side:ご令嬢方の憂鬱①【オデット嬢の場合】
お待たせしました。
しばし、令嬢パートで話が推移します。
オルヴィエール統一王国でも屈指の門閥貴族であるショーソンニエル侯爵家の息女オデット・プルデンシア・ショーソンニエル(十七歳)には、苦手な相手が三人いた。
いや、気弱で人見知りの彼女にとっては、大抵の相手が苦手なのだが、その中でも特に苦手――鬼門といってもいい相手が、同年代の貴族の子弟子女の中に三人いたのだ。
無論のこと、多くの貴族を従え大派閥を築いているショーソンニエル侯爵家の息女に対して、面と向かって不敬を働く不埒者など皆無であり、オデットが一方的に苦手と思っているだけなのだが、だからといって避けて通れないのが辛いところである。
通常、年頃で未婚の貴族の令嬢が、おいそれと人前に出る機会など滅多にないため、仮にパーティなどがあった場合、その相手も招待されていると知っていれば回避することも可能なのだが、幸か不幸かこの国には『オルヴィエール貴族学園』というものが存在し、よほどの事情がない限り、十三歳から十八歳まで高等部に在籍するのが当然……という風潮があった。
そのため、嫌でもその相手と顔を合わせて、場合によっては(オデットだけが針の筵で)一緒の授業や課題に挑まねばならない。
十二歳まで、ずっと領都にある領主館か、父であるショーソンニエル侯爵が春と夏に開催される議会に出席する関係で、首都アエテルニタにある町屋敷で過ごすかして、気心の知れたメイドや従僕、家庭教師たちの相手をしていればよかったオデットとしては、全く気が進まない進学であったが、第一王子であるエドワード殿下を筆頭に、国内外の有力貴族の子弟子女が学園の門を潜るとあっては、病気や留学、結婚などのやむを得ない事情がなければ、これを回避するのは不可能――というか、今後の貴族社会で爪弾きにされるのが目に見えていたため、オデットとしては泣く泣く入学を承諾しなければならなかったのだ。
不幸中の幸いとしては、ショーソンニエル侯爵領と近しい関係であるカルバンティエ子爵家の嫡男にして、幼馴染で許婚の間柄であるアドルフ・ライナー・カルバンティエ(現在十八歳)も、同じく学園に入学するため、いままでは年に何度かしか会う機会がなく、互いに手紙のやり取りしかできなかった彼と、身近に接することができるというのは、素直に嬉しかったけれど……。
なお、学園には初等部や中等部からの繰り上げ組も当然いるが、彼らのほとんどが商人や学者、官僚を志す平民か下級貴族の子弟であり、有力貴族や王侯貴族の血族の場合は、高等部からの進学が通例であった。
なんとなれば、高等部からの進学組にとっては、学園の授業など家庭教師に教えられた復習の場であり、貴族学園への入学は箔付けと通過儀礼――もっと明確にいえば、派閥や立ち回り、関係する人物の評価、部下として使えそうな人間の発掘、将来の伴侶の選定という、将来の貴族社会を見据えた実践の機会、かつ羽を伸ばせる唯一の猶予期間――という側面があったからである。
本来であればそんな空気に馴染むか満喫するべきであったのであろうが、筋金入りの箱入り娘で、かつ人間関係に臆病なオデットにとって、許婚であるアドルフ以外の誰もが怖かった。
正直、アドルフさえいてくれれば後はどうでもよかった。
口にこそ出さないが、そうした雰囲気は感じ取れるものである。
よほど鈍感か、不躾か、明確な悪意があるか……あるいは、よほどお節介焼きでもなければ、いつしか積極的にオデットに関わろうとする者はいなくなっていた。
……ほんの一握りを除いて。
「――なにはともあれ、貴女が無事で良かったわ」
しみじみとそう口に出してオデットの無事を心から安堵している赤毛の麗人――アドリエンヌ・セリア・ジェラルディエール公爵令嬢。
オルヴィエール統一王国の影の王家とも呼ばれる、五公爵家筆頭のご令嬢にして、エドワード第一王子の婚約者である彼女こそが、オデットが苦手としている第一の人物である。
いや、何度も繰り返すが、原因のほとんどがオデットの独り善がりな苦手意識からくるものだ。
何しろアドリエンヌ嬢には一片の悪意も計算もない。純粋にお節介としてオデットをパーティや観劇、今日のようにお茶会に誘ってくださるのだから――。
それを余計なお世話に思ってしまうオデットが、一般的に見て了見が狭い……というか、貴族にあるまじき社交性の無さなのだが、そうした自覚があるだけになおさらこの目の前の華やかな、堂々とした立ち振る舞いの麗しき公爵令嬢を前にすると、好むと好まざるとに関わらず、どうしようもない苦手意識を受けるのだ。
だが、決してアドリエンヌ嬢は気が付かないだろう。世の中には息を潜めて、じっと隠れていることに安息を覚える者がいるということに。
そうして、善意を持って照り付ける太陽の下に連れ出すのだ!
