検察側の証人(用務員は見た!)
婚約者に対する貴族の令息とも思えない冷淡な対応に、軽く眉をしかめたアドリエンヌ嬢が一言ドミニクに対して注意しようとした――多分――その気配を察して、エディット嬢がそっと目配せをしながら、小さく首を振って押し止めた。
「…………」
さすがに当事者間のことにこれ以上、突っ込んだ真似はできない……と、常識を弁えているアドリエンヌ嬢は開きかけた口を閉じて、懐から取り出した貴族の御令嬢のマストアイテムである扇を広げて口元を隠し、その代わりとばかり持て余した怒りの矛先を僕に向けてくる。
『これは貴方の仕込みなの? エディットまで巻き込んでどう落とし前をつけるつもりよ!?』
『まあまあ落ち着いて。大丈夫ですから。ここからのターンはそちらのもの。鷹揚に構えて、都合のいいところで手打ちにしましょう』
一瞬のアイコンタクトで大まかにそんな意思の疎通を図り、軽く目線で頭を下げたところで、どうにか気持ちに折り合いをつけてくれたらしいアドリエンヌ嬢は、
『ふん、検察人気取りかしら? 覚えてらっしゃい』
と、軽く鼻を鳴らしてから表情を外向きに変え、扇を畳んで、大輪の花が咲いたような満面の笑みでエディット嬢を迎え入れる。
「まあ、エディット! 来てくれたのね。貴女が伝言を伝えてくれたお陰でこうしてこの場に馳せ参じることができたわ。ありがとう、貴女のお陰よっ」
その言葉に第一王子以下取巻きたちは、そもそもなぜこの場にアドリエンヌ嬢がいるのか、三人の御令嬢を護る立場で立ち塞がっている理由(朝、すれ違ったエディット嬢が注進した結果である)を察して、揃って渋い顔になった後、一言婚約者に釘を刺さなかったドミニクに向かって非難するような視線を向けた。
一斉に恨みがましい視線で吊るし上げにされたドミニクは狼狽し、第一王子に取り成しをお願いするような……媚びるような表情を向けたけれど、その彼が一番立腹しているようで、苦々しい表情のままプイと顔を背けた。
(――ふっ……。殿下の不興を買うとは、馬鹿が)
(勝手に転落しやがった)
(これで奴は側近ナンバーツーから脱落だな)
(ふん、もともと伯爵家程度の家柄の奴には荷が重かったのだよ)
と、その様子を眺めていた他の取巻きたちは、一様にドミニクの無様さをせせら笑う。
仲間であっても所詮は貴族同士。力関係や浮き沈みには敏感であり、隙を見せるほうが悪いという認識なので、同情するようなアマちゃんはいないのであった。
昨日の友は今日の敵。おお怖い怖い……と、すでに精神的には別の陣地から高みの見物気分である僕。
「――御前、失礼致します。エドワード殿下、ならびに皆様方。突然の無作法で申し訳ございません。ですが、私もある意味一方の当事者でございます。可能であれば発言をお許し願えないでしょうか?」
階段を上がりきったエディット嬢はアドリエンヌ嬢の傍らへ着くや、スカートを摘まんで恭しく第一王子に向かってカーテシーをする。
そうしながら、気押されることなく真っ直ぐに前を見据える彼女の視界には、すでに無様な婚約者の項垂れた姿は映っていないようだった。
(この調子なら、彼女には折を見て婚約破棄の陰謀を話したほうがいいかも知れないな……)
気の弱い令嬢ならショックで錯乱するかも知れないけれど、なんとなく彼女なら大丈夫そうな気がする。
「う、うむ。直答を赦す……で、証拠とやらは本当にあるのだろうな?」
そんな彼女の気迫に押されてか、歯切れ悪く第一王子が首を縦に振った。
「はい。ここにその証拠がございます」
そう言って彼女がスカートのポケットに手を突っ込む。
予想外のその動きに、第一王子の背後に控える取巻き立ちの間に、
「ぬ?!」「なんだ……?」「スカートってポケットがあるんだな」
と、警戒心が沸き起こる(ひとり変な感心をしている奴がいたけど)。
なので自然な態度で僕が第一王子を護る形で一歩前に出た。
「――これです」
で、目の前に差し出されたのは、例の黒い毛と細かな鱗のようなものが詰まった硝子瓶である。
「これは……?」
