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落日のレガリア  作者: 五十鈴 りく
調停の章
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〈6〉配属先

 懐剣の噂は瞬く間に広まった。それは、当事者であるリィアが驚くほど迅速に。

 兵舎の中にも特別枠が設けられ、一人部屋であるのはもちろんのこと、明らかに隔離されていた。

 リィアはすべてにおいて『特別扱い』であった。


 すぐに始まった修練でも、リィアは同期の者とは組まされず、指導官にあしらわれた。怪我などさせぬようにという配慮が透けて見える。

 皆が王太子に目をかけられたとされるリィアの処遇に困り果てていたのだ。リィアはそのことに愕然とした。


 あの王子は善意からリィアを助けてくれた。それは事実なのだと思う。

 けれどそれこそが、その善意に、配慮が足りない。

 あれは、後のことまで考えての行動ではなかったはずだ。とっさに庇った、それだけのこと。

 リィアがどれだけの覚悟を持ってここに来たかなど、あの王子は知らない。

 こうして特別扱いされ、甘やかされるために剣を握ってきたのではないのだ。


 リィアは悔しくなって自室で泣いた。

 ベッドの上にあの懐剣を叩きつける。硬いベッドの上で、鍔と鞘がカチリと硬質な音を立てて落ちた。


 こんなものは返上したい。

 そうしよう。そうするべきだ。

 リィアは硬く決意をした。そんな翌日、彼女の配属先が告げられたのである。



     ※ ※ ※



「え……」


 思わず声を漏らしてしまった。

 心臓がズキリと痛む。痛みを伴いながら、耳だけはどこかに置き忘れてしまったように感じられた。正面にいるはずの指導官の声が遠い。


「以上。速やかに配属先へ赴き、精進するように」


 事務的な声。

 リィアはようやく我に返った。


「ま、待って下さい! わたしは――」


 アイオラ中将のもとへ。

 彼女のようになりたいと願って来たのだ。少しでも近付きたかった。

 本来ならば、配属先で能力を認められてそこまで上り詰めるべきなのだろう。けれど、リィアが配属される先に、その機会があるとは思えない。


 そこは、あぶれた者の行き着く先としか思えない。

 ただ無為に日々を過ごす場所。

 上官はデュクセル=ラーズ。第一王子付きの護衛隊である。


「お前に決定権はない。不服ならば去るがいい」


 この指導官が悪いわけではない。そうとしか言えぬのだろう。

 陰で軽んじられていようと、リィアの後ろに王太子の影がちら付くのだ。

 立ち去る指導官の後姿と足音を虚しく聞きながら、リィアは拳を握り締めて腰帯に挿した懐剣に叩き付けた。


 ひどく、惨めな気持ちだった。

 あの王子は、この状況を『守った』と言うのだろうか。



 鬱屈した心を抱えながらも、リィアはそこへ向かうしかなかった。

 ルナクレス王子の居住棟に。


 苛立ち、ズキズキと痛む頭で考えた。

 それでも、これからはあの王子がリィアの主なのである。あの王子を守り、過ごさなければならないのだ。


 ――馬鹿らしいと思う。


 王城の奥深くから、ろくに出歩きもしない王子に、なんの危険があるというのか。あの隊長も副隊長も、その上辺だけの地位に胡坐をかく怠惰な人間なのだ。国のためにと日々精進を続ける武人たちとあれで肩を並べているつもりなのだ。


 そう考えると、これから自分の上官になる人たちのことでさえ微塵も尊敬できなかった。これではいけないと思うのに、その考えを止めることができない。

 リィアはルナクレス王子のもとへ赴く前に立ち止まって、深く深呼吸をした。ひたすらにそれを繰り返す。愛想なんて振り撒けない。けれど、せめて平静を装えるように、心を落ち着けなければならない。


 例え、あの惰弱な王子を見下げ果てているとしても、それを表に出してはいけないのだ。

 家のためにとここへやって来た。それなのに、父の足手まといになることだけは避けたい。今はそう思うことにした。



 そうして、ルナクレス王子のもとへと向かう。近くにいた侍女に事情を説明すると案内してくれた。

 勤めて長いであろう年配の侍女は、拱廊アーケードを抜けた先で立ち止まった。本日、王子はこちらにおられます、と言うとリィアを残して去った。リィアは口では礼を言い、心では『本日』どころか『常に』ではないかと皮肉めいたことを思った。

 けれど、意を決してその扉を叩く。その時の心境は、挑むと表現した方がいいのかも知れない。


「本日を持ちまして、こちらに配属されましたリジアーナ=ヴァーレンティンです。ただ今参りました」


 すると、すぐに澄んだ声が返る。


「ああ、入るといい」


 扉を開いたリィアは唖然とした。

 円卓の正面に座る王子は、あの日と同じく男性としては美しすぎる風貌だった。その円卓の上に並べられているものがせめて軍用書や戦略図であればよかった。それらは、甘い香りを放つお菓子と紅茶であった。

 あろうことか、上官となった隊長と副隊長らしき二人までもがそろってティータイムだ。他に老年の文官とその補佐のような少年がいたけれど、そんなことはどうでもよかった。


 柑橘の香りの漂う室内で、リィアは呆然と立ち尽くす。そんな彼女に、ルナクレスはふわりと麗しく微笑んだ。


「その後、皆はよくしてくれていただろうか? 配属先がこちらであれば、デュークやアルバも気に留めていてくれる。少し、安心したよ」


 気に留めて。安心。

 その言葉に心が冷え込む。


 安全な場所に押し込められ、無為に日々を過ごせということだ。女は大人しく守られていろと、この王子はそんな自分の考えを押し付ける。押し付けていることに気づかないままに。

 それでも、彼が今のリィアの主である。

 ぐっと、込み上げて来たものを飲み込み、リィアは震える唇を開いた。


「及ばぬ身ではございますが、誠心誠意仕えさせて頂きます。どうぞ、よろしくお願い致します」


 低頭したのは、顔を見られたくないからでしかなかったのかも知れない。武人であるというのなら、心にもない嘘など恥ずかしいと思うべきだろうか。


 けれど、今は我慢の時。いつかきっと、このぬるま湯から抜け出せる。

 そう信じるしかなかった。


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