side:三匹の公爵(オヤジたちは目論む)
感想でも初期のころから話題になっていた、大人はなにをしているんだ? に応えての大人組の話です。
臨時に開催された貴族院議会は紛糾に紛糾を重ねた。
イルマシェ伯爵領で沸き起こった武装蜂起と事実上の領都制圧。
それを収めるべき立場のイルマシェ伯爵の不正の発覚と、下手をすれば外患誘致とも取られかねない隣国ドーランス魔族自治領に所属する武装魔族の大量誘致(自治領主である魔王は、あくまで一部過激派の独断として、迅速に公式の使者と親書を送ってきた)。
さらには国内有力貴族や王宮から家妖精が大量に逃げ出したことによる世情の不安。
次々と詳らかになる領主貴族の不手際に法衣貴族の議員が噛み付き、領主貴族は領主貴族でお互いに責任の擦り付け合いを繰り返し、会議も三日目になったというのに碌な結論も出せない状況であった。
国王陛下が立ち会っての御前会議でなければ、さぞかし壮絶な罵り合いになっていたことだろう。
『会議は踊る、されど進まず』を地で行く状況を前に、いい加減虚しくなったのと、また会場に充満する葉巻の煙に辟易したのもあって、ロランの実父にして現オリオール公爵家当主、アルマン・ギャスパル・オリオール(三十八歳)は一旦会場を後にして、議員用カフェで一服することにした。
傍らには控え室に待機していた執事のジーノ・クヮリヤートが、当然のように音もなく現れて控えている。
「――ふう。予想はしていたけれど、法衣貴族の領主貴族に対する対抗意識は年々高まっているようだね。感情的になってまともな論議にならないときた。貴族院だけで国政を回すのはそろそろ限界だね。議会を二つに割って法衣貴族は法衣貴族で個別に議会を設ける時がきたかも知れないね」
給仕に持ってこさせた香りの高い珈琲を口にしながら、そうぼやくアルマン。
あのロランの実父なのだからさぞかし素晴らしい美男子なのだろう、と思って社交界で期待に胸膨らませ挨拶をする若い御令嬢方も数多いるのだが、そのほとんどが(表には出さないけれど)肩透かしを食ったような思いを抱くだろう。
なぜなら彼自身は、そこそこ顔立ちが整った髪もブルネットに瞳も碧眼というどこにでもいるようなごく平凡な容姿の男であるからだ。
「左様でございますな」
アルマンの傍らに立ったまま必要最小限の相槌を打るジーノ。
それから軽く目配せをした後、流れるような仕草で一歩アルマンの背後に下がって、恭しくやってきた人物ふたりに一礼をした。
「ようっ、お前さんも休憩かい?」
伝法な口調でそう挨拶をしながら気軽に近づいてきた初老の男性。
オルヴィエール統一王国の五公爵家の一角であるオリオール公爵家の当主に向かって、対等に話し掛けられる人物は限られている。まして、こうまで気軽に声をかけてくる者など五本の指に収まるだろう。
一声掛けられた瞬間、その相手を看破したアルマンは、失礼にならない程度に急ぎ腰を上げた。
「――これは総長閣下。閣下も休憩ですか?」
問われた彼こそは、ジラルディエール公爵家前当主にして貴族院名誉総長、さらに付け加えるのなら現王位継承権第四位であるオルヴィエール統一王国屈指の重要人物中の重要人物である、ラモン・ベンセスラス・ジラルディエール(五十九歳)その人である。
孫娘とよく似た(いや、孫が似ているのか)派手な顔立ちに白いものが混じった赤毛がトレードマークの伊達男は、快活な口調で大口を開けて答えた。
「ああ、俺も一服だ。ま、あんなかったるい会議なんぞ、俺ぁ二日目から座ったまま寝て過ごしていたけどな」
貴族院名誉総長とも思えない歯に衣着せぬ言いように、アルマンは相変わらずだなと思いながら、さらにその背後へと視線を送って、これまた恭しく一礼をした。
「ご無沙汰しております、フランシス大公閣下。ご壮健そうでなによりでございます」
視線の先には、側頭部に僅かに白髪を残した赤ら顔の巨漢の老人がステッキ片手に聳え立っている。
フランシスクス・トリニダード・ベイエルスベルヘン公爵(八十四歳)。
彼こそ先々代国王の王弟に当たり、現王位継承権第一位を保持する最重要人物と言っても、決して過言ではないオルヴィエール統一王国の大王とも目される人物であった。
ちなみに比較的短命で食の細い代々の王族の中にあって(その血筋は現第二王子であるジェレミー王子に顕著に現れている)例外的に頑強な肉体を持っており、なおかつ食道楽にして大食漢を自認しているだけあって、この年齢にあっても会うたびに横に成長している恐るべき人物でもある。
なお、この国には『大公』という身分はないため、この呼び名はあくまで彼個人に対する尊称という意味合い以上のものはなかった。
「うむ、久しぶりだな。公とはかれこれ一年ぶりか? ラモン同様に相変わらず碌なものを食っておらんと見える。それとも節制を心がけておるのか? やめておけやめておけ。生き物の本分は食うことだ。無理に押さえると、儂の兄(先々代国王)や甥(先代国王)のように、四十、五十でポックリ逝くぞ。悔いのないように上手いものを鱈腹食わねばならん」
