〈21〉優勝者の願いごと
授賞式では、軍の上層部に囲まれつつ、アルバは堂々と優勝旗を受け取っていた。
陸海軍のトップである両公爵、女性中将のアイオラ、アルバの父であるロヴァンス中将、リィアの父であるヴァーレンティン中佐の姿もあった。皆がアルバの健闘を褒め称える中、彼の父親だけは複雑な面持ちであったように思う。アルバをよく知るだけに、実力はあれど気ままな息子がなんの目的で優勝したのかがわからないのだろう。
そうして、優勝者のアルバには、国王から言葉がかけられた。ほんの一言、
「今後も弛むことなく精進するように」
という、旨だった。アルバはそれを恭しく押し頂く。
ルナスとあまりよい関係が築けているとは言えないこの父王を、アルバがどう思っているのか、そんなことはこの一幕からは窺い知れなかった。
ただ、背を向けた国王の後に続く人物に、観客席からリィアは目を留めた。
灰色の長い髪を背中でまとめた、六十代も後半に差しかかる男性。最高位の文官の装い。彼は、このペルシ王国の宰相スペッサルティンである。国王に最も頼りにされている家臣は、間違いなく彼だろう。
文官ではあれど、軍部においては参謀としての役割も果たすのだ。
彼は常に国王と共にある。絶大なる王の信頼のもと――。
そうして、ついにアルバの願いは叶えられたのである。
アルバがルナスのもとへ一人の男を伴ったことで、ルナスにはすべてが伝わった。アルバは、そっと微笑む。
「優勝者の特権として、我がままをひとつ聞き入れてもらい、配下を一人増やしました。もちろん、こうして外へ出られるのは俺の監視下であることが条件ですが」
中年のよく日に焼けた男が、ルナスの前にひざまずく。その男は軍服を着込んではいたけれど、少しもそぐわなかった。
「王太子殿下とは露知らず、数々のご無礼をお許し下さい」
そう低頭しながら言ったのは、貧民窟ウヴァロの頭領、ジャスパーであった。
ルナスは先の盗賊騒ぎの際、略奪された商人とウヴァロとの仲裁のため、代表としてジャスパーを投獄した。止むに止まれぬ処置であり、ジャスパーがルナスに対して恨みを持っているわけではない。それに、ルナス自身、その決断を悔いてはいない。
ただ、彼は蔑まれる貧民窟の住人である。服役中、デュークやアルバが気を配っているとはいえ、真っ当な扱いを受けているのかルナスは気にしていたのかも知れない。ルナスが自分の名前を出して庇い立てすることはできないのだから、気になったところでジャスパーには堪えてもらうよりなかった。
アルバは主の心の片隅にある心配事を敏感に感じ取ったのだ。
だからこそ、大会で優勝することによって、ジャスパーを配下に加えた。優勝者の願いが昇級や配属先の移動ではなく、ただの囚人一人であるのだから、上層部としては楽なものだっただろう。
服役中の囚人であることに代わりはないが、ジャスパーにはもうひとつの肩書きが付き、以前ほど軽んじられることもなくなったのかも知れない。
それに、こうしておけば顔見せ程度だが、予定よりも早く彼をウヴァロの者たちに会わせることができる。
アルバの配慮に、ルナスはくしゃりと顔を歪めた。それは、溢れる感情からのことであった。
「……いや、そんなことは構わない」
ジャスパーにそう声をかけると、ルナスはアルバのそばに歩みより、その手を取った。
「ありがとう、アルバ」
長い睫毛を伏せ、ルナスは感慨深げにささやく。アルバは、ふと柔らかな表情を保ったままでひざまずいた。
「我が忠誠の証です。どうか、お受け取り下さい」
「うん、私は幸せだね」
クスクスと、ルナスが声を立てて笑う。そんな彼らを、リィアはメーディたちと共にあたたかな気持ちで眺めるのだった。
「アルバ殿は奔放な方ですが、これと決めたことに対してだけは絶対ですから。ルナス様への忠誠は疑うべくもありません」
「そう、ですね」
コーランデル王子がどれほど熱心に勧誘しようとも、アルバが首を縦に振ることはないのだ。ようやく、そのことがはっきりとわかった。じわりと胸の奥が熱く、しびれるように感じられた。
だからこそ、ふと思うのだ。
あの時、ルナスたちが通路を通って城下へ出る時にリィアが居合わせ、鍵をかけ忘れた通路を使って後をつけた。あの鍵がもしかかっていたなら、リィアは今も彼らのことを知りもせずに嫌っていただろう。
アルバが鍵をかけ忘れたのは、故意にであったのではないか。
ルナスの心を知らず見下げ果てていたリィアに、彼を知るチャンスをくれた。それは、自らが誇る主の姿をリィアに見せたかったからなのではないだろうか。リィアのことをルナスが気にかけてくれていたからこそ、誤解されたままではやるせなかったのだ。
今のリィアはそんなアルバと同じ気持ちである。だからこそ、それがわかるのだ。
「隊長、差を付けられちゃいましたね」
リィアが二人の姿を眺めながら言うと、デュークは顔をしかめた。
「俺は忠誠心で負けたつもりはない」
その言葉が負け惜しみなのか本心なのかは置いておいて、リィアは少し羨ましいと感じた。デュークやアルバのように、大切な主のために、すべてを賭けて戦うことが。
守りたい誰かを守るために、人は強く在れるのだと――。
ルナスの言葉が、身に染み入るようにして蘇る。
誰かのため。それが、ルナスのためであって、その身を守って行ければいい。
リィアもまた、彼らと同じようにルナスを守る力となろう、と思うのだった。
※ ※ ※
薄闇の中、やや高い声がする。
「――優勝者はアルバトル=ロヴァンス。まあ、前々から実力はあった人だから、本気を出せばあんなものだろう」
「ふむ。けれど、眠れる獅子を揺り動かしたものは一体なんであったのか?」
落ち着き払ったその声に、また高めの声が返る。
「忠誠心だろ。あの王子様へのな」
その、さも面倒だといった口振りに、相手の返答が途切れた。しばしの沈黙が闇の中にある。
そうして、ゆったりとした声が空気を震わせる。
「あれが、それほどの人物であるというのか?」
「さあね」
軽い口調で返す声。相手は、呆れたように嘆息した。
「だから、お前にはそれを見極めろと言うのだ」
「時が来ればわかることだと思うけど」
「それでは遅い」
「だったら、試してみればいいものを」
高い声はクスクスと耳障りな笑いを振り撒く。
「次期王として相応しいのは誰か。そんなことは、誰にもわからない」
返答はなく、無言の相手に彼は背を向けた。
「まあ、誰が王であろうと、王は『国』そのものではない。所詮は代替品に過ぎないのに――」
【 疑惑の章 ―了― 】
以上で【疑惑の章】終了です。
お付き合い頂き、ありがとうございました!
※次章開始はは12月1日を予定しています。




