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クリステル男爵令嬢とは?(意外と知らない)

 一番丈夫な革靴を履いてきたのだろう。

 騒々しい足音とともに両手にハンドベルを持った、人の膝くらいしか身長がない小人が数人、廊下を駆けて行った。


「講義開始だで~っ。盆暗学生ども、さっさと机に座るだよ~っ」


 学園に勤務している家妖精(ブラウニー)である。

 百年前ならコップ一杯のミルクと一枚のビスケットで、夜通しご機嫌で働いてくれた彼らも、時代が変われば報酬も変わる。

 現在はきちんと雇用契約を結んで、最低でも日当に小銀貨一枚渡さないと即座に臍を曲げて出て行ってしまうという。


 ※小銅貨=25円。銅貨=100小銅貨=2,500円。小銀貨=250小銅貨=6,250円。銀貨=10銅貨=25,000円。金貨=5銀貨=125,000円。


 世知辛い世の中だけれど、彼らが屋敷にいるのといないのとでは(家妖精(ブラウニー)に見捨てられた家は没落するという、昔ながらの言い伝えにより)面子に係わるということで、大抵の上流階級(ブルジョア)では無理をしても雇っているのが普通だ。

 そんなわけで、どの家妖精(ブラウニー)も態度は非常に大きい。


 と、家妖精(ブラウニー)が、通り過ぎていったのとほぼ入れ違いで、

「――オホン。では、第六章第二項。古カエルム遺跡から見るリャナンシー種族の生態について、先週の続きから始める」

 小講堂に入ってきた老齢の教授は、教壇につくやいなや、いつもの調子で前置きなしに講義を開始した。


 こうなっては、さすがにエドワード第一王子も、ウザい私語(口説き文句)を諦めざるを得ないようで、不承不承クリステル嬢との会話(というか一方的な言葉の奔流)を切り上げた。

 対照的に、苦行のような朝の数分間がやっと終わったことに、心底安堵しているクリステル嬢。


 どーでもいいけど、この数分間に彼女が喋った内容は、「まあ」「そうなのですか」「○○(=直前の話の繰り返し)ですか?」の基本三単語の繰り返しだけ。


「クリステル嬢、この季節は王都近郊にあるオーズ山が最高ですよ」

「オーズ山……ですか?」

「ええ、小高い丘のような小山なのですが、王家の直轄領となっています」

「そうなのですか」

「その関係で時々足を運ぶのですが、この時期はまさに花の季節で、山の斜面がまさに一面の花畑となります」

「まあっ」

「ぜひあの光景を貴女に見せてあげたいものだが……」

「(曖昧な微笑み)」


 なぜかこれで『クリステル嬢は私と一緒にオーズ山を行くことを楽しみにしている』と、幸せ変換しているエドワード第一王子。

 第一王子が一方通行に秋波を送っているのはいまに始まったことじゃないけど、それよりも鮮やかなのはクリステル嬢のあしらい方だ。

 ある意味、戦慄を禁じ得ないまでに徹底的に聞き役に徹して、なおかつ余計な言質や情報を与えることを避けて、のらりくらりと会話を転がすだけに終始している。


 その態度と張り付いた微笑みを前に、のぼせ上っていた僕らは、

『ああ、なんて謙虚で奥床しい、可憐な姫君なんだろう!』

 と、感動していたものだけれど、これってただ単に面倒臭い相手の会話を適当に躱しているだけだよ。なんで気付かなかったんだろう!?


 僕にしろ第一王子にしろ、他の取り巻きにしても身近で知っている女性が、

「……ルネもエレナもなに食べてそんな元気なわけ?」

「お義兄様の笑顔とほんの少しばかりのケーキですわ♪」

「肉っ」

 と、自己主張の激しいタイプだったばかりに、その落差から目が眩んでしまったのかも知れない。


 冷静になってみれば、この娘案外したたか……というか、一杯食わせ屋なんじゃないか? とすら思えてきて、僕はさり気なく視線を向けて観察に専念する。


 途端、クリステル嬢を挟んで『にへら~っ』と脂下がった第一王子の間抜け面が視界に飛び込んできたので、意図的にその間抜け顔を意識から外すようにして彼女のことを考える。

