side:その頃の弟王子(陰謀は闇の中で)
「噂では最近、国内の有力貴族や王家に雇われていた家妖精が、一斉に暇を出したらしいな」
濃縮な闇が煮凝っているかのような陰鬱な空気に包まれた塔の奥。
珍しく窓際に佇んでじっとしていたジェレミー第二王子がいた。
もっとも彼が見詰める先――窓には分厚い鎧戸が嵌められ、さらに樫の木でできた板によって厳重に封がされ、さらにはその上には天鵞絨のカーテンが執拗なまでに被せられているため、外の様子など一切見えない筈であるが。
すべてはこの痩せぎすの灰色の髪と目をした少年の意向によるものであるが、それにしても外の世界を気にするような素振りをみせるのは、もしかするとこれが始めてかも知れない。
そんなことを考えながら、小一時間ほどぼんやりと少年の背中を眺めていた婚約者であるコンスタンス侯爵令嬢は、前置きもなしにいきなり切り出されたその話題を危うく聞き逃すところであった。
「…………」
そうして、どうにか彼の口から紡がれた陰鬱な言葉の内容は理解したものの、今度ははたしていまの言葉が自分に同意を求める問い掛けなのか、或いは単なるひとり言なのか、その判断がつかずに困惑するのであった。
それに仮にそれが質問だったとしても、そんなことコンスタンスには答えようがない。
彼女の実家であるヒスペルト侯爵家では、特にそうした問題が発生したという報告は聞いていなし、他家の状況など、下賎な家妖精如きと口を利く機会もないので、確認のしようがないのだから。
(というか、この方はどこからそのような“噂”とやらを耳にしたというの!?)
「…………」
じわり……と、得体の知れない悪寒がコンスタンスの背中を這い回る。
その沈黙をどう受け取ったものか、振り返ったジェレミー王子は無感動な視線を彼女の背後――その視線の動きで、いまのが自分に対する質問だったと咄嗟に判断した彼女が、慌てて答えを捻り出そうとする、その機先を制する形で――もうひとつ後ろへと飛ばした。
「――知っているか、貴様? 直答を赦す。答えるが良い」
問われた人物――最初にコンスタンスに紹介されたきり、床に這いつくばるようにして平伏したまま、石になったかのような沈黙を守っていた深緑の魔術師のようなローブを纏った、精悍な顔立ちをした隻眼の中年男は、「――は。しからば、それがしの掴んだ情報ですが……」と、前置きをしてから俯いたまま語り出す。
「現在、王宮にいる家妖精は、太后様の御座所である離宮を別にして、すべての場所から退去済みでございます。離宮にいる者は太后様と個人的な親交のある者ゆえ居残ったようでして、それ以外の場所にいたものは、何の報せもなく一夜にして消えたとか。同様の事例はバルバストル侯爵家、イルマシェ伯爵家、レーネック伯爵家、カルバンティエ子爵家、シャミナード子爵家においても発生しているようです。もっとも各家ともそのような醜聞を認めるわけもありませんが」
挙げられた聞き覚えのあるいずれも有力者、名家ひしめく名前に、コンスタンスが驚いて振り返った。
「バルバストルにイルマシェ、レーネック――いずれもエドワード殿下の腹心たちの家門ではないですか!?」
「……ほう?」
これまた珍しく興味深そう双眸を細めて、続きを促すジェレミー王子。
「風聞によればそのエドワード殿下が、家妖精の機嫌を決定的に損ねたとか、そのトバッチリで関係する家の家妖精も逃げ出した……と言われていますが、何しろ当の家妖精は頑固に理由を明かしませんし、エドワード第一王子も腹心中の腹心であるオリオール公爵家が、今回の異変に巻き込まれていないことを理由に全面否定しているようです」
ふと、男が『オリオール』の名を口に出した瞬間、ジェレミー王子の全身から粘質の、昏い澱のような感情が滲み出たような気がして、コンスタンスは息を呑んで、続いて気付かなかった振りをして、男の話に聞き入っている……そうしたポーズを堅持するのだった。
「もっとも否定したところで人の口に戸は立てられないの通り、疑惑は確信としてすでに一人歩きをしております。特に迷信深い地方では顕著ですな。そのせいで例のイルマシェ伯爵領での反乱が起きたようなものですから」
「――ふん。第二、第八、第九軍の国軍一万三千が鎮圧に当たるらしいな」
「左様でございますな。反乱軍は現在四万三千と三倍以上の差がありますが、所詮は烏合の衆。しかも春先とあっては食料も十分に賄えず、すでに離脱する者もいるようですので、おそらくは国軍相手にひとたまりもないでしょう」
対岸の火事とばかり気軽な口調で、まるで見てきたかのように男が説明すると、ジェレミー王子はそれ以上に熱のない口調で、
「ふーん、そう。思ったほどの騒ぎにはなりそうになくて詰まらないね」
