番外編 在りし日の憧憬⑫
「まぁ……アシュレイにもお友達が出来たのですね。とてもよい事です」
過去へと思考を巡らせていた私は、背後からかけられた声に意識を現実へと戻した。
振り返ると、穏やかな微笑みを浮かべるアーシャと彼女に寄り添うキリリィクの姿がこの目に入った。
「おや、奥方様達がいらっしゃったのなら私は邪魔物ですね……どうか、曇りのない目で彼等を見てあげて下さい」
そう言うと私と一緒にいた壮年の教師は、背を向けて私達から離れていった。
「……来ていたのか」
私と婚姻を結んだ後、あの女によるアーシャへの攻撃は鳴りを潜めた。
まるで、もう眼中にないと言わんばかりに。
「えぇ、1度アシュレイが学園でどう過ごしているのか見てみたかったのです。キリリィクは私を心配して付き添いに、たまには外に出ないと体にも悪いですから」
アーシャは今までは家の外はおろか、家の庭でさえ出る事は稀であった。
特にスレイヤの血を引く少年の事を憎しみながらも、スレイヤを連想させる少年を目に入れる事を避けていた。
彼女は本当に過去を、スレイヤを忘却してしまったのだ。
「……申し訳ございません、ジーク様。姉上がどうしてもと……」
嬉しそうに微笑むアーシャとは裏腹に、キリリィクは少し申し訳なさそうに眉を下げる。
私があまりいい顔をしないと思っているのだろう。
「構わない。アーシャの望む通りにすればいい。アーシャ、アシュレイならそこにいる。君が顔を見せれば喜ぶだろう。行ってくればいい」
私が行ってくるよう声をかけると、アーシャは顔を綻ばせてアシュレイ達の元へと足を向けた。
「……ジーク様」
キリリィクは私に複雑そうな顔をした。
ほんの少しの安堵と……心配しているのだろう。
だが、それは無用だ。
「そんな顔をするな。私がアレ等を赦すことは永遠にない……お前もそれでいいのではないか? あの少年を認めるという事が、赦すという事になる訳ではない……勿論、スレイを忘れるという事にもならない」
あの日、スレイヤが死んだと知った日、キリリィクは私にシュトロベルンを決して赦さないと誓った。
憧れて騎士を目指していたのに、キリリィクは復讐と力を求めて騎士になった。
心に傷を負ったのはアーシャだけではない。
キリリィクもまた幼かった心に消えぬ傷を負った。
彼の未来を歪めてしまった。
キリリィクは怖いのだろう。
あの少年を認める事で、スレイヤや身の内に抱いた憎悪が過去のものとなってしまう事が。
認める事が、スレイヤや生まれる筈だったあの子への裏切りだと思っているのだ。
「……僕には分かりません、これが本当に姉上の幸せなのか……」
「私もそうだ。まだ答えを出すのは早い……そうだな、今は保留、という事にでもすればいいのではないか?」
あの子達の先は長い。
答えはまだ出さなくともよいだろう。
「……変わりましたね、ジーク様も……行きましょう、姉上が待っております」
キリリィクは一瞬寂しそうに笑うと、アーシャの元へと足を運んだ。
私もゆっくりと瞬きをして、キリリィクの後に続いた。
今日はよく晴れている。
緑が乱反射して、眩しい位だ。
「ジーク、見てください。アシュレイのお友達、とても素敵な子達です」
「……こんにちは、スタッガルド将軍」
挨拶をしたのは、私と同じ魔眼持ちの少年。
少し困ったような気まずそうな顔をしている。
「ふふ、とても可愛いらしい子で驚きました。アシュレイとあまり似たタイプでは無さそうですので」
「母上、こう見えてリュートは俺より強いんだ。いつも実技の授業ではペアを組んでいる」
アシュレイはアーシャに少し照れながらも、誇らしげに話した。
アシュレイはこの少年に本当に心を許しているようだ。
「あら、そうなのですか? 私も昔は剣が得意だったのですよ。今度、貴方達と手合わせしてみたいものです」
「……母上が?……俺達に勝つのは無理だと思いますけど」
「言いますね、まだまだ私は子供には負けませんよ。ねぇ、ジーク?」
普通の親子のように、アシュレイとアーシャが笑顔で話している。
ずっと
私がずっと望んでいた光景だ。
「そうだな……まだまだ若い世代に負ける訳にはいかない」
その景色に1人欠けているのが寂しい、悔しい。
この胸の痛みは、傷は決して無くなったりはしない。
「本当に、アシュレイは良き友を得たようです。アシュレイは少し不器用なところがありますが、これからも仲良くしてあげて下さいね。そこの貴方も……いつもアシュレイと遊んで貰ってありがとうございます。今度是非、我が家に遊びに来てください」
アーシャが魔眼持ちの少年に感謝を告げた後、今まで静かに見守るだけであったスレイヤの血を引く少年に目を向けた。
ほんの少し、場に緊張が走った。
「……えぇ、機会がありましたら」
「遠慮は無用ですから、是非来てください。私もアシュレイの学園での話をお聞きしたいですから」
アーシャに特に変わった反応は見られない。
スレイヤの面影を強く受け継いだ少年を見ても、アーシャは何も思い出さなかった。
もう、私が望んだ光景を見ることは2度と出来ない。
それでも……、この景色も悪くないと思えた。
今度こそ、私はこの景色を壊させはしない。
「……あぁ、とても綺麗な瞳ですね」
アーシャの手が、少年の目の縁を親指でなぜる。
少年の体が少し強張った。
見開いた瞳は、スレイヤと同じ青だ。
氷のような薄青。
「……何だか、少し懐かしい色です」
──だが、スレイヤは子の瞳の色は闇のような黒だと言っていなかっただろうか?
きっと自分の気のせいだと、私は思ったのであった。