番外編 在りし日の憧憬⑩
数ヶ月後、スレイヤとクリスティーナ・シュトロベルンの結婚式が大々的に挙げられた。
スレイヤは式をするつもりは毛頭なかったようだが、相手は大貴族の娘だ。
シュトロベルン公爵家が手配して、大々的なものとなった。
「……スレイ、後悔はないのか? 今からでも……」
逃げればいいと続けようとして、言葉が出なかった。
そんな事をして何になるのか。
その先に未来はない。
「大丈夫だよ、ジーク。相手はあの毒婦だ。すぐに飽きる。シュトロベルン公爵も魔眼持ちの血を取り込みたいだけのようだしね。1人子を残したら、俺は用済だろう。そうしたら、あの女とは離縁するつもりだ」
まぁ、元々先天的な魔眼持ちでない俺の子が受け継ぐ確率は限りなくゼロに近いだろうけど、とスレイヤは嘲笑うかのように続けた。
「すまない、私にもっと力があれば……」
この国の軍事を司る将軍であるのに、親友であるのに、2人に何もしてやれなかった。
「……何度同じ事を言うんだよ、ジークにはいつも助けられている。だから、アーシャの事をジークに頼むんだ。俺が戻るその時まで、彼女を守って欲しい」
スレイヤは頼むよと、弱々しく私に言った。
ひどく憔悴しきっている。
頬も少しこけ、精彩も欠いていた。
スレイヤにとって、これは血反吐を吐くような苦渋の決断であった。
スレイヤは初めアーシャを危険から遠ざける為に、別れを告げようとした。
あの女は今もアーシャの事を狙っている。
次は本当にアーシャも命を落とすかもしれない、スレイヤはそれを何より危惧していた。
けれど、そんなスレイヤを引き留めたのはアーシャだった。
アーシャは何年でも待つと言った。
中々頷かないスレイヤに、彼女は何度もいい募った。
今の彼女はとても不安定で他人から見れば、それはただの依存に
見えたかもしれない。
だが、私にはそれが愛に見えた。
決して切れない絆に思えた。
だから、私はその時まで今度こそアーシャを守ると、スレイヤに誓ったのだ。
そうして、スレイヤとクリスティーナ・シュトロベルンの婚姻は成立した。
スレイヤにとっては愛などない偽りの婚姻だ。
スレイヤと親しい者で、この婚姻を喜んだ者は誰1人としていなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あの偽りの婚姻から1年が経過した頃、クリスティーナ・シュトロベルンは1人の男児を出産した。
「いや、いや、いやっーーー!!!」
「アーシャ、落ち着いてっ」
その知らせを聞いてから、アーシャは更に精神のバランスを崩した。
「なんで、なんで、そんなに私から奪うのっ!? あの子、あの子の事までっ!!!」
それは心の底からの叫びで、悲愴に満ちていた。
アーシャは覚悟していた。
スレイヤが自由になる為には、そうするしかないと。
だから、あの女が妊娠したと聞いた時はここまで動揺する事はなかった。
原因はその後だ。
クリスティーナ・シュトロベルンは、私達の思っている以上に性根の腐った最悪の女だった。
幾らなんでも、悪趣味過ぎる。
スレイヤやアーシャの想いを、あの女は完膚なきまで踏みにじった。
「レイアスは、私とスレイの子ですっ!! なの、なんで……どうしてっ」
忌々しい女の腹から生まれた子の名は、”レイアス・シルグレダ“と公表された。
両親に愛されて生まれてくる筈だったあの子は、今は陽当たりのいい沢山の花に囲まれた土の下で眠っている。
墓標にレイアス・シルグレダと刻まれて。
あの女はそれを知っていて、わざとその名を子供に付けたのだ。
そしてそれはスレイヤが止める間もなく、シュトロベルンの力でその名は広められ、陛下によって認められてしまった。
あの女は2人の想いを踏みにじり、あの子の事を2度も手にかけたのだ。