興味が失せたとばかり、背中を向けて再び窓のあたりをじっと眺め出す。
「で、ですが確実にエドワード殿下の求心力は低下した筈ですわ。その上、イルマシェ伯爵領での反乱の契機にもなった。最善とは言いがたいですが、十分な成果なのではありませんか、殿下?」
おもねるようなコンスタンスの同意を求める声に、「失敗は失敗さ」と、すげない答えが返ってきた。
「そ、その通りでございます。当初の予定通り、貴族学園で騒ぎを起こせれば、エドワード殿下とその取巻きたち、そしてアドリエンヌをまとめて一気に失墜させることも可能であったでしょうに。……まったく、前回といい今度のことといい、つくづく魔族というものは役に立たない連中だこと!」
忌々しげに背後にいる隻眼の男を睨み付けるコンスタンス。
わざわざこの男をこの場へ連れて来たのは、失敗の責任を追及された際、責任逃れの生贄の羊とするつもりでいたらしい。
もっとも、男の方もコンスタンスの意図は重々承知しているだろうに、どこまでも慇懃な姿勢でありながらも、どこか余裕を感じさせる姿勢でそれに応える。
「申し訳ございません。魔族といってもあの連中は人に混じってもさほど違和感を覚えられない程度の低位の者たちばかり。所詮は使い捨てにしても惜しくない連中でした。まして、まさか〈ラスベル百貨店〉でも、貴族学園でもオリオールの勇者が絡むとは、まったくの計算外でございました」
「言い訳は聞き飽きたわ。だいたいにおいてエドワード殿下の傍らには、ロラン公子が付き従っているのは事前に判明していたこと。こうなることも予想できたはずよ」
「確かに。ですがまさかこうまで我らの動きを読むかのように立ち回るとは、さすがは〈神剣の勇者〉といったところですな」
「敵に対する賞賛は聞きたくないわ。それじゃあお前たちにロラン公子に対抗する手段はないということなのね?」
挑発的なコンスタンスの言葉を受けて、男の隻眼が好戦的に輝いた。
彼女は真に理解していないのだ。男が羊の皮を被った狼……どころか魔人である、その意味を。
「まさか。まさかでございます。我らが主は、かつてその勇者が不意を衝いて騙まし討ちしなければ斃せなかった前大公様の遺児にして、そのお力はお父上を凌ぐアウァールス大公殿下でございます。尋常な勝負であればまず勇者如きに勝ち目はなく、その上、我等には秘策がございますれば、過去の遺物である〈神剣〉や例え国軍全軍が相手でも、我らの勝ちは揺るがないものと確信しております。――もっとも、そうなれば相応の報酬もいただくことになりますが」
「報酬ならば金貨で千枚まで出せる準備があるわ」
胸を張ってそう声高に吹聴するコンスタンスを、軽く一瞥して一笑に付す隻眼の男。
「――話になりませんな。最低でも桁をふたつほどお間違えでは?」
「なっ……!?!」
咄嗟に声にならずに絶句するコンスタンス。ちなみにオルヴィエール統一王国の国家予算がおおよそ金貨十五万枚といったところである。
「我ら魔族の総力をもって神剣の勇者と対峙する。それはすなわち戦争に匹敵いたします。ならばそれだけの価値があるのも当然でございましょう?」
「だからといって、そんな法外な……!」
「くくくくくっ。何をいまさら。もとより我らは法の埒外にいる存在ですぞ?」
背後の遣り取りを適当に聞き流しながら、ジェレミー王子はかつて子供の頃、寝台の傍にあった窓から見えた中庭で遊んでいた、幼い頃のエドワードとロランの姿を思い出していた。
あらゆる面で恵まれた光の寵児。世継ぎの王子である兄エドワード。それと並んでいても、まったく見劣りしない神に選ばれた勇者ロラン。
自分とは違う。生まれた時からすべてを持っている、約束された人種。
(……ああ、いいとも。連中を地獄に堕すためなら、たとえこの国を売っても惜しくはないとも)
硬く閉じられた窓を眺めながら、静かにそして深くジェレミー王子の憎しみは増大するのだった。
続きは11/11(土)夜か、場合によっては11/12(日)午前中へずれ込むかもです。
ちなみに幼い頃に見たロランは女の子と見分けがつかず、「兄貴はあんな可愛い子ときゃっきゃうふふしてやがるのか……」と憎しみを募らせた経過があったりします。
11/10 追記
更新を優先しているため現在、感想欄に返信できない状態にあります。まことに申し訳ございません。
11/11 再度追記
国の国家予算が金貨15万枚(2000~2500億円)は低すぎる。とのご意見がありましたが、中世のイギリスの国家予算が1400億円程度、フランスで2200億円程度ということで、このあたりかなぁ? としました。
それとは別に国王の年収が850億円~1100億円程度あったそうなので、自分の財産>国家予算でしょうか。