか公子とか天上人っしょ!? あいつらって下々の者にとっちゃ観賞用じゃん! 生で隣にいるとか包囲するとか、蛇に取り囲まれた蛙状態だよ。あたしをストレスで殺す気かってーの!! いっそ殺せ、馬鹿ヤローッ!!!」
猛るクリステル。
ふと、脳裏にいまは亡き実母の口癖が甦った。
『いいクリステル。人は誰しも足りないものを探して漂泊を続ける運命の元に生まれているのよ。それは物であったり形のないモノであったりするわ。焦らないで。妬まないで。それが自然なのだから……』
「ですがお母ちゃんっ。あたしの周りには必要ないものが山ほど増える状況なんですけど!」
天上人は天上人同士で付き合ったり惚れた腫れたしてればいいものを、連中が四六時中クリステルの傍にいるせいで他の生徒は男女問わずに腫れ物に触る体で距離を置く――お陰で本来はふたり部屋の筈の寮も、同居人が嫌がってひとり侘しく病気の時でも横になってなきゃならない。
そんでもって諸悪の元凶である第一王子率いる七傑衆は、クリステルに何か変な幻想を抱いているらしく、下手な口は利けない――普通に喋ったらボロが出そうだし、そもそも共通の話題がない――状態なので、文字通りの孤立無援なのであった。
と、病み上がりに興奮し過ぎたのか、胸の奥に鈍痛を覚えたクリステルは軽く咳き込んでから、傍らのナイトテーブに置いてあった(寮母さんが準備してくれた)水差しの水を飲んだ。
貴族の令嬢ならコップに移して飲むものだろうが、誰が見ているわけでもないので豪快な直飲みである。
一応、医者から粉薬も貰ってはいるけれど、気休め以上の効果がないことを知っているので、机の引き出しに入れっぱなしであった。
ちなみに引き出しに他に入っているものはといえば、ヘアブラシくらいで化粧品のひとつもない状況である。なお、その理由は、
「……なんで後で落すものをわざわざ塗らなきゃならねーのよ?」
と、いう非常に男らしいものであった(あと周囲に女性の友人が一切いないため)。
ともあれ医者は単なる疲れによる風邪と診察したようだが、当の本人にはもっと明確な理由がわかっていた。
「ロラン公子……あの時間に校舎内で〈神剣〉を使って魔物を祓ったそうだもんね」
まず間違いなくその余波を受けての悪影響だろう。
体の芯が傷ついたかのようなダルさと悪寒。まだしも多少の距離があったお陰でこの程度で済んだけれど、逆に言えばそれでもここまで弱るということは、直接に神光を浴びたらどうなっていたことか……。
いまさらながらこの身に流れる忌むべき血を自覚して、クリステルはため息をつきながら再び寝台に横になった。
幼い頃、母と放浪の旅をしていた当時、周りの人たちは皆親切だった。
親身になって母子の面倒を見てくれて、時には自分の分の食べ物を削っても、さらには命がけで助けてくれたこともあった。
世界は美しく等しく善意に満ちている……そう無邪気に思っていた。
だけど違った。なぜ母が一箇所に定住しなかったのか、なぜ男性たちが無償の愛を捧げてくれるのか。その意味を知った時、彼女にとっての世界の形は歪んでしまった。
横になったままふと考える。
最初に命じられた通りにこの国にいた実父(実感はないが)に接触をして、貴族学園へと編入することができた。あれからもう二年。その後はまったく指示は出ていないが、出ていないということはいまのところヘマはしていないということだろう。
あの連中は慎重だ。頻繁に連絡を寄越すような危険な綱渡りはしない。
だが、さすがに半年後に卒業を控えたこの時期に、何もリアクションを起こさないということはないだろう。次は何をしろというのか……。
不安になって寝返りを打った拍子に、机の上の花瓶に生けられている色とりどりの花束が目に飛び込んできた。
あの第一王子と七傑衆が『生徒会からのお見舞い』の名目で贈って来た花束だそうで、寮母さんの話では相当に高価で金貨二枚くらいの価値があるらしい。
アホか、食えるわけでもないのに! と、思ったものの枯らすのも惜しいので飾って貰った。
そういえば連名ということは、ロラン公子もこれに賛同して贈ってくれた……ということだろう。
「……どうなんだろうな……」
まったくの勘だけれど、どうも最近ロラン公子が自分を観察するような目で見ているような気がするのだ。
以前はほかの男と同じく、彼女の信奉者という態度で賛美を贈ってくれていた彼だが、ふとした拍子に仮面の奥からじっとその一挙一動をつぶさに記録しているような、そんな冷徹な視線を感じるようになった。
そんなことはいままでになかったことだ。
もしかしたらすべてがバレているのではないだろうか!? あの〈神剣の勇者〉に!
ぶるりと震えたクリステルは、花束に背を向けて頭からすっぽりとシーツに包まるようにして横になった。
今日中に人物紹介を追加して一章の終了となります。