奇妙な登山
今から思い返すと5年ぐらい前の出来事でしょうか。
東北の震災が発生して、はじめての夏。記録的な猛暑日と遅々として進まない震災復興と支援を呼びかける報道が日夜続いておりました。私はその夏に父とともに奈良県にある、某山に登山へ出かけました。幼いときはクワガタやカブトムシなどを捕まえに朝早くから出かけたことがある山です。登山が趣味である父とともにいろんな山に登ってきた私ですが、幼い日の昆虫採集を除き、純粋に登山をこの山で行うのは初めてのことです。真夏ということもあり、山に登る前は汗が止まらず、照りつける太陽に身体は焼けるように皮膚を舐めまわされました。しかし、山へ入ると木々が鬱蒼と生い茂っており、日光を防いでくれることで安心して進むことができました。道中、他の登山者とすれ違うと挨拶するのも山登りする者として当然のことです。前方から40代ぐらいの男性とすれ違いました。
「こんにちは!」私と父は彼に声をかけました。
それから男性と少し話、目的地までの山頂へは一本道だからこのまま、まっすぐ進めばいいという話を伺いました。男性に礼をいい、登山を続けます。緑が生え渡り、日光が遮る登山道を進むうちに、ある奇妙な道を見つけました。すれ違った男性がいう一本道を歩いていると、獣道とはちがう、けれども完全に整備されているわけではない人間が通ったかのような道を発見したのです。その道は草がなぎ倒されていてかろうじて進めるようになっていました。ちょうどゲートのようにその道の左右に2メートルは超えている草が生えております。道幅はわずか30センチにも満たないでしょうか。肩を左右の草にぶつけながらかろうじて進める道です。
私と父は山を管理する施設がこの先にあるのではと推理しました。ちょうど通れそうなので少し冒険をしてみようとそのときは思いました。その道を歩いていると、不思議とあたりは静かで今まで鳴いていたセミの声すら聴きません。歩いているとなにやら広い空間に出くわしました。真ん中に杭が立っており、その円周内には草木一本生えておりません。杭をみると年数が経っているためか文字を判別することが出来ませんでした。かろうじて[永]という字がうっすらと読むことが出来ただけです。父は途端に
「今日はこれぐらいにして帰るぞ」と言いました。
私はまだ山頂についていないのになぜ帰るのか訝しみました。その疑問をぶつけると父はあとで話すと言って教えてくれません。やがて狭い道を抜け登山用に整備された一本道に着きました。下りの道を進んでいる途中で父はふと話し出しました。
「思えば、あの道も奇妙やったな」私は何が奇妙であったのかわかりません。
「なんや気付かんかったんか。あの道を通った途端に一切物音がせんかったやんか」
確かにそうです。風が吹く音、鳥のさえずり、セミの大合唱がまったくありませんでした。父は不思議に思ってたようです。そしてあの広い空間に出た後もそれが続きました。父は細かく観察してたようです。私は杭にしか見てなかったのですが、父曰く、生き物の類いが一切出くわさなかったようです。普通は道に蟻やバッタ、チョウと言った生き物に出会います。広い空間でさえも無音に包まれ、生き物の気配が全くなかったのです。父は奇妙に感じ早急に帰った方がいいと判断したのです。確かに一本道に出てからはじめて生き物やセミの大合唱に出くわしました。そのため父はほっとして語り出したようです。それからというものその山には登っていません。
あの道はなんだったんでしょうか。今でも疑問です。