〈5〉ベリル
ベリアール=シャト=ペルシ。
ルナスのふたつ年下の弟であるペルシ王国第三王子である。
彼の母親は、クリオロ領の侯爵家の出なのだが、彼女は果たして幸せなのかとルナスは思う。
英知と美貌ではルナスの母親に敵わず、家柄と慎ましさではコーラルの母親に敵わない。
それでも彼女が王の目に留まったのは、美食の合間の気まぐれに過ぎなかったのかも知れない。美しくないわけではないけれど、愚かだというわけではないけれど、彼女は『特別』ではなかった。
そんな彼女が必死の思いで王の寵を受け、ベリルを身ごもった。けれど、その時すでに二人の王子がいたのである。
彼女は、三人の妃の中で最も息子に対する期待が大きかったのではないかと思う。
ルナスの母は、ルナスの考えを尊重してくれた。
コーラルの母は、女が世継ぎや政治に口を挟むのは差し出がましいという控えめな女性だ。
ベリルの母は、王子の中で誰よりもベリルが優秀でないと気がすまない様子だった。
ルナスとコーラルが共に遊んでいることがあっても、ベリルがそこに加わることを許さなかった。
二人の兄王子に劣ってはならないと言い聞かせられて育ったのだろう。けれど、自らにできなかったことを過度な期待を込めて子供に押し付けては、子供も苦しいのだ。
母の期待に応えたい思いと、そう叱責されなければならない理不尽さ。
自分は二人の兄よりも劣っているから、母はこんなにも自分に厳しいのだと、幼い頃に植え付けられた劣等感は成長しても払拭はされない。どこかに燻り、卑屈な考えをするようになったとしても不思議はない。それでも、彼の母親はベリルに求める。もっと、もっと、と――。
どれだけの家臣を従えても、ベリルは変わらない。常に不安と戦っている。
不安定で、危ういベリル。
いつか誰かが彼を救ってくれるのだろうか。
それとも、彼を利用するのだろうか。
ルナスは常にそれが心配であった。
レイルは弟を案じるルナスをくすりと笑う。その真意は知れないけれど。
「ベリル――な。まあ、気が向いたら気にかけておいてやるよ」
「レイルがベリルを助けてくれると?」
何気ないルナスのひと言に、レイルは顔をしかめた。
「なんで僕が弟の面倒まで見なくちゃいけないんだよ? そうじゃなくて、変な動きをしたら教えてやるってこと」
「へ、変な動きって……」
どきりとして思わず声に出したリィアに、レイルは不敵な笑みを向ける。
「いつ何時、誰が敵に回るかわかりゃしないんだって。ジジイのことでよくわかっただろ。この王子様は敵だらけ。それが見極められなきゃ、理想どころか命だって危ないんじゃないの?」
あまりにあっさりと恐ろしいことを言う。場の空気が凍り付こうが、レイルは淡々としていた。ルナスも動じるわけではない。
「レイルが言うように、私には敵が多い。けれど、心強い味方も確かにいるのだ。だから私は今日もこうしていられる」
その言葉に、デュークは唐突に膝を折った。リィアが驚いていると、アルバもそれに倣う。リィアも慌ててかしずいた。
「俺たちはルナス様に忠誠を捧げています。それは生涯変わることがありません。この命に賭けてお誓い申し上げます」
いつもは騒がしいデュークだけれど、その声は真摯であった。ありがとう、と答えるルナスの声はあたたかい。
リィアは、垂れた頭を少しだけ持ち上げ、その表情を見たいと思ってしまった。ルナスはきっと、側近たちの忠節に微笑んで答えてくれているのだろう、と。
盗み見るようにちらりと顔を上げると、ルナスはそんなリィアに目を向けていた。だから、ばっちりと目が合ってしまった。頭を下げたままの上官二人は、まだ気付いていない。
ルナスは苦笑していた。けれど、その微笑みは優しく、慈しむように感じられた。リィアの不敬に気を悪くした風ではない。
彼はわかっているのだ。デュークやアルバほどの純粋な気持ちを、まだリィアが持てていないことを。
どうしてなのだろう。
今となっては、強く尊敬している。支えたいと思う。
けれど、この二人とは違う何かがある。
それは、アイオラ中将に憧れて入軍したという動機のせいだろうか。二人に比べると、まだ少し心が浮付いている。
ルナスはそんなリィアのことを理解して、それでも優しく包んでくれているかのようだった。無理な忠義に求めるようなことはしないのだ。
リィアはぼんやりと思った。この二人と自分との違いはなんだろう、と。
その最たるものは、やはり性別だろうか。姿かたちだけではなく、心のあり方も考え方もやはり違うのだ。この靄に差し込む日差しは、やはりアイオラの存在だと思う。
一度でいい。話をしてみたい。
何を思っているのかを知りたい、と強く思った。
レイルはそんな四人のやり取りを鼻白んで眺めているのみである。




