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落日のレガリア  作者: 五十鈴 りく
裏切りの章

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〈14〉解けない謎

 ようやく落ち着きを取り戻したトールド卿は、項垂れたままでぽつりぽつりと語った。


「この国は変化を迎えるべきだと――誰が最初に言い出したのか、今となってはもうわかりません。ですが、王家に不満を持つ者はやはり増える一方なのです。私もそうした思想に飲まれ、我を忘れてしまっていたのかも知れません」


 自分が考え、判断したかのように思わせつつ、実のところは弱った心にそう仕向けるように働きかける何かがあった。ただ、巧妙にトールド卿自身にそれと気付かせなかった。


「不満を持つ者の名を、お聞きすることはやはりできませんか?」


 アルバがそう問うと、トールド卿はびくりと体を震わせた。その様子に、ルナスがアルバへ目配せする。


「その者たちは先の戦いの犠牲者の遺族たちであろう。同じ遺族である卿がその者たちを売ることなどできぬと私なりに承知している」


 優しく語るルナスに、トールド卿は必死の形相で言った。


「けれど、私はもう集会を開くことも参加することもないでしょう。私の疲弊した心は、殿下の目指される未来を、殿下が動かれる時を静かに待ちたく思います」

「ありがとう」


 そう言って微笑むルナスには、やはり人々を魅了する力があるのだ。本気で人心を捕らえるつもりで動くのならば、その存在は心の奥深くに食い込む。

 そうしてルナスは、この会見を他言しないようにトールド卿と約束を交わした。今はまだその時ではないのだと。トールド卿は至極残念そうに、けれど確かにうなずくのだった。



 トールド卿の屋敷を出て戻る道中の馬車の中で、ルナスはしばらく思案顔であった。トールド卿の叛意はなりを潜め、ルナスの思想に共感してくれた。なのに何故、そのような顔をするのかがリィアにはわからなかった。デュークもきっとそうなのだと思う。

 けれど、アルバは察することができたようで、ぽつりと口を開いた。


「謎が深まってしまいましたね」

「え?」


 リィアが驚いてアルバを見遣ると、アルバは苦笑した。


「気付かないのか?」

「何にですか!?」


 そこでひと足先にデュークは気付いたようだ。眉間に皺を寄せた。


「お前は張本人だろうが」

「え?」

「つまり、あの宿でお前が――いや、ルナス様が何故狙われたのか、それがわからなくなった。トールド卿はルナス様がここにおられることをまるでご存じなかったからな。襲わせたのはトールド卿じゃない」


 すっかり忘れていた。けれど、言われてみるとその通りだ。

 あの実直さを知ったからには、あれが演技だとは思えない。本当にトールド卿ではないのだろう。もし万が一関わっていたのなら素直に謝ったのではないかと思う。


「では、一体……」


 確かに、謎が深まってしまった。

 思案していたルナスは小さくつぶやく。


「卿と接し、その人柄に触れた瞬間にふと思ったのだが、スピネルは一体私に何を伝えたかったのだろう?」


 一瞬、リィアには意味がわからなかった。

 スピネルはトールド卿に不穏な動きがあると知らせてくれた。事実そうであり、ルナスは自ら訪れてその叛意を払拭した。

 それの何が疑問なのだろう。


「それはどういう意味でしょうか?」


 おずおずとリィアは訊ねる。すると、ルナスは少し厳しい面持ちで視線を下に向けながら口を開く。その様子は、ルナスなりに考えを整理しているようだった。


「トールド卿に悪意はなく、叛意とは言ってもおおやけには言えぬような不満を吐き出していたに過ぎない。いずれその不満が収拾のつかない事態になったやも知れぬが、それほど大それたことをするには心が優しかった。あのスピネルが危険ありと判断するには少々弱いという気がしてならない」