嗚呼、なぜわからないのだろう。所詮は大輪の薔薇と一緒に花瓶に活けられたカスミソウなど、薔薇の引き立て役にしかなく、いっそ惨めであることに。そんな卑屈な思いすら抱いてしまう。
これが同格以下の貴族の子女が相手であれば、ショーソンニエル侯爵家の威光で関係を断つこともできるのだが、王族にも匹敵する公爵家の姫君(つまり王家の一員が相手となれば、どうしようもない。
今日も今日とて、茶会の招待状を貰ったため、こうして戦々恐々と罷りこさねばならなかったのだ。まして――
「アドリエンヌ様にお気遣いいただけるとは、身に余る光栄でございます。幸い私も、私の従者も、アドルフ様も、ロラン様のご尽力により無事に帰還することができました」
そう膝を曲げて答えたオデットに向かって、
「――そう、そのロランがどうなったってことよ。学園が閉鎖されてから一週間。自宅にも帰っていないし、『至聖所』からは〈神剣ベルグランデ〉が消えたままだっていうじゃない?」
キュウリのサンドイッチを抓みながら、気安く声をかけてきたのは、同じテーブルに座る、今回、アドリエンヌ嬢と連名で茶会の招待状を出してきたラヴァンディエ辺境伯家が次期女領主である、ベルナデット・イルセ・ラヴァンディエ嬢(十六歳)であった。
異邦人めいたそのエキゾチックな美貌に視線を回したオデットは、
「それは……」
と続く言葉を探して口ごもる。
ことは王家の機密に関わることである、いかに公爵家に準じる辺境伯家の次期女領主とはいえ、中央貴族でもない彼女にどこまで話してもいいものか。
悩むのと同時に、ベルナデットのことがアドリエンヌとは別ベクトルから苦手としているオデットは、
「……無事、だと思います。少なくとも、私たちを昇降機に乗せるまでは」
そう言葉少なに視線を逸らせて話すのだった。
「貴女の主観ではなくて、客観的な状況が知りたいのだけれど? それとも〝お願いします”とでも言わなければダメかしら?」
ひとつも目が笑っていない笑みをオデットに向けるベルナデット。
(ああ、いつもこうだ。この方と話していると、いつも言葉の棘で刺される)
常に悪意――少なくともオデットにとっては――を込め、見下した目で見て語りかけてくるベルナデット嬢。
実際のところは、歯に衣着せぬ物言いで、一年ほど前から、
「貴女の許婚。最近はエドワード第一王子の腰ギンチャクになった上に……いえ、あまりいい噂を聞かないわね」
「貴女って男を見る目がないわね。節穴だわ」
「貴女のは愛でも恋でもないわ。ただの子供の依存よ」
と、ことあるごとに酷いことを言ってきていた。
そんな彼女が婚約者と破局して、すぐさま五公爵家のひとつ。ロラン・ヴァレリー・オリオール(十七歳)に猛烈なアプローチをかけていると聞いて呆れたのである。
いつものように憎まれ口を叩いてきたベルナデットに対して、珍しくもオデットが反論したものだ。
「不謹慎ではないですか! 婚約者と別れた直後に、別な方に秋波を送るなど……元婚約者に対する裏切りですわ」
そんなオデットの怒りに対する、一歳年下の令嬢の反応は、
「はあ……!?」
という失笑だった。
「バカバカしい。二股かけていたってんだったら、そりゃ不謹慎だし不誠実だろうけど、もう冷めた相手の事をなんで気遣わなくちゃならないわけ?」
それから、無知な子供を諭すような、小馬鹿にした口調で、大仰に肩をすくめてそう付け加える。
「それでも一度は婚約者として愛すると誓った相手に対して……」
「あのさぁ、世の中ってのは、初恋が実って一生意中の相手だけと添い遂げるなんて例は、まずもってないのはわかるでしょう? 一目惚れをした王子様とお姫様が結婚をして、『めでたしめでたし』なんてこと、この業界においてさえお伽噺だし。そもそも貴女の理屈で言えば初恋が実らなかったら、その人間は生涯その次の恋をすることも許されないってことじゃない?」
「それは――」
もしも自分がアドルフとの結婚が叶わなければ、修道院に入るだろう。そう思うオデットだった。
「人の心は変わるもの。だからこれは浮気じゃないわ、誰かを本気で好きになる……心変わりってものよ」
そう意気揚々と、到底受け入れがたい価値観を、恥じることなく誇るベルナデットを前に、絶句したオデット。
そんな彼女に向かって、むしろ憐れむような人の悪い笑顔を送るベルナデット。
もしも今回の招待が彼女一人からのものであったら、仮病を使って断っただろう。けれど場所がアドリエンヌ名義の別邸――王都郊外の避暑地にあるカントリー・ハウス――への招待とあって、やむなく足を運んだらこれである。
(やっぱり来るんじゃなかった……)
そう思いながら、オデットは学園の地下で遭遇した魔獣――国ひとつする食らい尽くすような巨大なスライム――〈魔獣ボゲードン〉との遭遇からの顛末を思い出していた。
ちなみにオデット嬢の苦手な相手三人目はロランです。
理由は、マトモだった当時、アドルフがたびたび俎上に出して、「あいつはスゴイ」「負けられない」と楽し気に喋っていたので、嫉妬によるものです。