 併せてカチカチという歯車の音が聞こえてきた。


「――若い男性を魅了する魔族と目されていた反面、『水辺の妖精』『泉の精霊』と呼ばれていたリャナンシー種族の住居には、実際に多くの入浴施設が見受けられる」


 老教授の講義の内容をノートに取りながら、僕は改めてクリステル嬢についての情報を頭の中で整理してみた。


 クリステル・リータ・チェスティ男爵令嬢。十六歳と七ヶ月。

 月光のような銀色の髪と、いつも潤んだ(ただ単に僕らに挟まれて座っているから涙目なだけかも……)ような赤褐色の瞳が特徴的な小柄な少女だ。


 ちなみに美人というよりも可愛らしいタイプ。

 ただし同じく系統のルネが気品のある猫だとすれば、クリステル嬢はより庇護欲を誘う震える小ウサギだろう。


 彼女の父親であるチェスティ男爵は何代か前に売官制によって爵位を買った法衣貴族(領地を持たず、名目として貴族院や法務院に所属する文官)で、その実体は統一王国内に幾つかの拠点を置く中規模の交易商人である。


 チェスティ男爵には嫡男のほか数人の息子がいるそうだけれど、娘は彼女ただひとり。ただし彼女だけは現チェスティ男爵の正妻の子ではなく、男爵が若い時に商売で訪れた地方都市において、関係を持った浮気相手との間に生まれた不義の子……らしい。

 母親であった女性は旅芸人か遊民のような立場であったらしく、幼い頃から一カ所に定住せずに各地を転々としていたようだ。


 これに関してはなにぶん正確な記録がなく、五年前に母親を亡くしたクリステル嬢が孤児院に聞き取られるまで、公的な機関や神殿などに一切の足跡を残していないことから、当人の記憶と合わせて“おそらくはそうであろう”と推測するしかない状況だ。

 ともかく孤児院に引き取られた彼女は、聖職者が貧民向けに行っていた日曜学校においてその聡明さを認められ、奨学金を貰って神学校へ通えることになった。


 基本、貴族しか教育を受けられなかった昔と違って――教育は財産なので――いまは都市部に行けば、割と敷居の低い市民向けの私塾のような学校も散見できるけど、それでも通えるのはごく一部の富裕層の子だけになるので、己の才覚だけでチャンスを獲得した彼女が、どれだけ才媛であったのかわかるというものだろう。

 そこで偶然に息子のひとりを神学校へ通わせているチェスティ男爵の目に留まり(かつての愛人と瓜二つだったらしい)、調べたところ間違いなく自分の血を分けた娘ということが判明。すったもんだの末、認知をして一緒に住む……のは本妻の手前憚れたため、貴族学園に編入がてら寮住まいとなった。


「――伝承では魔眼による魅了(チャーム)などと恐れられていたが、それならばなぜ女性を魅了した事例が残っておらぬ? 魔眼であればなぜ女性相手には効果がないのか? そういった疑問がある。ゆえに儂が提唱するのは、匂い。いわゆるリリーサーフェロモンによる魅了(チャーム)じゃ」


 講義の内容を必死にメモしているクリステル嬢の表情は真剣で、そこには不純なものが(背後の阿呆以外)ないように見える。


(普通に頑張ってる優等生ってだけだよね。なんで今みたいな立場に祭り上げられたんだろう……?)


 確か編入してすぐの時期に、中庭で気分転換に散策していたエドワード第一王子と、なるべく人の来ない場所でお昼ご飯を食べようとしていたクリステル嬢とがばったり出会って、知らずに餌付け……手作りの“ウブルニェニク”という、そば粉とバターを練って作った団子を分けて、それから仲良くなったというのが、さんざん耳にたこが出来るほど聞かされた馴れ初めだったはず。


 けど、最初はたまたま偶然だったとしても、そんなに偶然が重なるものかねえ。


 チッチッチッ、と歯車が警戒するかのように鳴る。

 彼女に関してはその生い立ちからもう一度洗い出したほうが良さそうだな。帰宅したらエレナにはとりあえず、クリステル嬢の交友関係を再度確認してもらって、あと過去については下手をすれば国外にも足を延ばす必要があるので、ジーノに話して〈影〉を何人か派遣するよう言っておいたほうがいいかも知れないな。


 そんな風に暢気に考えていた僕だけど、その後、エレナが重傷を負って戻ったとの報せを受けて、午後の講義をすっ飛ばして急ぎ帰宅することになった。

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