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落日のレガリア  作者: 五十鈴 りく
密約の章

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〈2〉父の心配

 緑が優しく美しく輝く木々。清らかなそれにひっそりと守られた居住棟。

 その主もまた、ぺリドットのように若い緑色をした双眸と、艶やかな黒髪を持つ美しい青年なのである。王太子という位にありながらも穏やかで、この軍事国家には少々気が優しすぎると言えるが、それがにとっては喜ばしい限りのことであった。そのはずであった。


「――さ」


 あの噂を耳にするまでは。


「中佐」


 あの王子は――。


「ヴァーレンティン中佐!」


 その強い口調に彼はびくりと肩を震わせた。四十をいくつか過ぎた年の頃、壮年の堂々とした体躯を供廊アーケードの柱の陰に潜ませていたのだ。彼の意識ははるか前方の光の下に向けられており、背後が疎かであった。唐突――でもないのだが、声をかけられ、彼は娘と同じ赤褐色の瞳を瞬かせて振り返る。


「あ、や、その、たまたま通りかかって――っ」


 その必死の弁明を、彼よりも二十は歳が下であろう青年に笑われてしまった。


「こちらにどうしたら通りかかるというのです? この先には王太子殿下のお住まいしかございませんよ」


 アルバトル=ロヴァンス。

 名門ロヴァンス伯爵家の次男坊である。

 涼やかに整った面立ち、長身にほどよく筋肉の付いた均等の取れた体。今武術大会の覇者として注目を浴びた青年だ。


 ヴァーレンティンは複雑な心境だった。

 そんな彼の心を見通したかのように、アルバトルは言った。


「わかっております。彼女には何も言いませんよ」


 その一言に、思わず赤面してしまった。けれど、ありがたい。


「す、すまないね。そうしてもらえると助かるよ」


 つまり、ヴァーレンティンは王太子の護衛として勤める娘が心配で、こっそりと様子を窺っていたのである。ただ、そんなことが当の娘に知れたら、なんと言われることか。親の心子知らずである。

 アルバトルはクスクス、と女性ならばうっとりとするような笑みを見せた。その笑顔がまた、ヴァーレンティンの心配の種を増やすのだが。


「こう言ってはなんですが、中佐が心配されるのもごもっともかと。彼女はずいぶんと気は強いのですが、それでも女性ですからね」


 ヴァーレンティンは思わず深々とため息をついてしまった。

 そうなのだ。

 三人いる娘のうち、リジアーナだけが何故か()()なのだ。幼い頃に少々おてんばであったとしても、年頃になれば女らしくもなるだろうとタカをくくっていたのだが、とんでもなかった。挙句に軍に入るなどと言い出し、実行したのだから、心配など尽きない。いくらしてもし足りない。


 初めは、リジアーナの配属先がこの第一王子付き護衛隊であったことに安堵した。

 王太子は穏やかで軍事にあまり関心を持たず、居室からほとんど出て来ないような人物だ。だからこそ、その護衛ならば危険も少ない。そう思っていた。

 そんな時、とある噂を聞いたのだ。


 王太子がリジアーナに懐剣を下賜し、その剣で傷付けられた者は自分の名において処罰すると触れたらしい。男性ばかりの軍に身を置くリジアーナに対する配慮であろうという周囲の見解に、一時はヴァーレンティンも納得して胸を撫で下ろした。けれど――。


 どこにでも、男女問わずに下世話な人間というものがいる。そうした者の手にかかれば、噂には尾ひれが付くのだ。

 王太子はあの娘をいたくお気に召したようだ、と。

 お手が付くのは時間の問題か、それともすでに――。

 春のあたたかな気候の中、ヴァーレンティンは身震いする。


 それに、少し前にこの場所で文官である男爵が押し入った不審者の盾に取られて自害したという。仮にも次の国王たる王太子のそばだ。柔らかな時の流れを感じたとしても、ひと皮むけばここは陰謀渦巻く戦場なのである。何も、安全などではない。



 明るい日差しの下、緑の芝生の上で、眼帯をした長身の男に剣術の稽古を付けてもらっている娘。

 あの男はリジアーナのとこのアルバトルの上官、デュクセル=ラーズである。貴族でもない叩き上げの人物だが、王太子の信頼は厚いという。


 彼に軽くあしらわれつつも、必死の形相で食らい付くリジアーナを、ヴァーレンティンは物陰からハラハラと見守るのであった。そんな様子を、アルバトルが面白そうに眺めていたのだが、そんなことに構ってはいられない。

 そうして、リジアーナがクタクタになって地面にひざを付くと、ずっとそばで成り行きを見守っていた王太子が、気遣わしげな面持ちで声をかけた。距離がありすぎて何を言っているのかまでは聞き取れない。そのことをもどかしく感じながらも、ヴァーレンティンはその場を動けなかった。


 王太子が美しい所作で差し伸べた手に、リジアーナはあっさりと手を重ねる。

 娘だからこそわかる。

 あの子はよほど信頼した相手でなければ、特に男性の手など払い除ける。それが、ああもあっさりと――。


 微笑み合う二人。王太子の眼差しの優しいこと。

 そばにいるデュクセルが無礼だと部下のリジアーナに注意しないのは、それが王太子にとって不快なことではないからではないだろうか。


「えっと、中佐?」


 真っ白に燃え尽きたヴァーレンティンに、アルバトルの腫れ物に触れるような声がしたけれど、その後どのようにして自室に戻ったのか、ヴァーレンティンはよく思い出せなかった。

  

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