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番外編 在りし日の憧憬⑪

 

クリスティーナ・シュトロベルンの出産から数ヶ月、アーシャの懐妊が分かった。

勿論、スレイヤとの子だ。


「……スレイ、子供は離縁が成立してからの方が良かったのではなかったのか?」


質問の形を取りつつも、咎める意味で私はスレイヤに言った。

まだ、あの女はアーシャを狙っている。

全て防いでいるが、時折差し向けられる刺客は後をたたない。

元から絶ちたくとも、あの女の差し金だという証拠は全く見つからない。

仮に見つかったとしても、公的に裁くことは出来ないだろう。

此方は防御一択だ。


「分かってる……けど、アーシャももう限界だったんだ。それに、血はくれてやった。もうあの女のお遊びに付き合うのは終わりだ」


そう忌々しげにスレイヤは言った。


スレイヤの言い分も分かる。

アーシャは不安定な状態がずっと続いていて、いつ完全に折れてしまうか分からない状態だ。

それになにより、それはアーシャ自身の望みであった。


「だが、子は魔眼持ちではなかったのだろう? ……そう簡単に公爵が引くか?」


スレイヤは生まれた子は、黒髪に黒い瞳で魔法陣は浮かんでいなかったと前に言っていた。

忌々しい薄汚い目の色だったとも。


「引かせるさ、何をしてでも(・・・・・・)、ね。そもそもあの女は四六時中男を侍らせているんだし、離縁をする理由としては十分だろう?」


暗く陰った瞳でスレイヤは笑って、部屋から出ていった。

その姿はどこか危うい。


スレイヤの言うように、クリスティーナ・シュトロベルンは結婚してからもそれまでの生活を改める事なく、当初腹に宿った子もスレイヤの実子かどうか危ぶまれた程であった。

結局、黒髪や面立ちが瓜二つだった事から、そのように疑う者は居なくなったが、誰から見ても酷いものであった。

普通(・・)であったならスレイヤの要求が全面的に通るのだろう。

だが、クリスティーナ・シュトロベルンは、シュトロベルン公爵家は普通(・・)ではない。

私はこの時、スレイヤを何としてでも止めるべきであった。

後になって、悔やんでも遅い。


──この日が、私がスレイヤと話した最後の日になった。








◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆










外はしとしとと雨が降り続ける。

日の光を通さぬ暗雲は、まるでこの現実を表しているかのようだ。


スレイヤが死んだ。

殺された。

もう2度と会うことは叶わない。

そして、アーシャもまた狂ってしまった。

その口からは怨嗟を吐き出し、カーテンを閉めきった暗い部屋で一人心を閉ざしている。

何もかもが変わってしまった。


「……すまない、スタッガルド将軍」


目の前に座す青年が、私に対して謝罪を告げる。

私は今日、この国の王太子であるギルベルド・ライト・ユグドラシア殿下に呼び出されて、殿下の執務室を訪ねていた。


「いえ……殿下が謝罪なさる事ではありません……貴方は無関係でしたから」


私はただ表情1つ変えずに、坦々と言葉を返した。

将来国を背負って立つ王太子であるこの方が、謝罪を述べるなどあってはならぬ事だ。

それに、この方が謝罪する必要はない。

殿下は何も(・・)していないのだから。


「……そうだ、な。俺は無関係だ。何もしてやれなかった……」


私の無礼ともとれる発言に、殿下は咎める事をしなかった。

室内が沈黙につつまれる。


「……殿下、お話がその件に関してならそろそろ席を外したいのですが」


気まずい沈黙に、私は部屋を退出しようと願い出た。

私は殿下に対してはないが、王家に対しては思う事がある。

シュトロベルン公爵を優遇し、その言葉ばかりに耳を傾ける陛下へは恨みがある。

これ以上この場に居たら、それこそ何を言い出すか分からない。

早々に席を立つべきだ。


「そうだな……では率直に言おう。アーシャ・ブロウルと直ちに籍を入れろ。腹の子も……将軍の子として育てろ」


しかし殿下はそんな私に一瞬躊躇いを見せた後、とんでもない事を口にした。


「何を……何を、仰っているのですかっ!? そんなもの、従える筈がないっ!!」


私はたまらずに激昂する。

ふざけていると思った。

私やアーシャの事を馬鹿にしている。

私達がスレイヤを裏切る事などない。


「私も伯爵が亡くなったばかりで言うべき事ではないと思うが……時間がない。アーシャ・ブロウルに縁談が持ち上がって来ている。カルテウス侯爵の後妻として、だ。分かるな、スタッガルド将軍。ブロウル子爵は弱小貴族、断りを入れるにはそれ相応の理由が必要だ」


殿下の言葉に掌を強く握りしめ、唇を噛み締める。

だが、流れる血も痛みも私の怒りを静めるにはいたらない。


カルテウス侯爵は好色の爺だ。

既に跡取りもいる上、若い娘が好きで何人もの妾や平民の愛人がいる。

だが、これまでアーシャとの面識はない筈だし、そんな話が上がった事はない。

十中八九、突然わいたこの話にはあの家が絡んでいる。

あの女はアーシャからスレイヤを殺したばかりか、その尊厳すら穢そうとしている。


「……承知致しました。アーシャ・ブロウルと話をしてみます」


私は沸き上がる怒りを抑えて、今度こそ部屋を退出した。

これ以上、殿下に怒りをぶつけたところで意味はない。

それに正式に話が回る前に私に告げたのは、殿下の善意だろう。

カルテウス侯爵との婚姻話も、俺が相手なら蹴散らせる。


「……赦さない。決して赦さないぞ、シュトロベルン」


私の怨嗟の言葉は誰に聞かれる事なく、ただ心の底で燃え上がった。



番外編は次で終わりです。

次はリュート君もちょろっと出てくる予定です。

大変お待たせしました。

その次に幕間が入って、本編に戻ります。

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