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落日のレガリア  作者: 五十鈴 りく
喪失の章

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〈4〉募る苛立ち

 ツァルドは兵舎の自室でベッドに横たわり、苛立ちをあらわに奥歯を噛み締めた。質素な兵舎の一室ではあるが、そこには実家から持ち込んだ調度品が数多く取り揃えられている。新兵でありながらも一人部屋であるのは、実家の力と言えた。


 苛立ちは、日増しに大きくなる。

 あの眼が忘れられないのだ。

 あの、眼差しが――。



 リジアーナ=ヴァーレンティン。

 初対面の時から女のくせに生意気で、一向にこちらに敬意を見せない。侮蔑の滲む視線を向け、堂々と言い返して来る。

 そんな彼女が、配属先である王太子のもとで勤務している姿を目撃したことが始まりだった。


 王太子、それから護衛隊隊長とその副官、そうした面々と共に歩いていた。ただ、それだけだった。

 けれど、いつもツァルドを睨み付けるあの赤褐色の瞳は楽しげで、歳相応の娘らしく笑っていた。その華やぐ笑顔を囲む男たちも柔らかく微笑んでいた。


 中でもあの王太子。『美しき盾』と呼ばれる美貌を持つ王子。

 その微笑に、ツァルドの背後にいた数名が息を飲むのがわかった。そんな息遣いが聞こえたわけでもないのだろうけれど、ふと王太子はツァルドの方に顔を向けた。そうして、リジアーナもその上官たちも主と同じ方を向く。その時にはすでに彼女の顔から笑顔は消え、いつもの険しい表情に戻るのだった。上官たちもどこか気を張っている。


 最初の出会いのことを覚えているのだろう。

 王太子はまっすぐな視線をツァルドに注ぐと、それから言葉もないままに護衛たちを促してその場を去った。舌を出しそうな勢いのリジアーナにそっと苦笑し、何かつぶやいたけれど、その言葉までは拾えなかった。

 彼らが去った後で、ツァルドの取り巻きとも言うべき青年たちの一人が感嘆の息を漏らした。


「あの美貌では、『美しき盾』なんてささやかれるのも無理はないな」


 もう一人も惚れ惚れとした様子でうなずく。


「ああ。本当に男なのかと疑いたくなるくらいに……」


 ツァルドはそんな言葉に失笑した。なんと馬鹿げたことを言うのかと。


「お前ら、何を見てる? 俺にはあの王太子は男にしか見えない」


 自分に向けられたあの眼。あれは宝石のように煌びやかでありながらも、明らかな意志を持っていた。

 あの眼は、女にできるものではない。

 軟弱だと謗られていることが嘘のようにこちらを威圧していた。

 あれは、強欲なまでに何かを強く望む者の眼。

 そして――。


「あいつを見る時のあの眼は……」


 王太子がリジアーナに向ける眼差しは、包み込むように柔らかでありながらも、心惹かれずにはいられないといった風に感じられた。姿かたちが女性のように優美でも、内面に眠る想いはその瞳に現れているのだ。あの眼は、男にしかできない。


 いつからか。

 それは、思えばあの出会いの頃からなのかも知れない。

 あの懐剣を下賜したあの時から。



 ツァルドはどうしようもなくリジアーナに執着してしまう自分を感じていた。

 あんなにも堂々と逆らう娘には出会ったことがなかったせいだ。

 思うように手に入らないものがあることが我慢ならない。

 苛立ちが募るばかりの日々の中で、ツァルドはある考えに行き着いた。そうして、一人ほくそ笑む。


「そうか、最初からそうすればよかったのか……」 



 そうして、その翌日に行動に出た。

 彼女を支配するために――。


「ヴァーレンティン中佐」


 リジアーナの父、ヴァーレンティン中佐を探し出す。ツァルドは海軍、ヴァーレンティンは陸軍、そもそもが違うのだが、そこはヴァーレンティンの馬がいる馬小屋の前で待ち伏せていた。お陰で訓練には間に合わなかったけれど、どうせ上官は頭のゆるいロヴァンス少佐だ。多少のことで騒ぎ立てたりもしないだろう。

 ヴァーレンティンはツァルドの出現に小首をかしげた。その赤褐色の瞳は娘との血の繋がりを窺わせる。


「君は……」

「ルーメル伯爵家の長子、ツァルドと申します」


 形ばかりに頭を下げると、ヴァーレンティンはああ、とつぶやいた。

 そんなヴァーレンティンに、ツァルドはすぐさま本題を告げるのだ。


「実は、中佐にお願いがあって参りました」

「私に? なんだろう?」


 ヴァーレンティンは友好的な笑顔を保っていた。その笑顔に向け、ツァルドは口を開く。


「はい。ご息女を私の妻に迎え入れたいのです。そのお許しを頂きに参りました」


 その途端に、ヴァーレンティンの笑顔が凍り付いた。あぶれている娘をもらってやるというのに、何故そんな顔をするのかがツァルドには不可解だった。


「それは……リジアーナのことかな?」


 上と下の娘はすでに嫁いでいるという。他にいないだろう。

 会話を長引かせようとする様子を焦れったく思いながらも、ここは落ち着いて返すのだった。


「はい」


 笑顔を保つツァルドに、ヴァーレンティンは肩を落として嘆息した。偉丈夫が、情けないことである。


「あの娘がそう望むのであれば。けれど、もしそうでないのなら、私の許しなどなんの意味もないのだよ」


 父親のくせに、娘に言うことを利かせられないと。

 唖然とするツァルドにヴァーレンティンは苦笑する。


「あの娘は頑固でね。自分が納得しないことには駄目なのだ」

「あの、私は伯爵家の長子です。まだ軍においては新参で階級も高くはありませんが、いずれは昇級し、爵位も継ぐのです。それでも、私ではご不満ですか?」


 怒りを抑えながら震える声で一気に言葉を並べ立てた。

 それでも、ヴァーレンティンはかぶりを振る。


「それは私ではなく娘に言ってくれないか。……ただ、そういったものに魅力を感じる娘ではない。それが親の私からの忠告だな」


 取り付く島もない。

 何が不満なのか。格下の子爵のくせに、伯爵家の長子である自分を軽んじている。

 殴り付けてやりたい衝動が湧くけれど、それをすれば軍規に照らし合わせて処罰されるのはツァルドの方だ。それがわかるから、ここは拳を握り締めて堪えた。

 それでも、このまま引き下がるのではあまりにも惨めだ。何か言って一矢報いてやりたかった。

 ツァルドは精一杯に唇を歪め、そうして嘲りを込めて言った。


「ああ、もしや()()は彼女を王太子妃にと考えておられるのですか?」


 その言葉に、ヴァーレンティンはぎょっと目をむいた。


「まさか!」


 その慌て振りにツァルドは更に畳みかける。


「懐剣を下賜されたりと目をかけられているのは事実です。そうお望みになるのも無理からぬことですが、あまりの身分差を思うと現実を直視された方がよろしいかと」

「む、むしろそんなことになってほしくはない。私はあの娘が幸せであってほしいのだ。望むのはただそれだけ……だからこそ、気苦労ばかりとわかるようなところには……」


 表向きはそう言うけれど、本心はどうだか知れない。

 娘を使って、自らの身分を上げようとしているとも考えられた。

 ツァルドは短く断るとその場を去った。


 もともと、こんなにも回りくどいやり方は自分に合っていない。自分らしく、望むもののためならば手段など選ばなければいい。

 そう思いながらツァルドは足早に歩み続けるのだった。

 

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