「私が今朝方ここで採取したもの。――人を転ばせて喜ぶ魔物〈グレムリン〉の体毛と皮膚の鱗でございますわ、ロラン公子様」
傍目には警戒しつつ困惑の表情を浮かべる僕と、自信ありげにみすぼらしい毛と鱗が入った“証拠”を鼻息荒く提示するエディット嬢の構図。実際は事前に打ち合わせていた通りの猿芝居であり、角突き合わせながら、お互いに内心では親指を立てる僕たちだった。
「〈グレムリン〉の体毛だと? なんだそれは? 聞いたこともない魔物だが」
僕の肩越しに硝子瓶を覗き込みながら、どうにも疑わしげな口調で第一王子が口を挟んだ。
まあそうだろうな、と思いながら僕はつい先刻――階段の下での舞台裏の打ち合わせを回想する。
◆
「なんとかドミニク様にお願いをして、エドワード殿下との仲立ちをしていただいて、誤解を解いていただくしかございませんっ」
決然とそう言い切るエディット嬢だけれど、その肝心の婚約者の心は、すでに彼女にはないわけで、そうなると一方的にエディット嬢が傷を負うだけで事態は進展どころか悪化するだけだ。
「……なんとかなりませんか、お義兄様?」
悲痛な表情のルネにお願いされた僕は、「う~~ん……」と考え込むしかできない。
「煮え切らない返事ですねえ。いっそ上からは死角になって見えないんですから、事故を装って階段ごと若君が切り崩して証拠隠滅を図ったらどうでしょうか?」
いちいち短絡的というか攻撃的なのはエレナだ。
「そんなわけに……ん? 死角? 下から……いや、あの場合は上か? それと……んんん? すまない、エディット嬢。先ほどの瓶に入ったモノをもう一度見せて貰えませんか? ああ、そっちじゃなくて、毛と鱗の方を」
ガチガチガチガチと頭の中で幾つもの歯車が回り、ひとつの形を取ろうとしていた。
先ほどから感じていた違和感の正体。
「……これがどうかされましたか、お義兄様?」
「見たことがない動物の毛と鱗ですね。あ、なんとなく、昨日の番魔犬の毛と尻尾の鱗に似ているような気もしますね。大きさは段違いですが」
「ええ、ご明察ですわ。多分ですが、これは何がしかの魔物の痕跡だと思います」
小首を傾げるルネと、面白くもなさそうな顔で左手を押さえるエレナ。そして、したり顔で解説してくれるエディット嬢。
「――そうか! 違和感の正体は敵対的な魔物が近くにいるからか。それで本能的に警戒していたってわけか……」
合点がいった途端、バラバラに分解されていた欠片がひとつの形に収斂した。ガチッ! と噛み合った音が響いた。
「……そういうことか。エディット嬢、至急この魔物の正体を解明することはできますか?」
「は、はい。学園の図書館にある万国魔物百科事典で調べれば、おそらく」
「ならば大至急お願いします! それとルネとエレナも急いでやってもらいたいことがある。それは……」
◆
ということで、どうにか間に合ったらしい。
それにしても〈グレムリン〉ねえ。あれはもっと北方にいる魔物じゃなかったのかな? 生態系が変わったんだろうか?
「それが証拠だと? 示し合わせて言っているだけではないのか? 第一ここで本当にそんな聞いたこともない魔物がいるのか?」
これまた当然ともいえる第一王子の疑念に対して、またもや聞き慣れたソプラノの声が割ってはいる。
「そのための証人を連れて来ましたわ!」
聞こえてきた第三者の声に、一同が階段の下へと視線を巡らせれば、ルネがしずしずと階段を昇ってきた。
その背後には五人ほどの小人――学園に勤務している家妖精が、かったるそうな足取りで着いてきている。
「……まったく、朝から何の騒ぎぞな、もし?」
「仕事の途中ぞな。迷惑千万ぞな」
「そういうな。エディット嬢ちゃんが困っているそうだからのぉ」
「……ならしょうがないか」
「ん? あそこにいるのは女の尻を追い掛け回す馬鹿王子一行じゃぞ」
マイペースさと傲岸不遜さでは第一王子をも上回る家妖精の集団を前に、僕とエディット嬢、そして連れて来たルネ以外の全員が顔を引くつかせる。
続きは11/5(日)更新予定です。




