〈23〉彼の誤算
静かな夜。
皆が去り、ルナスは疲れ果てた心でベッドに横たわった。苛立ちと息苦しさから襟もとを乱暴に開くと、手袋も脱ぎ捨ててベッドの上に叩き付けた。
そして、まぶたを閉じれば浮かび上がるのは、メーディの歪んだ笑顔であった。恍惚と語る声であった。
まるで呪縛だ。
双眸を手の平で覆い、ルナスは無理に笑った。乾いた小さな声は虚しく消える。
どこで間違えたのか。安らぎは崩壊し、この責め苦に転じた。
自分はいい。傷付いても前に進むと、その決断をした。
けれど。
パールは、あの無邪気な妹は、なんの咎もない。パールを巻き込んだことだけは許せない。
メーディは大切な者を失い、狂気の歯止めが利かないままに過ごしていた。彼も憐れな存在なのだ。そうは思う。感謝もしている。それに、今はすでに当人なき罪に彼の家族を巻き込むのは憐れだ。だから、この罪は白日のもとにさらしてはいけない。
メーディに対する感謝と怒りがせめぎ合う。
このやり場のない気持ちは、自分が抱え込むしかない――。
コツン、コツン、と遠くで音がした。控えめに扉を叩く音。
ルナスは気だるく感じながらも身を起こした。
デュークとアルバ、リィアの三人だろう。やはり心配になって戻って来たのか。
彼らの気持ちはありがたいけれど、この疲弊した心では上手く笑えない。そっとしておいてほしかった。
けれど、それを言ってはいけない。気遣ってくれた彼らの気持ちを大切にしたい。
もし、彼らのうちの誰かが弱り果てた時、ルナス自身も力になりたいと動いてしまうと思うから。それが余計な善意だとしても、何もせずにいられない時がある。
緩慢な動きで寝室を出て、それから扉を開く。そこにいたのは、ルナスよりも目線の低いリィアただ一人であった。
「リィア?」
すると、リィアは言い難そうにうつむいてつぶやく。
「あの、実は忘れ物をしてしまって……」
それを取りに、リィアだけが戻って来たようだ。デュークとアルバの姿はない。そうは言っても、この居住棟の付近にはいるのではないかと思う。そばにはいなくとも、ルナスを常に気遣ってくれているから。
リィアはルナスの寝室で着替えていた。何かを忘れたらしいが、ルナスにはそれがなんなのかはわからない。
ただ、女性のものである以上、取って来てあげるとは言えなかった。
「ああ、どうぞ」
中へと誘うとリィアは切ない目をして眉を寄せた。そして、踏み込むと扉を閉めた。
けれどリィアは、何かを探そうとする気配はなく、その場でルナスを見上げた。その赤褐色の瞳が揺らいだかと思うと、リィアはうつむいてつぶやいた。
「ルナス様」
「うん?」
「ご無礼をお許し下さい」
一瞬、ルナスにはリィアの言葉が理解できなかった。小さく首をかしげると、急に手が引かれた。リィアの柔らかな両手が、ルナスの手を包み込む。そうして、リィアはそれを自らの頬に当てると、ほろりと涙をこぼした。活発で我慢強いリィアの涙をルナスが目にしたのは初めてのことだった。
どんなに不安でも心細くても、人前で泣くことは避けて来たのだ。それが今、惜しげもなくさらされている。
「申し訳ありません。守るなどと口にしておきながら、わたしは何も……」
何ひとつ、リィアが責任を感じることなどない。その涙とかすれた声に、ルナスは胸が痛んだ。
「君が悪いわけではない。そう気に病まないでくれ」
優しく、労わるような声を意識的に出す。けれど、リィアはゆるくかぶりを振った。
「気に病んでいるのではありません。わたしはこうして、ルナス様の代わりに泣いているのです。簡単に泣くことのできないルナス様の代わりに」
リィアが言うように、ルナスは気付けば泣けなくなっていた。立場が、自分を強く保たせた。小さな頃から、簡単に泣く自分には価値がないような気がしたのかも知れない。そうして、いつからか泣かなくなったルナスは、こんな時でもやはり泣けなかったのだ。泣き方を忘れてしまったかのように。
「少しでもルナス様の悲しみを引き受けられるのならばいいのに……」
滑らかな頬と涙の熱が、手の平からルナスに染みて行く。心に、小さな火が灯る。
あたたかく、凍えた心が溶かされる。
「ありがとう、リィア」
メーディは、ルナスの心に消えない傷を付けた。彼が望んだように、ルナスはそれを生涯抱えて行く。
けれど、メーディには予測できたであろうか。
その傷をも共有し、涙を流す者の存在を。
ルナスの痛みはそれによって和らぎ、その顔に再び微笑みがあることを。
あの惨劇の後でさえ信ずることを恐れず、他人を愛しく思うことを。
叶うはずがないと嗤われた夢を、持ち続けることを――。
【 裏切りの章 ―了― 】
以上で【裏切りの章】終了です。
なんとか無理矢理今年中に押し込むことができました(笑)
では、皆様よいお年を!




