第一王子殿下の無茶ぶり(いつものこと)
世界に冠たる斜陽国家――とはいえかつては陽の沈まない世界帝国として、絶大な領土と燦然たる権勢をほしいままにしていたのは確かであり。現在ではその後の分裂・独立騒ぎで帝国は瓦解したものの、それでもその残滓として、他国を凌駕する絢爛たる歴史と文化を有する――オルヴィエール統一王国の首都アエテルニタ。
主に王侯貴族や上級貴族が居を構える、王宮を中心とした広大な貴族街。
そこから内門を一つ隔て、整然とした街並みと石畳、上下水道が完備された一等市街(住人は下級貴族や官僚、騎士、有力者などの上流階級なのは言うまでもない)を一台の箱馬車が走っていた。
見るからに上級貴族か大貴族ご用達の立派な馬車にはオリオール公爵家の紋が堂々と描かれ、当然その意味を知っている上流階級たちは、慌てて道を開けて厄介ごとが通り過ぎるのを待つ。
中には信心深い者たちもいて、わざわざ馬車から降りて帽子を取って明瞭に恭順の意を示す者もいる。
半議会制政治形態をとっているオルヴィエール統一王国だけれど、有事の際には王侯貴族が率先して政治に介入できる権力と武力を有しているのは確かであり、そもそも『オルヴィエール統一王国』と名乗っている関係上、市民や国民の大多数の意識下にはいまだに絶対王政じみた階層意識が根付いている。
良いか悪いかはともかくとして、そうした伝統にもとづいて社会が成り立っている以上、早急な変革とかはあり得ないだろう。
とは言え――。
「国のトップである第一王子が、そのあたりの伝統を踏みにじるというか……そもそも理解してないってのはどーなんだろうねー」
箱馬車の中に腰を据えて、しみじみと愚痴をこぼした僕の隣で、お揃いのエンパイアスタイル・ドレスを着た義妹ルネが、微苦笑を浮かべて予想通りという口調で相槌を打ってきた。
「先日のエドワード殿下とのお茶会……と言う名の密談の内容は、案の定、最重要課題であり王家としても、また学園生としても最大の懸案事項である学園に巣食っていた魔獣の件。その顛末ではなくてまったく別の話でしたか?」
「まーね。開口一番、『この学園の休校を利用して、どうにかしてクリステル嬢を私の新たな婚約者として、周囲に認められるよう力を貸してもらえぬか』という、アッパラパーな内容だったし」
そして最後まで一貫してクリステル嬢のことに終始していたのは、ある意味天晴なボンクラぶりである。
「ええと……それはつまりクリステル嬢を公娼――ではなくて、お妾にするという意味でしょうか?」
せめて最低限それであって欲しいなぁ、というルネの希望的観測は当然のごとく真正面から砕け散った。
「いや、あくまで正妻……国母、王妃として認めさせろって話だった」
「庶子の男爵令嬢が王妃とか、そんなものお伽噺じゃないのですから無理でしょう。どこまで頭が花畑なんでしょうね、あの白痴……白馬の王子様は」
護衛を兼ねて同乗している専属メイドのエレンが淡々とした口調で毒を吐く。
「まあ確かに。基本的に国内から正妻を娶る場合は、伯爵を除いた上位貴族、大貴族の令嬢を選ぶのが暗黙の了解だからねえ」
ちなみに貴族には、大まかに分けて下級貴族、上級貴族、大貴族がいる。
大貴族というのは王族を含めた王位継承権を持つような大公や王の親族が叙勲された領土の王族公爵のこと。
上位貴族というのは伯爵以上の地位にある、地方を治める大貴族や大領主である臣民公爵や侯爵、国境近くの領地で、国王に匹敵する権限を与えられた辺境伯などを指す。
下級貴族というのは、一般的には国王が叙勲した上級貴族である伯爵ではなく、公爵などの上級貴族が叙勲した伯爵以下が下級貴族という扱いになる。
公爵などの上級貴族の場合は複数の領地を所有しているのが当然であり、その領地ごとに爵位を持っているので、例えばコルラディーニ公爵領とメルカダンテ伯爵領の両方を所有している場合、コルラディーニ公爵がメルカダンテ伯爵を兼ねることになるわけで、全部の領主としての名前を連ねるとえらく長くなるので、大抵は一番上位に来る爵位を名乗る形になるわけだ。
