〈17〉カールの苦難
カルソニーはパールの刺繍の指導をしているシーリンをパールの居室に待たせ、必死で幼い主を捜していた。嫌だ嫌だとぼやいてはいたが、さすがに逃げ出すほどだとは思っていなかった。課題がこなせていないことにももう少し早く気付いてあげられればよかった。
シーリンは確かに厳しいけれど、間違ったことは言わない。彼女に師事していれば上達は早いと思う。
ただ、相性というものがある。
三人の兄王子や父王たちに可愛がられている姫は、彼女のそうした厳しさが我慢ならないのだ。
その奔放さも、正直さも、皆に愛される要素である。カルソニーもパールの屈託のない言動に癒され、守りたいと思う気持ちも強く湧く。
けれど、この先のことを考えれば甘やかすだけではいけないのだ。時には我慢を知り、強い心を持たなければ、こんなにも殺伐とした世の中では生きて行けないと思うから。
心当たりを虱潰しに探して行く。
パールは色々なところに出入りする。使用人たちの食堂や庭師の休憩する木の下、どこでもありだ。
ただ、コーランデル王子のところではないと思う。あの第二王子はそういった面では厳しく接する。逃げ出したパールを庇い立てしたりはしないだろう。
王子たちの中でパールが逃げ込む先として最も有力なのは、やはり王太子ルナクレス王子のところではないかと思う。
あの麗しい王子は、その外見に違わず内面も穏やかで心優しい。可愛い妹姫に泣き付かれたら嫌とは言えないのではないかと思う。
カルソニーはルナクレス王子の居住棟へと足を向けるのだった。
そうしてやって来た第一王子の居住棟は、パールと何度か足を運んだことがある。主によく似て穏やかな場所だといつも思う。
木漏れ日や小鳥のさえずりに浸っている場合ではないけれど、一瞬のどかな気持ちになった。供廊を進んで行くと、王子の居室の前にティーセットを乗せたカートを押す老官の姿があった。
アルメディ=ファーラー。
メーディと親しみを込めて呼ばれ、長年ルナクレス王子の教育係として従事して来た文官である。彼の穏やかな性質が、今のルナクレス王子を形作ったのではないかと思う。それほどに、王子の信頼の厚い側近である。
男爵位にありながらも王子のために毎日のように茶をいれるという。茶を運んでいるのだから、中に王子がいるのは間違いない。
「ファーラー卿」
カルソニーが声をかけて小走りに駆け寄ると、彼は緩やかに振り返って柔らかく微笑んだ。
「ああ、これはこれは、カール殿。いかがされましたかな?」
その好々爺然とした笑顔に、カルソニーは訊ねる。
「実は、パール様が逃走中でして、行方を捜しているのです。もしかして、ルナクレス王子のもとへ逃げ込まれたのではないかと思いまして……」
困り果てたカルソニーに、メーディは言う。
「パール様が? それは大変ですね。けれど、ルナス様のところへは来られておりませんよ」
「そ、そうですか……」
「確かに一番逃げ込みやすい場所かも知れませんが、それ故にこうしてすぐに探しに来られてしまいます。そんなにもすぐにばれてしまう場所は、私がパール様ならば避けますね」
にこやかに言われてしまった。確かにその通りだ。
カルソニーはがっくりと肩を落とした。かくれんぼが上手すぎるのも問題だ。
「ごもっともですね。では、他を当たって来ます」
「ご苦労様です。もし、こちらへ来られることがございましたら送り届けさせて頂きますよ」
「お気遣い、痛み入ります」
彼の人柄には定評がある。怒ったところなど見たこともなく、他人の悪口も口にしない。
自分もこうありたいものだと思うけれど、今はまだ未熟な若造だ。幼い主を見付け出したら言ってやりたいことが山のようにうずたかく積み上がっている。
メーディに背を向け、カルソニーは次なる目的地を求める。
すぐに気付かれる場所ではないとするのなら――。そう考えれば考えるほどにわからなくなる。
あの姫は、無邪気に笑いながら人を振り回す。
こうした時は、ちゃんと叱らなければならない。
家臣としては僭越だ。けれど、姫の将来のことを真剣に憂うからこそのこと。
それをわかってくれないほどに、パールは幼くとも愚かではないのだから。
カールが駆け去った後をしばらく眺めていたメーディは、ひとつ息をつくとルナスの居室の扉を開くのだった。
小さな嘘は、誰がために。




