〈12〉偵察
「何をこんなところで腐ってるんだ?」
ぼうっと花壇の縁に腰かけて空を見上げていたリィアに、いきなり頭上からレイルの声が降る。
「レイル? 毎回毎回、気配を消して近付くの止めてよ」
ムッとしてリィアが抗議すると、レイルは心底呆れたような顔をした。
「消してない。お前がぼうっとしてただけだろ」
そう言い返されてしまい、リィアはうぅ、と呻いて言葉に詰まる。
「で?」
眼鏡を押し上げながら問うレイルに、リィアは嘆息した。
「アリュルージのグラン王太子殿下がルナス様のところにいらっしゃってるの。同席を許されたのは隊長だけで、あたしと副隊長は外に出されちゃった」
「そりゃあ仕方ないだろ」
「そうなんだけど、せっかくだし副隊長に稽古を付けてもらおうとしたら逃げられちゃって」
レイルは声を殺して笑った。
「なるほど、それでこの状態か」
そんなレイルをリィアはじぃっと見つめた。
「ねえ、レイルも強いんでしょ? ちょっと相手してくれる?」
その途端に、レイルはスッと目を細めた。
「バカ。僕は文官だ。表立って武術に秀でたところなんて見せられるか。文官でいる意味がないだろ」
あまりに堂々とバカと言われ、リィアは一瞬呆けてしまったけれど、上目遣いに睨むようにしてレイルを見遣る。
「レイルって、ほんとになんなの?」
「秘密」
「感じ悪い!」
プリプリと怒るリィアを無視し、レイルはルナスの居住棟の方へと視線を向ける。その目はどこか厳しかった。
「王子様はなんか変わったことがあったとか言ってなかったか?」
「え? 変わったこと?」
リィアは小首をかしげた。そうして、ひねり出すようにつぶやく。
「朝話しただけなんだけど、グラン様は立派な方だって仰ってた。それ以外は――やっぱりベリアール様のことが何か気になるみたい」
「ベリアール、か」
と、レイルはこぼす。
そうして、リィアに背を向けるとさっさと去ってしまった。気ままな人だと、リィアはしみじみ思う。
※ ※ ※
気が小さく、二人の兄の影になりがちな三番目の王子。
レイルは歩みながら彼のことを考えた。
ああした人物は、常に野心家の道具となる。その不安を煽り、思い通りに操ろうとする。
自分がもし何かを企むとしたのなら、彼を真っ先に押えておく。
そんな弟でも、ルナスには血を分けた弟で、ただ純粋に心配しているのかも知れない。ただ、それでもベリアールになんらかの黒い疑惑が付きまとうとしたなら、ルナスはどう出るのであろうか。
そう考えて思わず失笑した。
あの王子ならば、例え弟であろうとも断罪するのだろう。その後で人知れず嘆くことになったとしても。
ルナスのそうした部分は、王の資質であるのかも知れない。
少なくとも、コーランデルやベリアールとは違う。それは、曲がりなりにも王太子としての責任を背負って生きて来たからだろうか。
「難儀だなぁ」
自然と、そんな言葉がこぼれた。
そうして、その夜。
レイルは白い官服を脱いで闇に紛れた。
ベリアールの居住棟はルナスのところよりもずっと西にある。大きく城を迂回して行かねばならなかった。その建物は、ルナスの平屋とは違い、高さがある。その分敷地は狭いのだが。
レイルがその建物を見上げると、二階には鎧窓があり、そこには頼りない月を眺める人物の姿があった。それは、ベリアールではなかった。
そばに生えた高木に足をかけ、トン、と体重を感じさせない軽やかさでその高木を瞬時に登る。細く心もとない新月の夜。闇の中にあっても、レイルの目は闇に親しんでいた。
窓辺の人物は、そんなレイルの存在を敏感に感じ取った。
「あなたはどなたですか?」
果敢にもそう問いかけて来る。
その声は、女性のものであった。落ち着いた響きが、彼女の内面を表している。
「……どう見ても今の僕は怪しいと思うけど、なんでそんなに平然と訊ねるわけ?」
木を登り切ると、女性の顔が見えた。それは、美しい女性だった。
年の頃は二十代前半くらいだろうか。気品があり、着ているローブも上質なものであることから、上流階級の人間だろう。ただ、それにしては髪が短かった。闇の中でも美しく見えるほどだから、光の下で見たならばそれは人目を引くだろうとは思うのに。
女性は、クス、と小さく笑った。
「あなたが私にとって敵であるとは限りませんから」
「どういうことだよ、それ?」
レイルが訝しげに顔をしかめると、彼女は強い瞳をして開かない鎧窓を握り締めた。その薬指には銀色に輝く指輪がある。レイルがそれに目をやった時、彼女は更に言った。
「私をここから出して頂けませんか?」
「……あんた、ベリアールに囚われてるのか?」
すると、彼女はにこりと笑った。
「そうとも言えますが、事情はもう少しだけ複雑ですね」
囚われの身でありながらも、臆することなく堂々と微笑む。麗しい容姿にはそぐわない芯の強さであった。
「あんた、何者だ?」
散々人から言われているセリフを、自分が吐くことになるとは皮肉なものだ。
けれど、レイルには彼女の存在が不思議でならなかった。彼女は何者であるのか。
女性は柔らかな声音で言う。
「それも、現段階ではお教えすることはできません。けれど、そうですね――せめて名乗っておきましょうか」
まっすぐな視線は、レイルが知る誰よりも強い光を持っていた。
「私はユーリと申します」