かく言う僕も割と早い段階でペンブローグ伯爵とミラネス子爵の爵位を父親から譲られたので、公式な場では『ペンブローグ伯爵』と呼ばれることになる(ま、普通は公爵家の継嗣となれば、敬意を表して非公式な席では一つ下の『侯爵』呼びするのがマナーだけど)。
「まー、つまり、最低限クリステル嬢の実家に伯爵の地位を与えたいってのが殿下の思惑なんだけど」
「……仮にオリオール公爵から爵位を与えても、下級伯爵ですので王妃としての条件はクリアできませんけど? せいぜい側妃にできるかな……といったところですわね」
また馬鹿なことを言い出したのね、と口には出さないが辟易した口調で嘆息混じりにぼやくルネ。
「王族以外の貴族なんて皆一緒――程度で、そのあたりの区別がついていないのでしょう、あの底抜け王子には」
エレナもしたり顔で相槌を打つ。
「てか、そもそも何の付き合いも縁もゆかりもないチェスティ男爵を叙爵する理由がないんだけど」
ちなみに平民の場合は、騎士爵や准男爵などの一代貴族になるのがせいぜいで、貴族であっても男爵や下級貴族の次男、三男あたりは官僚になったり近衛騎士になり、その後着々と実績をあげて高級官僚になるか、下級貴族になる機会を待つしかないのが実情であり、そうした身内はオリオール公爵にもごまんといる現状で、いきなり降ってわいたチェスティ男爵を特別扱いしたら臣下の反発を食らって屋台骨がガタガタになるのは火を見るよりも明らかだ。
「……そうやんわりと諫言したんだけど、『だったら借金などで領地や爵位を売りに出しているクズ貴族から買い上げて、それをあてがえば良いのではないか』と」
クリステル嬢に関することでは、普段使わない頭をフルに使って次々と無茶ぶりをするエドワード第一王子であった。
((クズは自分でしょうに))
さすがに不敬なので口には出さなかったが、ルネとエレンがそう同時に思ったのは手に取るようにわかった。何しろその場にいた僕も同じ感想を抱いたのだから。
「確かにたまーにそういう物件もあるけど、お金があれば誰でも領地と爵位を買えるってものではないだろう? いくら大商人や有力な郷紳であっても、貴族として認められるにはそれ相応の格が必要で、それが無いとただ担保権を持っているというだけで、○○伯とか名乗れないわけですから(それが認められれば誰でも貴族になれるからね)、なおさら無理じゃないですか……と言ったら」
『だったら名目上はオリオール公爵家が購入して、チェスティ男爵に譲渡すればいいではないか』
「という自分本位で阿呆なことを言い出すし」
だいたい手に負えなくて手放すような領地なんて負債物件と相場が決まっているんだから、法律に基づいて一年間相続人が名乗り出て手続きをしなければ、国有地としてある意味王家の直轄地になるんだから、第一王子の権限――というか男の甲斐性――で自分でどうにかできるんだったらやってみろ、と喉元まで出かかったものだ。
「……ま、それだと迂遠でアドリエンヌ嬢との結婚に間に合わないと焦っているのかも知れないけど、アレに付き合うのはほとほと疲れるね。適当に『前向きに検討します』とお茶を濁してきたけど、ホントマジでどうしたもんか」
心労の他にコルセットの息苦しさにため息を漏らしつつ、僕は改めてルネとエレンの顔を眺めて確かめる。
「ねえ、わざわざ女装して買い物に行く必要ってあるの?」
「勿論ですわ、ロレーナお義姉様! それにナディア様からお誘いを受けているのでしょう。そうであれば普段からロレーナお義姉様に慣れていないとボロが出る可能性がございますもの」
身を爛々と光らせて、食い気味にルネが言い切った。
「いや、どんなに繕ってもどーしたってボロは出ると思うんだけど……」
男だし。
「そんなことは絶対にあり得ませんわ!! はばかりながらロレーナお義姉様ほどお美しくお麗しく、可憐で儚げなご令嬢など存在いたしません! あらゆる令嬢の上位互換と申しましょうか……そのあたりご自分を信じて、もっとしっかりとご自覚くださいませっ!」
変な太鼓判を捺された僕は、勢いに押されてとりあえず頷いていた。
「――ういっす」