 やり手の商人であるスピネルは、大きな流れを読む。その性質はルナスとも似ている。

 だからこそ、ルナスは不安に思うのだろう。


「スピネルが警戒せよと暗に告げていたのは、もしかしてトールド卿の不満をあおっていた人物でしょうか?」


 デュークの言葉に、ルナスは軽く首を傾けた。


「そうとも言えるだろう。けれど、それが誰かもわからない」


 わからなくては警戒のしようもない。何故スピネルはもっとわかりやすいように知らせてくれなかったのだろう。そう、リィアは不服に思った。

 スピネルはルナスの思想に賛同しているように見受けられる。ウヴァロの件からして味方だと思って間違いはないと思う。


 けれど、彼は商人。利益を優先する。

 結局はそういうことだろうか。彼の顧客の不利になる情報が含まれており、それ以上は伝えられなかったと考えるべきか。

 ただ、とルナスはこぼした。その面持ちはひとつの問題が解決したとは思えぬほどに険しい。


「ただ――どうしようもなく胸が騒ぐ。嫌な予感がするのだ」


 そんな風に不安を口にするルナスを目の当たりにし、リィアも言いようのない恐ろしさを感じた。デュークとアルバも、いつにない主の様子に困惑を微かに滲ませている。


 その時にリィアはハッとした。こんな時こそ、自分がルナスを、彼らを支えなければならないのだと。

 力も足りない、何ができるでもない。そう感じるからこそ、せめてその不安を笑い飛ばしてあげたい。

 リィアは精一杯笑って、明るい声になるように努めた。車内に甲高くリィアの声が響く。


「大丈夫ですよ、ルナス様! 私がお守りします!」


 男性陣はその大言に目を丸くした。あんまりだと思いつつも、リィアは引かない。


「その不安から私が守ってみせますから、どうかご自分を貫いて下さい」


 言葉には力がある。そして、口にした以上は何があっても守るつもりだ。

 ルナスは穏やかに慈しむように微笑み、唇に感謝の言葉を乗せた。


「ありがとう、リィア」


 それだけで、リィアは満足だった。



     ※ ※ ※



 窓辺でそよぐカーテン。

 月明かりを浴びるように、スピネルは夜空を見上げていた。


 手にしたグラスのワインは、馥郁ふくいくたる香りのする最高級品であり、まるで夜の海のように黒く見えた。その香りを楽しむために丸みを帯びたグラスを傾けるけれど、心はどこかに置き忘れてしまったかのように集中を欠いていた。

 今宵、このワインを開けてしまったのは失敗であったと、スピネルは苦笑する。

 そんな彼のもとへ、軽やかな足音が近付いた。


「あなた」


 少し舌っ足らずな喋り方。少しも聡明には感じられない声。

 スピネルはその声の方に顔を向ける。

 そこには彼の妻がいた。


 歳は十歳以上も離れており、幼妻と周囲からからかわれもした。幾つになってもその童顔で年齢がわかりづらく、スピネルは自分の趣味を疑われると嘆いているのだが、そこはいかんともしがたいところである。

 鳶色の長い髪が薄い衣の上で小さく揺れる。その大きな瞳がスピネルを心配そうに眺めていた。


「ルチル」


 その名を呼ぶと、彼女は駆け寄ってスピネルの胸に顔を埋めた。スピネルは苦笑してワイングラスをテーブルへ置く。


「あなたはいつだって正しかった。少なくとも、あたしにとっては。だから、自分を信じて」


 甘く幼い声。母親になってもそれは変わらなかった。

 ものを知らず、大切に育て上げられたかのようなおっとりとした空気を持つけれど、本来の彼女はいつもスピネルの心の動きに敏感だった。迷えば背を押し、落ち込めば励まし、成功は共に喜んでくれる。

 ルチルなくして今の自分はない、とスピネルは思う。

 その華奢な肩を抱きながら、スピネルはつぶやく。


「私はあの方に過度な期待をしてしまっているのだろうか。時々、そんな気がしてしまうよ」


 すると、ルチルはふわりと微笑んだ。


「あなたが期待するほどの方なら、必ずその期待に応えて下さるわ。ほら、自分の決断を信じて。あたしには不安なんてないわ。あなたを信じているから」


 この全幅の信頼に応えたいと、スピネルは常に奮闘して来たのかも知れない。そう考えると、不意に笑いが込み上げて来た。


「時々、お前がとんでもない悪女に思えるよ」


 すると、ルチルはムッとして頬を膨らませた。そんな仕草も愛おしいと思う。


「まあ! どういう意味!」

「そう怒るな。冗談だ」

「もう知りません!」


 拗ねたように腕の中でそっぽを向くルチルの頬にスピネルは指を滑らせる。甘えた瞳が物語る。

 スピネルは口付けをして彼女の望む言葉をささやき、その小柄な体を抱き上げて帳の奥へと向かう。

 ルチルの髪から香る花の香りを感じながら、スピネルは迷いを断ち切った。


 この先に待つ現実は、『彼』が避けることのできないものであるのだと。

 事実とは、常に残酷なものであるのだ――。


 怪しい人間満載でお届けしています(笑)

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