〈7〉懐かぬ仔猫
「なんですかね、あれ」
リィアを他の部下に預けた後、部屋に戻って早々デュークは吐き捨てるように言った。
「先日のことに感謝の言葉もありませんでしたよ」
すると、アルバがクスクスと笑った。
「それは、感謝なんてしていないからでしょう。彼女、なかなかに正直ですね」
「恩知らずなだけだ。あんなのが配下か。足手まといにならなきゃいいけどなぁ」
否定的なデュークに、ルナスは困惑気味な表情になる。
「慣れない環境に対する気負いもあるだろう。そう言わず、面倒を見てあげてくれ」
ルナスにそう言われると、デュークは嫌だとは言えない。嘆息するとアルバに顔を向けた。
「お前が見ろ」
丸投げである。けれど、デュークのこの様子ではアルバに託した方がいいのかも知れない。
アルバも苦笑した。
そんな中、レイルはそれでもおずおずと言う。
「でも、可愛らしい方でしたね。本来ならご令嬢なわけですし――」
ギロッとデュークに睨まれ、レイルは慌ててメーディの陰に隠れた。メーディはやれやれと肩をすくめる。
ルナスも、自分のために憤ってくれているデュークに対し、それ以上強くは言えなかった。
「デュークたちの配下なら彼女の心配は減るけれど、もしかすると少々動きづらいことになるのかな」
「そこは大丈夫です。関わらせるつもりはありませんから」
そのデュークの言葉に、ルナスはうなずく。
「そうだね。そうしてもらいたい」
※ ※ ※
その翌日のこと。
リィアは隊の訓練に参加する。新参はリィアのみである。
やはり、好奇の目が向けられた。けれど、それに気付かない振りをする。
「二人一組になっての打ち合い稽古だ」
そう指揮を取るのは、副隊長のアルバトル=ロヴァンスだ。隊長であるデュークは今日も護衛という大義名分で王子のところにいるのだろう。
この副隊長にしても同じことだ。今日は渋々形ばかりの稽古を付けているのだろうけれど、本心では面倒だと思っているはずだ。そう考えると少し嫌になった。
もしかすると、それが顔に表れてしまっているのかも知れない。
アルバは端正と呼べる顔立ちではあるけれど、その澄ました様子を、仕事もしないくせに、とリィアは好意的に受け取れなかった。
アルバはそんなリィアを面白そうに見遣ると、涼やかな声で言った。
「どうした? 誰も組んでくれないのか?」
カチン、と頭の中で音が鳴った。その瞬間に、リィアは口を開いていた。
「副隊長、お手合わせ願えませんか?」
その瞬間に、ざわりと周囲が色めき立った。どうせ、リィアを身の程知らずの怖いものなしだと言いたいのだろう。
それでも、真剣に職務に取り組むでもないこの上官に、努力し続けた自分が負けているなどと思いたくない。リィアはレイピアの柄を握り締めた。
その挑むような視線に、アルバは不敵な笑顔を返す。
「いいだろう。では、始めようか?」
あまりにあっさりと言うものだから、リィアの反応が遅れてしまった。
「は、はい! お願い致します!」
障害物ひとつない修練場の土の上、リィアはアルバと対峙する。相手の獲物はブロードソードだ。黒金の十字鍔が彼の手もとで鈍く光る。
周囲のざわめきは水を打ったように静かになった。僅かな風の音が止むと、息遣いさえも聞こえて来そうな静けさに、リィアの心臓はうるさく脈打つ。
こうしていると、自分が勝てる相手ではないことを否応なしに肌で感じた。笑みすら浮かべているというのに、まるで隙がない。どう斬り込んだとしても弾かれてしまうだろう。膝を付く自分の姿しか想像することができず、徐々に自分の愚かしさに頭の血が下りて行く。
冷や汗が滲むけれど、もう後へは引けない。
敗北は避けられないのなら、せめて一矢報いたい。見所があると認めさせたい。
そう思ったのは、ただの焦りに他ならない。少しもまだ冷静になどなれていなかったのだと、その時に気付くことができなかった。
このまま隊員たちの視線にさらされ続けることにも耐えられなくなり、リィアは決着を急いだ。
ただ、やはり彼はリィアの動きを完全に捉えていた。キィン、と剣を弾かれる音だけが繰り返され、まるで思考が読まれているのではないかと思いたくなる。焦り、覚束なくなったリィアの足もとをアルバは軽く払った。
「!」
地面に倒れる前に、彼はリィアの手をレイピアの柄ごと、剣を持たない左手でつかんで左腕一本で吊るし上げた。
「気は済んだか?」
問われると、どうしようもなく恥ずかしくてうつむいた。惨めだけれど、自分が招いた結果でしかない。泣くことはしたくなかった。
「……はい。ご指南、ありがとうございました」
そうとしか言えなかった。アルバはリィアを放すと、何事もなかったかのように、傍観していた他の隊員を急き立て始めた。
今まで、武人である父親やその部下に指導してもらった。筋がいいと褒められもした。
それが、こうも軽くあしらわれてしまった。もちろん、リィアの力不足である。それは認めざるを得ない。
ただ、そればかりでもない。
彼は本当に強い。こんなものは、本来の力の一角を垣間見たに過ぎない。まだまだ、底が知れなかった。
王子や隊長のことは別として、彼は一目置くべき能力の持ち主ではある。
けれど、あれほどの力量を持ちながらも、昇進に対する野心など感じられない。
このまま、あの王子のもとで朽ちて行くつもりなのだろうか。
勿体ない。そして、羨ましい。
リィアは心のうちでそうこぼした。