〈1〉用件は別に
国とは、人の集まりである。
人がたくさん集まるところには、妬み、嫉み、陰謀が渦巻く。
その渦に巻き込まれてしまえば、手傷を負う。平然と立つことの難しさを知る。
それでも王はその渦を押さえ込み、払う強さを求められるのだ。
ただ一人の、特別な存在であるのだから――。
世界の片隅にひっそりと存在するブルーテ諸島の最北に、武力によって他国をけん制し、諸島一の大国としての位置を確立した軍事国家があった。
その国、ペルシ王国の王太子であるルナクレスは、漆黒の長髪にぺリドットのような若い緑の瞳を持つ、民衆からは『美しき盾』と揶揄される存在であった。男性としては美しすぎる風貌と、その穏やかな性質によるものである。積極的に軍事に関わろうとせず、居室にこもっている姿は、『お飾り』であると。
けれど、その噂の裏で、ルナクレスことルナスは自らの思うところに従い、動くのであった。
彼を支える腹心の者たちと共に。
ルナスの護衛を職務とする三人、デュークとアルバという青年軍人。それに加えて新参の少女兵リィア。
それから、ルナスの教育係であった文官メーディ、その下に付く見習いの少年レイル。
惰弱だと謗られるルナスの本質を知り、忠誠を誓う者たちも確かにいるのである。
そんな彼らのもとに、商人であるスピネルという男がやって来たのは、賑わいを見せた武術大会を終えて半月もした頃だった。
七色に輝く羽根を持つ、尾の長い鳥を豪華絢爛な鳥籠に収め、それを持参したのである。
「この羽根、美しいでしょう? きっと殿下によくお似合いになるのではないかと思いまして」
と、スピネルはにっこりと微笑む。
三十代の後半だが、品よく洗練された装いのためか若々しく見えた。大きな商いをいくつも手がける彼は、その外見だけでは計れない風格も備えている。
「確かに、珍しいね。けれど――」
ルナスは少し複雑な面持ちをしていた。
いかに美しい容姿をしていようと、ルナスは飾り立てられることを嫌う節がある。スピネルは商売とは別にして、美しいものを愛でるのが趣味のようで、時折自分の見立てた装飾品の類をルナスに装着させたがるので、彼なりにあまりいい予感がしないのだろう。
そばに控えていたリィアがそう推測していると、その美しい鳥が啼いたのだ。
グゲッ、ゲッ、とその麗容とは似つかわしくない声で。
場が、あまりのことに静まり返った。皆が耳を疑ったのだろう。
ただ、その静寂を一番最初に破ったのはアルバである。クク、と声を殺してはいるが、明らかに笑っている。
「え、ええと、今のは……」
おずおずと、それでも好奇心を隠せなかったのか、レイルがスピネルに訊ねた。スピネルは、ふぅ、と深く長い息をつく。
「残念ながら、啼き声が玉に瑕なんですよね」
メーディは深い皺を更に深くして微笑んだ。
「こうした美しい鳥は雄で、鮮やかな羽根は雌の気を引くためのものだと聞きます。盛りの時期は、求愛のための啼き声もまた雌の気を引くために盛大なものに――」
この声で騒がれたらと考えるだけで気が滅入る。
「連れて帰れ」
デュークが眼帯をしていない青い左目でスピネルを睨み付ける。有無を言わせない強い口調だったが、スピネルは動じた風でもない。はいはい、と軽く返事をする。
この煌びやかな鳥を連れて参じたのは、それを表向きの理由とするためで、用件は別であるということだ。
フフ、と食えない笑みを浮かべると、不意にアルバに視線を向ける。
「ところでアルバ様、今年の武術大会を制覇されたそうではありませんか。遅ればせながら、お祝い申し上げます」
「ああ、それはどうもご丁寧に」
と、アルバも笑いを堪えながら返す。
「これで『彼』に、ウヴァロの状況を見せることもできるのですね。いや、これは私にとってもよい知らせですよ。彼が虐げられているのではないかと心配する人も多いですし、彼が様子を見ることによってウヴァロの人々も張り切ってくれることでしょうから」
その発言に、皆が唖然とした。未だ知らせていないはずの事実であったのだ。
アルバは武術大会優勝の褒美として、一人の囚人を自分の部下とした。彼の名をジャスパーといい、この王都アルマンディンのそばにある貧民窟ウヴァロの長である。
商人たちの馬車を襲ったため、服役を課せられていた。
スピネルはそのウヴァロの者たちを雇い、事業の手を広げている。今はまだ準備の段階に過ぎないのだが、これはあの地の人々にとっては大きな前進であった。
「お前はほんっとに抜け目ないな」
デュークが思わずため息混じりに言うと、スピネルは考えの読み取れない笑顔を保っていた。
「それは褒め言葉として受け取っておきましょう」
スピネルはそう答えると、そこから話の流れを変えた。
「ところで殿下――」
「うん?」
「最近、小耳に挟んだ噂があるのですよ」
そう、スピネルは結んだ。
〈裏切りの章〉は全23話になります。
物騒なタイトル……。
お、お付き合い頂けると幸いです。




