番外編 在りし日の憧憬⑤
「──……くっ、スレイヤ、無事かっ!!?」
迫り来る水の壁を前に、咄嗟にスレイヤの前へと体を滑り込ませた。
其処からは、記憶が少し曖昧だ。
いや、覚えてはいるが次々と押し寄せる水流を固有魔法で石化させ続けたのだ。
激しい戦闘が続いていた為、残存魔力もほぼない。
私は魔力切れで、ほんの一時意識を飛ばしていた。
「っ、ぅ…何とか……ありがとう、ジークがいなきゃ今ので死んでたよ……でも、俺達以外はただじゃ済まなかっただろうね……」
四方が石壁に囲まれた狭い空間で、けほっと咳を溢したスレイヤが何とか体を起こして、体勢を整えようとした。
小さな音までは拾えないが、外部ではまだ水がはけきらずに川のように流れているのが分かった。
「あぁ……まさか、味方ごと固有魔法で殲滅させるとはな……部隊は壊滅だろう……生存者が居たとしても、これ以上の戦闘は無理だ」
あの水流の中、生存は絶望的だろう。
味方はおらず、私の魔力も底をつきた。
スレイヤもまだ魔力を残しているとはいえ、ここ数日の連戦で体力気力ともに消耗している。
もうこの戦線を維持する事は出来ない。
「──……このまま敵をやり過ごした後、私達だけでも撤退する」
勇気と無謀は違う。
仲間の仇を取りたい気持ちもあるが、ここが引き際だ。
「妥当だね……向こうがこのまま僕達が生き残ってるのに気付かずに、見逃してくれればいいんだけど……」
私の提案に、スレイヤは苦笑いを浮かべながら頷いた。
状況は悪い。
マベリアンタは、私の生死を何としてでも確認したい筈だ。
既に捜索が始まってる可能性もあるし、止めの一撃として再度固有魔法が使用される可能性も捨てきれない。
「……此処に、これ以上居続けても危険だな。壊して移動しよう」
私の固有魔法によって石化したものは、通常の石や岩と強度は殆ど変わらない。
仮に再度固有魔法を使用された場合、魔力が底をついた今では防ぎきれない。
「だね……」
スレイヤが剣を横に振って、私達を覆っていた石壁を切断した。
暗闇から、一気に射し込んだ光が眩しくて一瞬目を閉じる。
そして、次に目を開けるとそこは酷いものだった。
「これは……」
膝下まで冷たい泥混じりの水流に浸りながら、周囲を見渡す。
ここは緑生い茂る森だった。
それが木々は根っこから無理矢理引き抜かれ、無惨な姿をさらしている。
「これじゃあ、隠れようがないね……見つかるのも時間の問題だ」
スレイヤが固い表情のまま言った。
そこに余裕は最早なかった。
「スレイヤ、私が囮になる。お前だけでも逃げろ……お前だけなら、逃げ切る事も可能だろう」
敵の狙いは私だ。
私の所在が分かれば、固有魔法はこれ以上使われない。
まだ魔力が残っているスレイヤなら、きっと逃げ切れる。
「はっ、馬鹿言わないでよ。それだけは親友としても、副官としても絶対にあり得ない!」
けれど、スレイヤは引かなかった。
その答えに一瞬の躊躇いもない。
「スレイ──」
「キャハハハっ、素敵! 素敵ねっ!! とても美しい友情ではないかしら! こんな美しいモノを壊せるなんて、今日はついてるかしら!!」
場にそぐわない少女の甲高い笑い声が響いた。
少し距離は離れてはいるが、遮るものがないからその姿を認識出来る。
「っ、魔女めっ!!」
水色の髪の長い髪を結って、頭上にティアラを模した装飾を付けた十代後半の少女。
そして、この特徴的なしゃべり方。
該当するのは唯1人、マベリアンタの水の魔女アルルカ・アクア・マベリアンタだけだ。
「“アイス・ランス”」
スレイヤが魔法で、氷の槍を魔女目掛けて放った。
「キャハっ!! 随分なご挨拶かしら! 酷いかしら、キャハハっ! 折角死ぬ前にユグラシアの守護者を見に来たのに。それにその呼ばれ方は好きじゃないかしら!」
スレイヤの攻撃は魔女の護衛に火の魔法で相殺され、魔女に触れる前に水となり蒸発した。
魔眼持ちの護衛につけるだけあって、腕は確かなようだ。
「本当は兵を引かせるように言われてたのだけど、奇襲をかけれたお陰で楽にすみそうかしらっ!!」
魔女は、実に楽しそうに笑う。
自国の兵士も大勢死んでいるというのに。
離れていても分かる。
その目に狂気が満ちている事を。
固有魔法を使う事に躊躇いがない事を。
魔眼持ちの数は長い時の中で、徐々に減ってきている。
勿論、各国はそれに抗うべくそれぞれ対策をしている。
ユグラシアでは固有魔法を持つ家同士の婚約や、魔力の高い者が高位貴族の血に取り入れられる事をよしとしている。
そして、マベリアンタの王族はその少ない魔眼持ちの数を維持する為に、近親婚を繰り返していた。
結果としてそれはある程度上手くいっている。
現在、マベリアンタの魔眼持ちの殆どが王家の血を引く者だ。
だが、何事にも弊害はある。
その弊害がコレだ。
濃すぎる血のせいか、マベリアンタの王族の中にこういった狂った者が時折産まれる。
このアルルカ・アクア・マベリアンタはその残虐性から、他国では水の魔女として名を知られていた。
最悪だ、魔眼と狂人が揃うなんてっ!!
私は心の内で舌打ちした。
この狂った魔女相手では、交渉も何も出来やしないだろう。
損得に関係なく、思うがままに行動する。
そして、彼女に私達を生かすつもりは毛頭ない。
最低最悪な状況の中、唯少女の笑い声だけがこだましたのであった。




