〈6〉苦手なもの
翌日、リィアは粗末な宿の一室で一人目を覚ました。隣の部屋の物音が聞こえたのだ。
ベッドの硬さは兵舎と変わりないので気にならない。慌てて飛び起きると、リィアは身支度を整える。
昨日とはまた違った水色のショートドレス。大きなフリルが可愛らしい。これもスピネルの見立てである。下ろしたままの髪に花飾りを付けて、これで完成だ。本当は化粧のひとつもした方がいいのかも知れないが、それでは自分は何をしているのかわからなくなりそうで嫌だった。
扉を開けると、廊下ではすでに三人がリィアを待っていた。硬いベッドに一番不慣れであろうルナスにも疲れた様子はなく、今日も麗しく微笑んでいた。
「おはよう。よく眠れただろうか?」
「はい」
「それはよかった。では、行こう」
颯爽ときびすを返すその後に、デュークとアルバが付き従う。リィアは更にその後に続いた。
宿で朝食を済ませると、四人はようやくデマントの町に向かう手筈を整えるのだった。
「また、馬車を雇いますか」
デュークが宿を出てすぐに言うと、アルバがきょろきょろと周囲を見渡しながら言った。
「それなんですけど、昨日宿の人に訊ねてみたら、馬車は出払っていて明日は荷馬車しかないって言われました。ただ、その代わり馬だけならば何頭か貸せるから、乗れるのなら鞍を付けて貸し出すってことで」
「この規模の村だからな。それも仕方ないか」
と、デュークも嘆息する。ただ、顔から血の気が失せたのはリィアだった。
「う、馬ですか? わたし、この格好で乗るんですか?」
男性陣三人は、リィアの姿を上から下まで見遣った。そうして、アルバはあっさりと言う。
「ああ、乗馬は無理だな」
「そうですよ! 跨れないですって!」
リィアはここぞとばかりにきゃんきゃんと吠える。
ドレスで乗馬なんてもってのほかだ。できるわけがない。
――と、当然の主張をしてみるけれど、実を言うとリィアにとって慣れない馬での乗馬などあり得ないのである。
軍人として、馬に乗れないなどというわけにはいかない。だから、リィアなりに鍛錬を重ね、慣れた馬ならば必要最低限には操れるようになった。けれど、決して得意とは言いがたい。
まだ恐怖心も何もない子供の頃、面白半分で無茶をして馬上から振り落とされかかったことがある。とっさに父がリィアを受け止めてくれて大事には至らなかったのだが、あの時のことがどうしても忘れられない。時間をかけて少しずつ馴らさないと、乗れないのだ。初見で走るなんてとんでもない。
今だけは、こんな服を見立てたスピネルに感謝した。
「じゃあ、俺か隊長が乗せるしかないか」
すると、デュークは迷惑そうに眉をひそめた。
「そんなでかい荷物を乗せてたら、いざって時にルナス様をお守りできないだろ。アルバ、お前が乗せろ」
でかい荷物、と。
リィアがカチンと来て睨んでも、デュークはお構いなしである。アルバはあごを摩りながら思案した。
「俺もそれじゃあ動けませんけど、隊長、何かあったらよろしくお願いしますね」
二人してリィアを荷物扱いする。確かに、こうなって来ると否定もできないので心苦しくなってしまった。
そんな時、ルナスが口を開く。
「リィアは私が乗せて行こう」
「え!?」
思わず大声を出してしまった。その声は、ルナスにしてみれば心外だったのかも知れない。苦笑しながら言った。
「私が乗せれば、デュークとアルバは動きやすいはずだ」
アルバは納得したのか、こくりとうなずく。
「確かに、護衛対象はまとめてしまった方が楽ですね」
「ただ、ルナス様と一兵士を同乗させるというのはあまりに申し訳ないので、それくらいなら俺が乗せて行きます」
あんなに嫌がっていたくせに、デュークはそんなことを言う。だったら最初からそうしてくれたらいいのに、とリィアは膨れた。リィアとしてもルナスに乗せてもらうのは心苦しい。
けれど、ルナスは微笑みながらも強い口調で言った。
「デューク、そんなことを言っている場合ではないよ。それとも、私の馬術に不安があるのか?」
その途端、デュークは面白いくらいに慌てた。
「と、とんでもないです!」
そんな様子を眺めながら、アルバがのん気に言う。
「ルナス様の馬術は俺や隊長よりも確かなくらいだってことは承知してますよ。では、リィアはルナス様に乗せて頂くということで馬を手配してきましょう」
デュークも、もう何も言わなかった。黙ってアルバの後に続く。
宿の裏手にある馬小屋から、程なくしてアルバは二頭の馬の手綱を引いて戻った。
デュークが引く馬は黒毛である。少し気性が荒そうに見えた。尻尾がパシリと激しく動いている。
「では、ルナス様」
そのうちの一頭をルナスに差し出す。ルナスは頷いて手綱を受け取った。そして、その次の瞬間には鐙に足をかけ、ひらりと軽やかに馬の背に飛び乗る。そうして、馬の首をそっと撫でた。
「大人しい馬だ。大丈夫だろう」
ルナスがそう言うのなら、きっと大丈夫。リィアはそう信じるしかなかった。
「おいで」
馬上から手を差し伸べるルナスを見上げ、リィアは観念した。
「……はい」
鐙にヒールの靴を引っかけ、ルナスの手を握る。リィアの体を上に引っ張り上げる力は、思った以上に強かった。細身で女性的に見えるけれど、やはりルナスは間違いなく男性なのだと今更ながらに思う。
両足をそろえて横向きに乗ると、その不安定さがかなり恐ろしかった。そのことをルナスも察してくれたようで、振り向くとリィアに声をかける。
「つかまってくれて構わないよ」
「えっと、でも……」
恐れ多い。さすがに主君にそんなことはできない。
リィアがためらっていると、ルナスは苦笑した。
「落馬される方が困るのだけれど」
確かに、それはそうかも知れない。それでもリィアがためらい続けると、ルナスは不意に馬を数歩歩かせた。
「っ!」
それだけのことでも馬の背はガクガクと揺れる。馬の筋肉の動きに合わせて波打つ。
リィアは立場も何もかも吹き飛んでルナスにしがみ付いていた。思い切り胴を締め付けたと言ってもいい。
さすがに息が詰まったのか、ルナスは小さく言った。
「……もう少しだけ力を弱めてくれると助かる」
「ああ! 申し訳ありません!!」
赤くなったり青くなったりしているリィアを眺めつつ、アルバは笑っていた。デュークはうるさそうに顔をしかめているけれど。
「さあ、行こうか」
ルナスの声を合図に、三頭の馬は蹄鉄を響かせて駆け出す。ただし、ルナスは同乗するリィアに負担がかからないような速度を心がけていたので、それほど速くはない。
町への到着は、早くとも昼を過ぎる頃になるだろう。