ステッキを振り回して力説しながら、待機していた給仕に紅茶とサンドイッチの盛り合わせ、アップルパイ、ウェルシュアビット(チーズトースト)を注文するフランシス大公。
この方も相変わらずだなぁと思いながら、このタイミングでこのふたりが揃って来るということは、どう考えても自分に用事があるのだろう……と察したアルマンは、丁寧にふたりに同席を促した。
「んじゃそうするか。ああ、俺はレモンティーにチーズとジャム、あとスコーンを頼むわ」
「そんなものでは腹の足しにもならんじゃろうに……ああ、ではお言葉に甘えて相席させてもらおう」
心得たものでふたりとも自分たちの侍従にステッキや手袋を預けて席につく。
なにはともあれ、オルヴィエール統一王国の貴族を仕切る五公家のさらにトップであるジラルディエール、ベイエルスベルヘン、オリオールの事実上の最高決定権を持つ三人が同じテーブルについた。
その意味を察した他の貴族や議員はそそくさとその場を後にし、ジーノたち各家の執事や秘書、侍従たちは(当然、訓練された護衛を兼ねている)、阿吽の呼吸で周囲に第三者が近づかないよう、自然かつ完璧な布陣を敷くのだった。
「ところで、反乱軍の処遇はどうなりますか?」
しばし雑談をしたところで、アルマンがなにげない口調でラモン公に尋ねると、
「ま、首謀者は全員断頭台にかけて、参加した農民の責任者にあたる者は財産を没収して国籍剥奪の上、国外追放といったところだろうな」
現在、それを議論している……というか、まだ反乱軍と国軍が衝突もしていない状況なのだが、既に規定路線という口調で答えが返ってきた。
「……やはりそうなりますか」
「ああ、連中は初動を間違えたな。領主代行や代官を殺さずに人質として、イルマシェの悪政を声高に糾弾していれば、こちらとしてももうちょっと穏便な手を使えたんだが」
お陰でイルマシェ伯爵はある意味被害者という形になってしまったので、管理責任はあるものの心情的には多くの貴族の同情を買っている現状である。
「ま、叩けば埃はなんぼでも出てきそうなので、そっちのほうで野郎をどうにかするつもりではいるがね」
にやりと獰猛な笑みを浮かべるラモン公。やるといったらやるだろう。それだけの修羅場を潜り抜けてきた者のみが持つ、凄みを感じさせる笑みであった。
「しかし、一部の首謀者といっても数百から千人規模の国外追放となるだろう? さすがに無責任だとして他国から非難が殺到するのは必定。まさか昔のように奴隷貿易でもするつもりか? いまどき人身売買なんぞ右から左へできるものではないぞ」
ナプキンで口元を拭いながら、フランシス大公が値踏みするような目でラモン公を見据える。
「ああ、それについては、一応当てがあります。――なあ、アルマン公」
「ええ、まあ。先日の親書とは別に、魔王ヤミ陛下から打診がありまして。開拓民として可能な限り引き受けたいとのことです」
魔族の造反者が隣国で犯罪行為を犯したことに対する、彼女なりの謝罪なのかも知れない。
なるほどと頷くフランシス大公。
「ふむ……確かに魔族の自治領であるドーランス地方は、面積だけなら我が国にも匹敵する広大な領地だからな。人手は幾らあっても足りないか」
もっともそのほとんどが不毛の荒野か永久凍土の森ではあるので、入植した人間には地獄のような苦労が襲い掛かるだろう。
「――しかし、どちらにしても、見せしめとして今回の反乱に加担した者には厳正な処分を下さねばならぬ。まあ妥当な判断だろうな」
為政者としては農民の減少は国力の低下に繋がるので避けたいところではあるが、貴族の代表としては貴族に反旗を翻したものを無罪放免とするわけにはいかない。痛し痒しといったところだ。
「ひとりを殺して百人に警告する……一罰百戒という奴ですな。どうも最近、国の屋台骨が緩んできている気がするので、多少はこれで喝が入ってくれればいいんですがね」
「「…………」」
冗談めかして肩を竦めるラモン公の台詞を敢えて聞かなかったフリをして、珈琲とパイを口に運ぶふたりの公爵。
その反応に、どうやらふたりも同じ憂慮を抱いていると判断したラモン公。
そして、共通認識として危機感を共有できたことを確信して、この顔合わせの成功に満足するのだった。
と、なればこの場で話すことは最早ない。この場に拘泥する必要はないと判断して、にやりと人の悪い笑みを浮かべたラモン公は、「ところで」と、さも重大な用件のようにアルマンへ向かって身を乗り出した。
「アルマン公。うちの孫娘――アドリエンヌを、改めて公の御嫡男と縁組させることはできないもんかねえ?」
「――ぐっ……!?!」
危うく飲んでいた珈琲を吹き出しそうになるアルマン。
