〈9〉到来
初めて出会った時、ルナスのことを軟弱でだらしのない王子だと思った。
アイオラに対しても、気高く理想に向き合う人だと決め付けていた。
そして、レイルもああなってしまえば大人しくもなんともない。
リィアはつくづく、人を見る目がない自分を感じた。彼らが特殊であり、そう見せようとしているせいだとは思うのだけれど。
恥ずかしさのあまり逃走してしまった。戻りづらいことこの上ない。
今日はもう、自主的に鍛錬をして来よう。
リィアは深くため息をついてルナスの居住棟を去るのだった。
そうして、リィアのもやもやとした気持ちは晴れないまま、ついにその日を迎えるのであった。
小国家でありながらも、このペルシ王国の軍を退けたアリュルージの王太子が来訪する。
アリュルージの王太子、グラン=ルパータ=アリュルージはレイヤーナ王国の新王ネストリュートと同世代である。ただ、御子の多いレイヤーナ前王に比べ、アリュルージ現国王の御子はこの王太子ただ一人であった。高潔な人柄は民からも慕われているようだが、ただ一人の後継者とは危ういものだ。
その大切な世継ぎを、このペルシへ向かわせた。それは穏やかだという国王の判断ではなく、王太子が願い出たことなのではないだろうかと思われた。
一隻の船が、トリニタリオ領の港へ着く。
フォラステロ公とクリオロ公の両雄がアリュルージ王太子を迎え、それからこの王都へ護送するという手筈であった。アイオラやヴァーレンティン、陸軍の将兵たちも気を引き締めて警護に当たるのだから、無事に当着すると信じてルナスたちは王城にてその時を待つのであった。
王城の謁見の間。
段上の中央にある王座。
ルナスはその背後にある自らの席にて、父王のその背を眺めていた。あそこに座る自分が、今はまだ遠い。
右隣のコーラルはルナスに顔を向けようとはせず、左隣のベリルもまた、落ち着きのない表情で賓客の到着を待っていた。王と王妃は落ち着いて見えたものの、ルナスからは顔が窺えないために本当のところはわからない。ただ、王のそばには宰相のスペッサルティンが控えている。王の信頼厚い彼がいるのならば、王は不安などないのだろうか。
ルナスがそんなことを考えていると、高らかな声がその場に響き渡った。
「アリュルージ王太子、グラン=ルパータ=アリュルージ殿下、ご到着にございます!」
王一人を残し、ルナスを含む王族たち全員が立ち上がった。家臣、すべての人々から極度の緊張が伝わって来る。そんな中、真紅のビロードの垂れ幕の下を威風堂々と歩む青年が見えた。マントのすれる僅かな音と、毛氈の上を滑るように歩く足取り。彼が進むにつれ、垂れ幕から落ちる影が消えてその姿があらわになった。
灰色の短髪に、黒曜石をはめ込んだような瞳。引き締まった顔付きは精悍で、力強さを感じさせた。
敵国と言っても過言ではないこの地においても、少しも威厳を損なわない。まっすぐなその視線は、すでに王者の風格であった。
あの難しい立ち位置の小国家を背負って立つ苦労は並大抵ではないだろうに、とルナスは出会って間もないグランに対し、賞賛するばかりであった。
彼の背後に控える二人の武官がひざまずき、グランは足を止めた。そこでようやく、ペルシ国王が立ち上がる。
「よくおいで下さった。グラン王子」
そうして、階段を一段ずつ降りて行く。長い毛皮をあしらったガウンが床をなぞる。
グランは落ち着いた面持ちで拝礼した。
「お初にお目文字仕ります、ペルシ国王陛下。この度の華々しい歓迎、誠に痛み入ります」
「そう畏まらずに、どうか。我が国が貴国に対して行ったことは決して許されることではない。あの時の判断の愚かしさを今更悔いたところでどうにもならぬが、心よりお詫び致す」
ルナスには、父王の声には感情がこもっている風に受け取れた。不干渉条約を破り国家間の関係が冷え込んでしまったことを悔いているのだろうか。この姿勢も、駆け引きのひとつであるのかも知れない。
真実は、ルナスにもわからない。グランの目には果たしてどのように映ったのであろうか。
彼は悠然と微笑むのだった。
「我が国は防戦という名目で貴国と戦いました。けれどそれは、どちらも民が死んだという事実だけです。戦は悲しいものです。二度と繰り返さぬよう、私は願って止みません。陛下のお心も私と同じであれば喜ばしいのですが」
「戦いは確かに多くの兵が死ぬ。国を脅かす。けれど、この情勢――レイヤーナが力を蓄えた今、再びこの諸島は戦火に塗れる。そんな気がしてならぬが……」
王の言葉を、グランは大きくうなずいて受け入れた。
「仰る通り、レイヤーナは今後大きな発展を遂げるやも知れません。私もネストリュート王にお会いしましたが、並々ならぬものを感じました。ただ、ネストリュート王は無闇やたらと戦火を広げることはされないと、私はまず信じることに致しました。我が国は小国、他国との信頼関係を頼むより国を維持することはできませんから」
「そう、か。そうであるのやも知れぬな」
答える父王の声は、完全に彼の持つ空気に飲まれてしまっていた。
グランは腹のうちをこうも堂々と語る。ルナスはそのことに驚いたけれど、素直に彼を認めた。一度話してみたいとさえ思えるほどに。




