〈5〉君が大きくなる頃に
どれほど似合おうと、ルナスにとって女装は屈辱以外の何物でもなかったようで、それからしばらく口を利かなかった。皆が似合うと言ったせいですねたというよりも、ただ言葉もないほどに深く傷付いている風に見えてリィアはハラハラした。
今のルナスは女装を改め、前回の旅の時のような仕立てのよいシャツといった軽装である。徐々にあたたかくなった季節に合わせて衣も薄くなる。皆がそれぞれに見合った服装をスピネルに用意され、軍服は脱いでいた。リィアもまた女性らしいラインのワンピースである。
襟ぐりが大きく開いている服をあてがわれたのは、気温のせいだろうか。けれど、夜になったら寒い気がしないでもない。
スピネルは旅に同行するわけではないけれど、すぐそこまでならばと馬車を御して送ってくれている。その馬車の中で気まずい沈黙が続いているのだが、元凶はどこ吹く風である。
アルバとレイルはあまり気にした様子でもないが、デュークとジャスパーはルナスが気がかりに見えた。リィアはいくつか慰めの言葉を用意したのだが、どれを言っても傷口に塩を塗りこむ結果になると薄々勘付いて、黙っている方が得策だと先に覚ったのだ。
「さてと、着きましたよ」
悪びれた様子もなくごく普通に告げるスピネルの声が馬車の中に届く。到着した先は――。
ルナスはハッと顔を上げた。そんな彼にデュークとアルバがうなずいてみせる。
「では、行きましょうか」
御者台から降りたスピネルが外から馬車の扉を開いた。そうして、デュークとアルバ、レイルが降り立った。リィアにはスピネルが手を差し出し、リィアもその手を借りて降りた。本当はなくても大丈夫なのだが、そこはマナーだ。
続いてジャスパーが降りると、ざわめきが起こる。最後にルナスが現れ、周囲の声は殊更大きく感じられた。
「ジャスパーさん!!」
「おじちゃん!!」
ウヴァロの面々が頭領であるジャスパーに向かって駆け寄って来る。
リィアはその時、以前のウヴァロを知るだけに驚きを隠せなかった。
住人たちは、高価ではないけれど清潔な服に身を包み、栄養不足で乾いていた肌と髪は潤いを取り戻している。子供たちの瞳も輝き、まだ細い手足ではあるけれどコロコロと元気よく駆け回る。
建物も、大きく補強の継ぎはされているものの、どこかすっきりとしていた。雑多なゴミや外に寝そべっている人々がいなくなったせいかも知れない。
事業を展開するに当たり、まずはそうした清掃と衛生の管理を徹底したのだろう。そうすることで気の持ちようも変わって来る。病気に罹りにくく、体調を崩すことも減る。これは大切なことだ。
生まれ変わった様子の故郷に、ジャスパーもその目を見開いていた。
「おじちゃん、お帰り!! もうどこにも行かないよね?」
無邪気な男の子の言葉に、ジャスパーは膝を折ってその頭を撫でた。無骨な手だけれど、その仕草はとても優しかった。
「ごめんな、まだ帰ってきたわけじゃないんだ。もう少しかかるんだが、このお兄さんたちが特別に連れて来てくれたんだ」
男の子はルナスを見上げ、ムッとして目をつり上げた。
「こいつ、おじちゃんを連れて行ったやつでしょ!」
「おじちゃんを助けてくれた人だ。向こうでもよくしてもらってる。だから、そんな風に言わないでくれ。この方のお陰でお前たちも助かったんだから」
ジャスパーにそう言われてしまうと、それ以上喚くこともできずにうつむくのだった。
「……わかったよ。ゴメンナサイ」
ルナスはそんな男の子にそっと苦笑すると目線を合わせるようにジャスパーの隣に膝を付いた。ルナスの身分を知るだけに、ジャスパーは思わず仰け反った。そんなジャスパーに、ルナスは眼で何も言わぬように合図するのだった。
「君の名前は?」
「シフ」
男の子は大きな青い瞳をルナスに向ける。ルナスは優しく微笑んだ。
「シフ、君が大きくなる頃にはこの国がもっと豊かになるように、私もがんばるよ」
「???」
シフは首を傾げたけれど、ジャスパーはその言葉を噛み締めるようにまぶたを閉じて頭を垂れた。
そんな様子を満足げに眺めていたスピネルに、ウヴァロの青年が声をかける。
「スピネルさん、伝達された通りに馬車を一台用意してあります」
「ああ、ありがとう。では、私はそれを使って戻ろうかな」
スピネルにも同行してほしいところだが、そうするとルナスがスピネルのもとに滞在していないことが漏れる可能性が高まる。それを考慮するとスピネルは残るしかなかった。
ここまで乗って来た馬車はそのまま残し、ルナスたちはそれを使ってフォラステロ領へと向かうのだ。馬車の操縦はアルバとデュークのどちらかができるというので、アルバに任せることとなった。
スピネルはウヴァロを感慨深く眺めるジャスパーの隣に立ち、同じ目線でものを見ながら口を開く。
「ジャスパーさん、あなたの故郷の様子はいかがですか?」
「ああ、皆活き活きとしている。ありがとう」
それが素直な気持ちであったのだろう。スピネルも微笑む。
「私が展開する事業には地方へ商品を発送する手間と足がほしかったのですよ。この地の人々は必死で教えられたことを守り、覚え、対応してくれています。最初は何もできなかったけれど、今となってはその男手の半数は馬車を御せるようになりましたし、女手は丁寧に梱包し、正確に積荷を分けてくれます。子供たちもその手伝いです。皆、なかなかに優秀ですよ」
ジャスパーは、心底嬉しそうに笑った。
いつか見せた薄暗い顔をすることはもうないといい。リィアはそう思った。
リィアにチョイスされた服はスピネルのルナスへのサービスです。当の本人には迷惑な話ですが(笑)