「何を言っておられる!? アドリエンヌ嬢はエドワード殿下のご婚約者であらせられるっ」
慌てて周囲を窺いながらそう声を潜めて声高に叫ぶという器用な真似をするアルマン。
「俺ァ認めとらん」
だからどうした、とばかりの憮然たる態度で残っていたカップの中身を飲み干すラモン公。
「何が悲しくてあんな阿呆に大事な孫娘を嫁に出さなきゃならんのだ」
歯に衣着せぬどころではない、公然たる王族批判。それも目の前に実の大叔父に当たるフランシス大公がいてのこの言い様に、さすがにアルマンも空いた口が塞がらない。
そのフランシス大公は、三口でウェルシュアビットを咀嚼しながら、
「ああ、あの抜け作の婚約者のことじゃな? あの戯け者が事もあろうに家妖精の機嫌を損ねる真似をしておいて、いけしゃあしゃあとしておるらしいな。宮廷も見てみぬフリのようじゃし、ありゃ駄目じゃな」
あっけらかんと同意するのだった。
「……まったく。だから止めとけと厳命しておいたものを、息子の奴は陛下に押し切られてこの様だ。息子は……まあ能力も人柄も申し分ないんだが、ここぞという時の勘所を嗅ぎ分ける才能がねえし、理解ができねえんだよな。いや、平時ならそれでもいいんだが、この時期では致命的だな。まったく……。つくづく公の息子が羨ましくてしかたがねえもんだ。今回もずいぶんと要所要所で締めて回っていたらしいじゃねえか?」
心底羨ましそうなラモン公の言葉に、アルマンは微妙な表情で曖昧に笑って流した。
今回の……というか、貴族学園での動きはかなりの部分を掴んでいるし、ジーノからも報告を受けているが、それにしても予想外の出来事や外部に対して及ぼした波及効果は当初の予想を遥かに上回っている。
わが息子ながらつくづく『英雄』というものは、好むと好まざるとに関わらず嵐の中心にならずにはいられないらしい。
親としても、この国の貴族の代表としても頭が痛いところだった。
「――さて。それでは儂はそろそろ失礼させてもらう。そろそろ帰らないと夕飯にありつけんからな」
この上、まだ食う気でいるのかと思いながら、立ち上がったフランシス大公を見送るためにアルマンとラモン公。
「ああ、見送りは結構だ。――ところで今晩の献立はなんだったか覚えておるか?」
近くにいた自身の侍従に尋ねながら、ステッキや帽子、手袋を身につけるフランシス大公。
「前菜にケール鹿のアスピック。続きまして牡蠣のタルタル。エーデルス地方の野菜と野鳥獣を盛り合わせたオーベルジュ・エスポワール、キジバトとパプリカのティアンペリグーソース、ヤマバトのトゥルトを予定しております」
パーティでも開催するつもりかと思われる献立の数々。
「……まあそんなものか」
納得した風で支度を終えたフランシス大公に、ラモン公がふと尋ねた。
「まだ会議は延長しそうな按配ですが、大公閣下は――」
「見るべきことは見たし聞くべきことは聞いた。年寄りの出番は終わりだ。後はお前さんら若者が苦労する番さな」
そう言って背中を向けられたラモン公は、やれやれ。俺まで若僧扱いかと思いながら恭しく一礼をした。
併せて一礼をするアルマンの方を、ふと思い出した顔で肩越しに振り返ったフランシス大公は、
「そういえば、ミネラ産の紫トリュフに毒があったのが発見され、食えなくなったらしい。残念なことだがしかたがないな」
「紫トリュフに毒ですか? 初耳ですが……」
「なんでも食ってもすぐに影響が出ない、半年から一年掛けて症状が出る毒だったらしい。こういうのを東洋では『埋伏の毒』というらしいが、気をつけたほうがいい。年が若ければ若いほど毒の影響が強いらしいからな。間違っても御子息には食わせないことだ」
はて? 唐突になぜ紫トリュフの話題など……内心で首を傾げたアルマンだが、刹那、突如脳裏に閃くものがあった。
「――はっ。ご忠告しかと受け取りました」
「うむ」
満足そうなフランシス大公を見送ったアルマンは、背後に控えていたジーノを振り返る。
「ジーノ。お前たちがいま調べている例の令嬢の足取りとミネラ公国との関係を探れ。内容はロランにも知らせて構わん」
「――はっ。承知いたしました」
その遣り取りを眺めていたラモン公は、渋い顔で頭を掻いた。
「ミネラ公国か。あそこは公王が代替わりしてから、エライ規模で軍の強化をしているんだったよなぁ」
「そのようですね。『機械化部隊』ですか」
「ああ、示威行為のために国内にいたコモン・ドラゴンを皆殺しにしたらしい。謳い文句は『英雄の時代は終わった。これからは鉄の時代だ』だったかね。気をつけるこった。なにしろこっちには本物の『勇者』様がいるわけだからな」
まさかそんな理由で戦争をふっかけてくるとは思えないが、それでも警戒しておいたほうがいいだろう。
そんなことを考えながら、小休止のはずが余計に疲れた足取りで、アルマンはラモン公と連れ立って会議室へと戻るのだった。
明日も夜に更新予定です。




