【第7話】不退転
「やぁ、いらっしゃい。…多岐勇人君だね?」
冒険者ギルド長『近衛文六』は、まるで久し振りに会った親友を懐かしむような表情で俺の名前を呼んだ。
「初めまして…あの、いきなりで不躾なんですが、どうして俺の『苗字』をご存知なんでしょうか?」
下の名前は冒険者ギルドでも名乗っているので周知の事実かも知れないが『多岐』と言う苗字は誰にも教えていない。
事前にルリから連絡でもあったのかとも考えたが、そもそもルリにすら苗字は名乗っていないのだ。
「ああ、なるほどなるほど。るーちゃんからまだ何も聞かされておらんのですな」
「るーちゃん?」
「いかんいかん、ついつい昔の呼び名が出てしまったわい…るーちゃんとは、瑠璃殿の事じゃよ」
なるほど、そう言えばルリとギルド長は旧知の仲だと言ってたっけ。
「ルリからは何も聞いてませんが、俺の名前を知っていたのには何か理由があるんですか?」
ギルド長は困ったように笑いながら、俺に向かって頭を下げる。
「確かに理由はあるんじゃが、瑠璃殿が話してないのであれば、ここでわしから話すべきではないと思う。すまんが老人の戯言じゃと思って忘れてくれんかの?」
気にはなるが、無理に聞き出そうとも思わなかったので了承する事にした。
「ところで、今日こちらに伺ったのは…」
「凛から聞いとるよ、魔獣討伐に関しての話じゃな?」
「はい、魔獣討伐の際に近衛家当主の力を貸して頂きたいんです」
「ふむ、皇国の騎士団長である儂の息子に助力を請いたいと…それは、瑠璃殿が言っておったのかな?」
「ええ、魔獣討伐は『御三家』の悲願…近衛家はきっと力を貸してくれるでしょう…と」
俺はルリから言われた事を、そのままギルド長に伝える。
「御三家の悲願、か…儂等も老いた、これが最期の機会かも知れん。今、儂の目の前に君が居るのも『運命』なのじゃろうな…自分が犯した過ちは自分の手で正さねばならん、瑠璃殿も覚悟を決めたのじゃろう」
ギルド長は感慨深く頷くと、真剣な顔でそう言った。
「それじゃあ…」
「…じゃがな、申し訳ないが息子の力は貸せんのじゃ」
「え…?」
「すまんの、今は貸したくても貸せないんじゃよ」
ギルド長は困った顔で頭を垂れる。
「今は…と、言うと?」
「うむ、実は数日前から息子が率いる『鋼鉄騎士団』は遠征に出ておってのう…この国に帰って来るのは、二ヶ月程先なんじゃ」
「二ヶ月ですか」
俺としては魔獣討伐を始めるのが二ヶ月後でも一向に構わないんだが、ルリが冒険者ギルドで大々的に魔獣討伐を宣言した手前、二ヶ月も何もせず待ち惚けると言うのも居心地が悪い。
「もう少し若ければ、儂が力を貸してやるんじゃがのう」
「いえいえ、お気持ちだけで充分ですから…」
近衛家の元当主とは言え、自分の祖父とそう歳が変わらないであろう老人を戦闘に駆り出す気など更々ない。
「ふむ、じゃが魔獣の討伐は『御三家』の『義務』近衛家だけが何もせぬ訳にも…」
ガチャッ!
ギルド長が困ったように唸る中、部屋の扉が勢いよく開かれる。
「私が行きます!」
声と共に部屋へ入って来たのは、受付のお姉さん…リンさんだった。
「…リンさん?」
予想もしていなかった人物の登場に、俺は状況が飲み込めないまま茫然と呟く。
「お祖父様、私は未熟なれど近衛家当主の娘。近衛家代表として、魔獣討伐の手助けをしたいのです」
「わかっておるのか、凛よ?『近衛家』の名を背負う事の意味を…近衛家の家訓は『不退転』…何があろうとも退く事は赦されん、例え相手が魔獣であろうともじゃ」
先程までの穏和な表情は消え、鋭い眼光でリンさんを見据える。
「はい、覚悟の上です」
リンさんはその眼光を真っ向から見返しそう答えた。
「「「………」」」
無言の圧力と言うものだろうか?
二人の迫力に気圧され、横で見ているだけの俺でさえ口を噤んでしまう。
「…ふぅ、言い出したら聞かんところは誰に似たんじゃろうかのう」
先に折れたのはギルド長の方だった。
「ふふ、誰に…と言うより、近衛家の『血』だと思いますよ?」
そう言って、穏やかに顔を綻ばせる。
「なるほど、不退転…か」
二人のやり取りを見て、俺はポツリと呟いた。
「改めまして、勇人様…近衛家当主の娘『近衛凛』です。微力ではありますが、魔獣討伐の協力をさせて頂きたいと存じます」
俺の前で片膝を着き、頭を下げながら仰々しくリンさんが言う。
「えっと、何かむず痒いので普段通りにお願いします」
「そうですか、では…今後ともよろしくお願いしますね、ハヤトさん♪」
普段通りの笑顔を浮かべ、俺に向かって右手を差し出した。
「ええ、此方こそ」
そう言って、俺は差し出された彼女の手を握り返す。
「勇人君、凛を…凛を頼みましたぞ!」
先程までの迫力は何処へやら、かわいい孫娘を心配する祖父の姿がそこにあった。
「お、お祖父様ったら…」
恥ずかしそうに下を向くリンさんに、気になっていた事を聞いてみる。
「だけど、リンさん…どうして協力を申し出てくれたんです?さっきギルドで魔獣について話してくれた時は何て言うか、その…」
魔獣の事をあんなにも恐れていたのに…とは流石に口に出せず、俺は言葉を濁した。
「…魔獣に対する恐怖を克服したかと言われれば、私はまだ克服出来ていないと思います。ですが、ハヤトさんの言葉が…魔獣を倒すと言い切った貴方の言葉が、私の背中を押してくれたんです」
「リンさん…」
それは俺も同じだった。あの時、彼女の壮絶な体験談を聞いて、俺は背中を押されたのだから。
「それと、もう一つ…」
「もう一つ?」
俺は首を傾げながら問い返す。
「…貴方の事を好きになってしまったから」
頬を紅く染め、はにかんだ笑顔でそう言った。
「…え?」
あー、そう言えばこの作品ってラブコメファンタジーだったわ。