〈21〉天を仰いで
晴れ渡った空とは裏腹に、王城の裏口では悲痛な一幕が繰り広げられていた。
あれからすぐにベリルは兵士たちに囲まれて馬車へと押し込まれたのだ。ルナスはそれを苦々しい思いで見送るしかなかった。見送りはルナスと、彼の側近たちだけであった。母親はきっと、スペッサルティンによって別の場所へと移されたのではないだろうか。
馬車の窓からベリルは最後に顔を覗かせた。
「大兄上!」
その時のベリルの瞳は、宙をさまようことなくルナスの若い緑色をした瞳を見据えていた。そして、そこには薄暗さはなく、ほんの少しの希望を持っていたように思う。
無情にも馬車はカラカラと車輪の音を鳴らして動き出す。それでも、ベリルは窓にすがるようにして叫んだ。
「また、いつか……っ!」
ルナスは、ここへ来てようやくベリルと心が通い合ったと思えた。こんなことになって、事態はややこしくなるばかりであるのに、そのことに喜びを感じて胸が詰まった。
「必ず!」
ルナスもまた、本来は美しいはずの声をかすれさせて声を上げた。
※ ※ ※
王城の一室の窓から、そんなルナスたちの様子を眺めていたユーリは、走り去る馬車を尻目に背を向けた。そんな時、室内にいたリトラがユーリの前に立つ。そして、ユーリに冷ややかな視線を向けた。
「で、これでよかったんだろう?」
そんな夫に、ユーリは苦笑した。
「まあね」
「俺に隠し事はするな」
「はいはい」
そう嘆息する。それでも逆らわないのは、今回の一件では相当な我がままを許してもらったと思うからである。ユーリはいつもの口調で言うのだった。
「スペッサルティンの狙いはね、ひとつではないんだよ」
「なんだそれは?」
「まず、ひとつとしてはアリュルージ軍師である私を引き込むこと。そうすればアリュルージの防衛力は低下し、逆に自国を強化できると考えられたんだろうね」
「ああ。でも、それはまず無理なことだ。軍師なんて要職の人間――特にお前のような頑固者がそうそう寝返るはずもないだろう?」
ユーリは一部に込められた毒に渋々うなずく。
「そう。そこで次の狙いだ。軍師の私を知ること。これによって相手の出方が読みやすくなる。私がここへ来た目的と同じだ。私が知ろうとしたことを彼も知ろうとした」
「……そこまでは俺にもわかる。けれど、後はなんだ?」
リトラが眉間に皺を寄せると、ユーリは軽く唇をかんだ。そして、苦々しく言う。
「ベリアール様を排斥すること」
「は?」
「スペッサルティンはベリアール様を操りながら、その更に裏でベリアール様を失脚させるつもりでいた」
その発言に、リトラは唖然とする。
ベリルを利用し、スペッサルティンは彼を木偶の王に仕立て上げ、国を牛耳るつもりだったのではないかと疑っていた。
「それはどういうことだ?」
「ベリアール様はね、危ういんだ」
ユーリは悲しげに言った。
「自分というものがしっかりと保てず、人の言動に揺れ動く。そうした性質を利用したスペッサルティンでさえ、ベリアール様は危うくて利用するにも限界があると感じたんだろう」
ああした人間は、簡単に他者の言葉にも揺れる。信用などしていなかったのだろう。
「だから、私を利用してベリアール様を失脚させることにしたんだ。だから私はあの場所を選んで監禁された。ベリアール様はスペッサルティンの言うことをあっさりと信じて従ったけれどね」
「……自業自得か。自分でものを深く考えず、上手いことばっかり言って近付いて来るやつをそばに寄せたから」
「うん、そうとも言えるけれど、彼も憐れではあるんだよ」
「憐れ?」
「スペッサルティンはベリアール様の泣き所をよく心得ていたんだ」
「泣き所?」
「あなた様が王位に立たれたその日こそ、母君にとっての最良の日となることでしょう。それが最大の親孝行というもの――ってね」
「それはまた、酷い話だな」
リトラでさえも呆れ返る内容だった。けれど、そこでふと目を細めた。
「じゃあ、どうしてお前はそれにひと役買った? どうしてベリアールを援護してやらなかった?」
すると、ユーリは小さく笑った。それは妻ではなく軍師としての顔であった。
「できないよ、そんなことは」
ユーリがそうした顔をする時、リトラはずきりと胸が痛む。この痛みには慣れることができない。
「ベリアール様の危うさは、放っておけば私たちにも飛び火したんだ」
「それは……」
「彼は第三王子。つまり、上の二人に何かが起これば、十分に王位に立つ可能性のある人物だ。私もまた、我が国のためにベリアール様を失脚させておきたかった。あの弱い心と迷いを持つ彼が王位に就こうものなら、諸島の均衡は危うくなる。我が国に再び仕掛けて来る可能性も否定できない」
憐れだ情けだと、そんなものを優先させることはできない。それほどまでに厳しい事情というものがある。ユーリはそれをよくわかっている。
「スペッサルティンはベリアール様のそうした性質をほのめかし、私がそう判断して口をつぐむことも計算していた。やはり、食えない人間だよ」
淡々とそう語るユーリを、リトラは唐突に抱き締めた。小さく身じろぎしたユーリは、ぽつりと声をもらす。
「……何?」
「平気そうな顔をしていても、お前はいつも平気じゃないから、お前を甘やかすのは俺の特権だ」
「私は国のために判断した。恥じ入ることなんてないからね」
素っ気ない声にも、腕の力が緩むことはなかった。ユーリは諦めてリトラの胸に頭を預けた。そうして、ぽつりと柔らかな声音で言う。
「それでもね、スペッサルティンはすべてを見通せてはいない。彼がまだ知らないことも多くある。私はそれを垣間見て、この国の未来が楽しみに思えたんだ」
「それは、あの王太子のことか?」
「そう。彼と、彼の周りの、ね――」
実は、ユーリはレイルの正体を知りません。あたりをつけて喋っただけで、確信はなかったりします。ああ切り出したことで主導権を握ったんですね。
サブタイトルは「仰ぎて天に恥じず」ということです(え?)




