男爵令嬢は微笑みを絶やさない(と思ってた)
「ロラン、父上に聞いたぞ。〈ラスベル百貨店〉では賊を相手に随分と活躍したそうじゃないか、さすがだな!」
週明け、朝の挨拶もそこそこに、開口一番、エドワード第一王子がいきなりやらかしやが……口を滑らせた。
無駄に通る声で、さらりと箝口令が敷かれている事件の裏側を暴露したのだ。
――ざわっ……!!
途端、最前まで気軽に雑談に耽っていた級友たちが一斉に口を噤み、屈託なく笑う第一王子と席に着いたままの僕とに、興味津々たる視線を向けてきた。
「余り詳しくは教えて貰えなかったのだが、なんでも十人からの武装集団を苦も無く捻ったそうじゃないか? 俺も親友として鼻が高いぞ」
ちなみに一昨日の〈ラスベル百貨店〉の騒動は、表向きは不逞魔族(角や獣耳や鱗を持った亜人の総称)によるテロ行為と国民向けに発表されている。
それを鎮圧したのは王都に駐屯している第一師団騎士であり、幸いにして人質にも怪我人はなく、巻き込まれた大多数は一般市民と百貨店関係者であった。
オーナーであるラスベード伯爵は遺憾の意を表明し、被害者に対して可能な限りの補填と、二度とこのようなことがないよう警備とチェック体制の強化を図る……ということで決着がついている。
もっとも事が事であるため、根も葉もない憶測を垂れ流すゴシップ紙や、自称『事情通』による陰謀論も蔓延しているようで、学園内でもまことしやかに事件の噂が流れていた。
そこへこの国の第一王子が燃料を投下したのだ。たまったものではない。
「だが、アドリエンヌに関してはなあ……。正直、余計なことをしてくれ」
「ごほん!」
慌てて僕は第一王子の話を遮る形で、水を打ったように静まり返ったここ――五十人ほどが受講している――小講義室全体に響き渡るような咳払いをする。
固唾をのんで聞き入っている、級友たちの異様な雰囲気にも一切頓着することなく、マイペースに捲し立てていたエドワード第一王子に対して、
「失礼しました殿下、ところで――」
余計な口を挟まないうちに素早く謝罪をした僕は、
(この……阿呆は、実際のところ目を開けながら、まだ寝惚けてるんじゃないのか!?)
喚き散らしたい衝動をどうにか押さえつけて、困惑混じりの微苦笑を浮かべて返した。
「――なんのことでしょうか? 〈ラスベル百貨店〉の騒動の顛末は伺っていますが、誰かと混同されているのではありませんか? 生憎と騒ぎのあった当日は、義妹と小売店街に買い物に行っていたのですが」
こういう時は一瞬でも動揺したらだめだ。周囲に対しても堂々と恍けて見せなければ、半信半疑……さらに地道に否定をしていれば、おのずと疑惑は晴れるだろう。
「ん? 何を言っているんだ、確かにこの耳で父上から……あ」
そこでどうにか、他言無用と厳命されていただろう国王陛下のお達しを思い出したらしい、見るからに狼狽した表情で、
「そ、そうだったな。そういえば義妹君は息災かな?」
わざとらしく話題を変えながら、いつもの指定席である僕とひとつ席を空かした二つ目の椅子に座る第一王子。
それにしても……。
正直なのは美徳だけど、上に立つ人間が腹芸のひとつもできないってどーなんだろうねぇ。
しかたない、多少不自然なのは承知の上で、力技で周りの目を誤魔化すしかないな。
「ええ、お陰様で元気過ぎて義兄の威厳も形無しですよ。さきほど話題に出した小売店街でも、ルビーをあしらったカメオのブローチを強請られてしまいました」
「ほほう、あのような小売店街に義妹君のお眼鏡に適う品物ががあったとはね」
僕の思惑に乗って……ではなく、おそらくはついさっきの話題をケロリと忘れて、話に食いつく第一王子。
自然な話題の転換に、周囲の耳目も――釈然としない雰囲気ながら――離れて、ぽつぽつと喧騒が戻ってきた。
「なるほどルビーをあしらったカメオのブローチか。いいな」
嫌に拘る第一王子の様子に、カチリ、と僕の頭の隅で小さく歯車が鳴る。
なんとなく次に何を言うのかわかった気がした。
