暗躍する者たち(歴史の改竄?)
崩れ行く地下の辛うじて残っていた瓦礫を足場に、僕の動きについてこれるエレナともども飛蝗のように跳び回りながら、この地下五階をほぼ覆い尽くさんばかりに巨大化して、階層そのものに擬態していた〝粘液生物”――まあ、実態は粘菌の塊りらしいのだけれど――の波を躱す僕ら。
「エレナ! 僕は大丈夫だから、他の皆のフォローを――」
「知ったことではありません。行動には責任を負うものです。危険だとわかっている場所に足を踏み入れた段階で自己責任です。そして、私の役目は公子様をお守りすることです」
それ以上のことはしませんと、打てば響く調子で返答をするエレナ。
さすがは『没人情』が行動規範の《影》だけのことはある。
「きゃああああああああああああああああああッ!!」
魂消る乙女の悲鳴にそちらを見てみれば、案の定というかお約束を踏襲しなければ気が済まないのかと脱力するべきか……どういう塩梅か、前後を護衛に守られていたはずの(一番トロくさい)オデット嬢が、ひとり離れた場所で〝粘液生物”に足を取られ、なすすべなく飲み込まれようとしていた。
慌てて駆け寄ろうとするオデット嬢の護衛の女騎士たちだが、天井から落ちてきた〝粘液生物”が分離して、人間大の大きさになって立ち上がった〝粘液生物人”ともいうべき怪物が、幾重にも邪魔をしてオデット嬢との間に立ち塞がる。
「う、うわああっ!?!」
混乱したらしいアドルフの従者のひとりが、短剣を投げナイフのように〝粘液生物人”に向かって投擲したが、当然のように意味がなく、粘性のある水の中に石を投げ込んだようなもので、しばし〝粘液生物人”の体内で浮かんでいた短剣だが、
「――っ!?」
お返し――とばかり、短剣のある部分が鞭のように伸び、さらには露出させた短剣の切っ先を、もとの持ち主である護衛の青年に向けて一閃させた。
慌てて身を躱した青年だが、伸縮する粘性の触手を前に目算を間違えたのか、あるいは直前でさらに伸びたのか、二の腕の辺りをスパッと切られる。
「くっ……!」
「大丈夫か!?」
腕を押さえて顔をしかめる青年を気遣うアドルフ。
――お前、気遣う相手を間違えてるだろう!? いままさに許婚が死に瀕しているんだけど!!
「大丈夫です。この程度はかすり傷で――」
強がった青年の言葉が終わらないうちに、〝粘液生物人”たちが一斉に触手を伸ばして、青年の血が噴き出す傷口や、口、鼻、耳の穴という穴という穴に触手を差し入れた――かと思うと、ほぼ一瞬にして血液を主とした体液を、まるでスポイトで吸い上げるように吸収した。
あっという間に木乃伊の完成である。
「「「「「う、うあああああああああああああああああああっ!?!!」」」」」
恐慌状態になるアドルフ以下、その従者たち。
まあ、いくら剣に自信があっても、こんなもんどうしようもないからね。
「オデット嬢、緊急事態ゆえ、失礼の段、お許しください!」
一気にオデット嬢の場所に移動を終えた僕は、彼女の華奢な体を片手で引っこ抜いて、一声かけてお姫様抱っこで即座に離脱し、こちらはどうやら〝粘液生物”に取り込まれずに無事だったらしい、昇降機の中へと半ば投げ込むように退避させる。
「ロラン公子様、こちらは粗方避難済みです! ただ――」
一方、率先して混乱するアドルフ以下の面々を、昇降機の中へ誘導していたシビルさんが、オデット嬢を受け止めて、現状を報告してくれた。
さすがは元アナトリア娘子軍の百人隊長だけのことはある。混乱する烏合の衆を統率して――ほとんど無理やり殴り飛ばしたり、蹴り込んでいたような気もするけど、非常事態なので後から文句を言われても、緊急避難ということで僕の権限で突っぱねよう――安全地帯にいち早く避難させる、目端の利きようは抜群である。
「ただ、この混乱でガブリエル殿が消息――いえ、行方不明となっています!」
