〈7〉デマントにて
ルナスの馬術の腕前は、護衛の二人が認めるように確かなものだった。リィアは振り落とされることなくデマントの町に到着することができた。ただ、それでもものすごく疲れたことは確かだけれど。
「大丈夫かい?」
デマントの町の門を潜る前に、ルナスは気遣わしげにリィアを振り返る。リィアは慌てて頷いた。
「は、はい、もちろんです!」
デュークとアルバは先に馬を降り、手綱を引いて歩いていた。そのアルバに、ルナスは言う。
「アルバ、リィアに手を貸してやってくれ」
「はい」
アルバは手綱をデュークに預けると、馬上のリィアに手を差し伸べる。けれど、リィアはどうしていいのかわからなかった。
「えっと、どうすれば……」
戸惑っていると、アルバはクスクスと笑った。
「とりあえず手を出せ」
言われるがままに差し出すと、アルバはその手を急に引いた。
「ひゃあ!」
慎ましやかな格好を台無しにするような声を上げて馬上からずり落ちたリィアを、アルバは軽々と受け止めて下に下ろすのだった。
「も、もうちょっと慎重に下ろして頂きたかったです!」
涙が出そうになるのを堪えて文句を言うと、アルバは意地の悪い顔をした。
「どうした? そんなに馬が苦手なのか?」
そのひと言で、リィアは黙るしかなかった。多分、それでもこの副隊長には見抜かれてしまっているのだろうけれど。
そんなリィアの隣に、軽やかに降り立ったルナスは、馬を労うようにしてその鼻面を撫でる。馬は気持ちよさそうに目を細めてブルルル、と啼いていた。
「さて、馬を預けて来ようか」
「はい」
四人は厩を探して町を歩く。
デマントの町は上流階級の人々も多く、そのためか町並みも美しく整えられていた。こうした道も綺麗に舗装されていて道幅も広く、歩きやすい。商店も多くあるが、あまり華美といえるようなものではなく、堅実な佇まいである。
こうして眺めているだけでよい町だとリィアには思えた。
「ああ、こっちですね」
一軒の宿の近くに厩を発見し、三頭の馬を預ける。そこでこの馬をネフラ村へ返すよう手続きし、代金を支払った。帰りはデマントからならばどうとでもなる。
そうして身軽になった四人は、ようやく調査を開始するのであった。
「まずは巷間の噂でも拾いますか」
デュークの提案に、ルナスも頷く。
「そうだな。トールド卿とその周辺について、何か聞けるとよいのだが」
情報収集ならば人が多く集まる場所がよい。夜ならば酒場へ行くのだが、この時間だ。昼食がてら大衆食堂に足を運ぶことにした。
特別上等のところである必要はない。むしろ、少し雑多なくらいが丁度いい。
そうして彼らが選んだ場所は、やはり時間も時間なだけに混雑していた。こういう場所に一番馴染みがないのはルナスではなくリィアであった。ルナスは平然としている。もしかすると、城を抜け出してはこうした場にも足を踏み入れていたのかも知れない。
リィアは、軍に入ってから随分と男性に囲まれて、男性社会に慣れたつもりでいたけれど、やはり軍は規律があり、良家の子息も多い。また、皆リィアの前ではめを外すことはなかったのだ。
けれど、この場は飛び交う野次やムッとするような熱気に包まれ、リィアは愕然とするばかりであった。こういう場所で食事を摂るのは主に労働者なのだろう。時間が惜しいのか、食事をかっ込む。ひと言で言うのなら、品がない。
「まずはテーブルに着きましょう」
アルバが平然と言う声でリィアは我に返った。そして、使命を思い出し、ぶるぶるとかぶりを振って気を引き締める。そんな姿を、ルナスは小さく笑った。
案内されたテーブルに着くと、そばかすのあるウェイトレスが水を運んで来た。けれど、少しばかりそそっかしいのか、水は大きく波打ってトレイの上にこぼれている。それに気付かない振りをしつつ、ウェイトレスは四人の前にコップを置いた。
「ご注文は――」
そう言いかけて、ウェイトレスははっと息を飲んだ。その視線の先にはルナスがいる。
正体を見抜かれた、とリィアはどきりとしたけれど、他の二人は平然としている。だから、リィアも平常心を保った。
ルナスはにこやかに、穏やかな声音でウェイトレスに言う。
「私たちは先ほどここに着いたばかりなのだが、この町は賑やかだね。トールド卿のお人柄によるものかな。ご立派なお方だと聞くし」
流麗なその声に、ウェイトレスはとろんとした目付きになった。そうして、遅れに遅れた返答がようやく返る。
「は、はい。トールド卿はわたしたちにとてもよくして下さっています。一時期は……ご子息を亡くされた時は悲しみに塞いでいらしたようで、お顔も見せて下さいませんでしたけれど、今では立ち直られたご様子です」
「そうか。私もできることならお会いしてみたいものだ」
ルナスが微笑むだけで、ウェイトレスは簡単にどんな秘密も教えてくれそうな気がした。
軍事国家の王太子として、その優美な姿は頼りないことこの上ない、と常にささやかれているというのに、身分を隠して外へ出れば、その容姿がこんなにも有効な武器になる。そのことにリィアは複雑な心境だった。
「あ、そ、それでしたら、あちらのお客さんがトールド卿の屋敷で馬の世話をされているので、もしかすると力になって下さるかも知れませんよ?」
ウェイトレスの必死な口調に、ルナスは麗しい笑顔で答える。
「ありがとう。君に出会えて幸運だった」
声を詰まらせるウェイトレスに、リィアは少し呆れた。いや、呆れたのはルナスに対してだろうか。
ルナスの場合、その美貌を自覚してやっているのかどうかはよくわからないけれど。
「――ところで、注文いいか?」
隣でぼそりと言ったデュークの声は、ウェイトレスの耳には届かなかったようだ。