「盲点だったな。良ければその店を紹介してくれないか? 来週の春迎祭を記念して、何かクリステル嬢にプレゼントしようかと思っていたんだけれど、いいヒントを貰ったよ」
(――あ、やっぱり)
予想通りの話の展開に、内心辟易しながら、「なるほど、素晴らしいお考えですね」と僕は満面の笑みで追従した。
ちなみに春迎祭は暦の上で春を迎えたことを記念する日で、別段男性が女性に贈り物をするような記念日でもなんでもない。
まあ、なんでもいいから理由を付けて点数稼ぎをしたいだけだろう。
普通に考えて、婚約者でもない名目上はただの級友に過ぎない女性に、一方的にプレゼントを贈るなんてストーカー以外の何者でもないとおもうのだけれど、この鳥頭王子にその手の常識を説くだけ無駄だろう。
「それは構いませんが、なにしろ職人がひとりで切り盛りしている作る店ですから、あまり種類は豊富とは言えませんよ。それにクリステル嬢にはルビーよりもエメラルドか真珠の方が似合うのではありませんか?」
念のためにそう言い添えておく。
小売店街の宝飾店でプレゼントを買ったのは本当だけど、ルネのお気に入りの聖域らしいので、第一王子がこの態度で護衛を引きつれて騒いでほしくない。
ブローチを胸に小躍りして喜んでくれたルネと、併せて銀製の櫛を贈ったところ、「~~♪」と無表情なままその場で三回転とんぼ返りを打ったエレナ。
そのハシャギっぷりを目の当たりにしたいまならなおさらだ。
「なるほど、エメラルドの石言葉は『愛の成就』、真珠は『純潔』。いずれもクリステル嬢に相応しいものだからな」
焚き付けておいてなんだけど、ちょろ過ぎるなあ。
「さすがは我が親友。忠臣中の忠臣だけのことはある。うむ、決めたぞ贈り物はエメラルドと真珠、二種類のネックレスにしよう。金に糸目はつけん、最高のものを用意するように王家御用達の宝石商に注文を出さねばな」
当然のことながら王族に個人資産なんてものはない。城も宝物も基本的には国家資産である。
こうして毎回クリステル嬢へと湯水のように使われる金も、すべては国民の血税だ。
ついこの間まではコレに本気で追従したたんだからなぁ……我ながら頭がおかしくなっていたとしか思えないわ。
密かに憂鬱なため息をついたところで、講義開始の五分前予鈴が鳴って、それとほぼ同時に小講義室の後ろの扉が開き、小柄な銀髪の少女がそそくさと入ってきた。
途端、蕩けるような笑みを浮かべた第一王子は、大きく手を振って、僕と挟む形でひとつ空いている席につくように促す。
「おはよう、クリステル! 君のために今日も席をとっておいたよ。さあ、おいで」
びくっ、と小動物のように身をすくめた彼女――愛しのクリステル嬢――は、講義室内を見回し、他の生徒が関わりあいを恐れて明後日の方向を眺めているのを確認して、一瞬だけ諦観めいた表情を過ぎらせてから、にっこりと作り笑いを浮かべて、第一王子と続いて僕へとぎこちなく一礼をした。
「お、おはようございます、エドワード殿下。ロラン様。ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「勿論だとも! 君と会うために月曜の朝一番、必須でもない民俗学などという退屈な講義を履行したのだからね」
社交辞令でもなんでもない、本当の本音を臆面もなく言い放つ第一王子。
それを受けて軽く引いた様子で愛想笑いをするクリステル嬢の様子を直接横目で観察しながら、
(……キュートで可愛らしいとは思うけど、別になんとも感じないな)
僕はそう客観的に結論付けた。
いまとなっては疑問でしかないのだけれど、なぜあれほど彼女に夢中になっていたんだろう……? まあ、それが恋の病ってものかも知れないけれど。
講義が始まるまでの僅かの時間、寸毫も休まず必死に口説く第一王子と、曖昧に笑って受け流すクリステル嬢。ついこの間までは何の疑問も挟まずに、微笑ましい気持ちで眺めていたその光景を前に困惑する僕。
どこかで歯車がカチカチとせわしなく鳴っていた。
11/22 ダイヤモンドをエメラルドに変更しました。