呆然とショックを受けているオデット嬢を、慌てて戻ってきた女騎士たちに預けたところで、何かを言いかけたシビルさんだけれど、周囲の耳目を慮ったのかとりあえず穏当な表現に言い直してくれた。
「――私の目には、コソコソと自分から地下深くへ潜って行ったように見えましたが」
僕にだけ聞こえる特殊な発声法を使って、エレナがガブリエルの怪しい行動について補足してくれた。
「わかった! 僕はこのままエレナとガブリエルの捜査と救助、できればこの巨大〝粘液生物”の核を探して破壊するようにする!」
というか、どう考えてもこいつ単なる下等な魔物である〝粘液生物”じゃないよなぁ。
擬態といい、罠といい、明かに意識を持ったとてつもなく巨大で狡猾な魔物である。
いや、強力な魔物とか魔族とかはいままでも何度か相手をしてきたことがあるけど、コイツの場合は総体としては、おそらくドラゴンかそれ以上の魔力を持っているくせに、とにかく広く薄く存在を隠蔽して魔力をほとんど感じさせない。さらには弱点である核の位置を特定させないようにしているのが嫌らしいところだ。
仮にベルグランデで周囲一帯を消し飛ばしたところで、密かに核を移動させられていたら、時間さえかければ再生することだろう。
確実に目で核を確認して破壊しなければ意味がない。
「シビルさんは、そのまま昇降機で地上へ戻って、状況を説明お願いします!」
「――っ! ……止むを得ません。承知しました」
頼りになるのはもはや彼女だけである。
「待て、俺も付いて行くぞ!」
と、僕に対する対抗意識のなせる業か、なかば反射的にアドルフが、長剣を握って昇降機から飛び出しかけた。
その向こうで、ハッと我に返ってすがるような目で、アドルフの背中を見据えるオデット嬢のいじらしい姿が目に入った瞬間――
「馬鹿か貴様はっ!!」
王子の取巻きAとして、取り繕った態度を心掛けていた――その演技を忘れて、僕はアドルフを怒鳴りつけていた。
「ハッキリ言って足手まといだ! いや、いまのお前に比べたら、まだカタリナやセシーリアたち女騎士のほうが役に立つ。なぜなら彼女たちには明確な目的意識と、なにを優先すべきかの理性があるから。だけど、いまの君にはなにもない、空っぽだ!」
辛辣な僕の言葉に、昇降機の出入り口のところで固まるアドルフ。
「武を修める者は、正しい目的のために力を使わなければならないのは当然だろう!?」
ふと、僕の脳裏に手段が目的に変わってしまった〈剣鬼〉の哀れな姿と、心技体バラバラの状態でそれに立ち向かっていって、不具者と化した〈黒若獅子〉フィルマンの透徹した笑みが甦った。
激情のままに僕は叫んでいた。いや、アドルフを糾弾していた。
「何のために強くなろうとしたんだ!? 誰かと競ったり、人々から称賛されるのが目的じゃなかったんだろう! 大事な人を守るために強く、剄くなろうとしたんだろう!! それを忘れたお前には背中を預けられない!」
僕の感情的な叱責に、弾かれたように振り返ってオデット嬢を振り返るアドルフ。
複雑な表情で彼女を見据えるアドルフだが、ともかくもこの場に足を踏み入れて――いや、ことによると数ヶ月、一年ぶりで――自身の許嫁殿と視線を合わせた瞬間であった。
同時に、「限界です。上昇します!」とのシビルさんの合図で、昇降機が意外な速さで地下一階へと向かって、僕ら以外の全員を乗せて上昇していった。
それを確認した僕は、
「〝来たれ〈神剣ベルグランデ〉っ”!!」
取り急ぎベルグランデを召喚しつつ、向かい来る〝粘液生物人”と、大波のような〝粘液生物”へ向かって行く。
「一気に斃すのですか?」
「いや、切り開いて核を探す。密度が高い方に核があるはずだ」
エレナの問い掛けに答えつつ、顕現した巨大な〈神剣ベルグランデ〉を、
「〝分離”」
もうひとつの形態である、100本あまりの歴代の〈神剣〉(剣以外にも数多の武器があるが)へと分離させた。
いまの僕の手にあるのは、青く透き通った僕専用の長剣〈神剣・天下無双〉のみで、他の〈神剣〉は僕の周りを、衛星が惑星を取り囲むように浮遊している。
「だいたいの核の場所が確定したら、〈神剣〉による結界を張って逃げられないようにする。そうしないと安心できないからね」
「なるほど、道理ですね。それでガブリエル殿はどうしますか?」
「大方、目的があって姿を隠したんだろうけど、放置するのも寝覚めが悪いので、可能な限り探すことにするよ」
「わかりました」
まあ、知ったことではないですね、という含みを持たせて首肯するエレナであった。
◆
上層から漂ってくるすさまじい〈神気〉を感じて、身にまとった魔力がたちまち霧散するのを感じた取巻きGである、ガブリエル・エンゲルブレクト・アルムグレーン(年齢不詳)は、張り巡らせた結界の中で苦笑を浮かべた。
「さすがは音に聞こえた〈神剣ベルグランデ〉。押さえていてもこの威力か」
この調子では、さしもの〈魔獣ボゲードン〉も早々に討たれるだろうな、と予想して、その前に可能な限り核(主核は無理にしても副核あたり)を確保できればいいのだが……と、呟きながら懐から何やら帳面を取り出すガブリエル。
「それにしても、ここまで台本と予定が狂うとは、どこに問題があるものやら」
帳面に書かれているその内容は、クリステルが密かに書き記していた『前世の記憶』による、この世界にこれから起こるであろうストーリーとエピソードについてであった。
クリステルが厳重に隠しているつもりのそれを、いともたやすく複写しておいたそれ。
さらには、それに付け加えて彼女が忘れていたり、重要でないとして省いた情報も書き加えられている。
『前世』と呼ばれる特殊な記憶を持った存在が、ごくまれに生まれることはガブリエルの業界では、実のところ周知の事実であった。
たまになにか勘違いした転生者らしい赤ん坊が、両親が寝ている間にスクワット運動をしたり、魔術の訓練をしたりして、気付いた両親によって〝悪魔の子”として、火炙りにされたりするのは田舎ではよくあることだ。
転生者曰く〝チートのための訓練”とからしいが、赤ん坊がそんなことしていたら、一般人どころか魔術師でも気持ち悪がるし、そもそも赤ん坊の事には夜の夜中まで神経を張り巡らせている母親の目を盗むとか、できるわけはない。
結果的に転生者の多くは処分されているのだが、処分する前に魔術で頭の中身をそっくり覗いて確認したり――確実に廃人になるが知ったことではない。迂闊な自分を恨むがよい――中にはクリステルのような、幸運に恵まれて生き延びた連中もいて、そうした者たちの記憶や記録を密かに集めては、国の役に立てるように画策しているのがミネラ公国の公王その人であった。
表では科学を信奉しているように見せかけて、裏では魔術を効率よく運用する策士。まさに乱世の梟雄たる彼の命令で、早晩、混乱が起きるであろうオルヴィエール統一王国へ、火中の栗であるクリステルを送り込んだのはいいが、どうにもその後が既定路線から逸脱しているように思える。
そう懸念した公王によって送り込まれたガブリエルであったが、確かに彼女の目から見えてもどうにも不可解な、イレギュラーな出来事が多すぎるように思えた。
(問題はイレギュラーの中心であるのだが……)
ロラン公子、アドリエンヌ公女、そしてクリステル自身。
候補は絞れてきたのだが、どうにも決め手には欠けていた。
(とりあえず、一番可能性の高そうなロラン公子のお手並み拝見ですね)
そうほくそ笑むガブリエルであった。
11月27日 ロランの剣の名前が、他の私の作品で使われていたので修正しました。
〈神剣・至高の栄光〉→〈神剣・天下無双〉




