〈17〉確執の根は深く
本日の試合を終え、ルナスは王室用の観覧席から立ち上がった。飾り立てられた枠を超え、皆と合流して部屋へと戻るつもりであった。勝利したアルバはもちろんのこと、負けてしまったデュークにも精一杯のことをしたと褒めてやりたい。
そんなことを考えて穏やかな表情を浮かべていたルナスに近付く人物がいた。
「大兄上」
その呼び声に、ルナスは振り返る。自分をそう呼ぶのはただ一人だけだ。
「ベリル」
下の弟の名を呼ぶ。ベリルは強張った顔で不自然な笑みを見せた。
「大兄上のところはなかなかの粒ぞろいですね。特に、あの副隊長の中尉だ。あんなのを隠し持っていたなんて、大兄上もお人が悪い」
ベリルは肩にかかる長さのまっすぐな髪を揺らして言った。髪の色は黒く、そこはルナスとベリルの共通点と言えるのだが、逆に言うのなら、似ているのはそれだけだ。もともと異母弟ではあるのだが、母親似のルナスと、父親似のベリルの面立ちはまるで違う。
ベリルの目は常に宙をさまよい、ルナスの目を直視することはない。気の小さな弟だ。常に誰か側近がそばにいなければ、不安になるような。
それでも、たった一人でルナスにだけは相対することができる。それは、ルナスが穏やかなたちだと思うからである。例えば、コーラル相手なら真っ向から意見などできない。
それを知っているから、ルナスはその心を突き刺すような言動はしない。
「そうだね、皆、がんばってくれている」
柔らかく微笑む。
けれど、ベリルにはそれも気に入らないのだ。明らかにムッとしていた。
自分の駒が負けた。そのことが我慢ならないのだ。
ただ、それをそうと受け取られたくない。自分はそんな小さなことを気にしているわけではない、とそれをアピールするために単独でルナスに話しかけて来たのだ。普段ならば、コーラルと同様にベリルも近付いては来ないから。
ルナスが微笑めば、それを上から見下していると取る卑屈なところがベリルにはある。かと言って、厳しく接すれば、騒ぎ立てて反発する。
コーラルのような筋の通った意志の強さを持つことができず、常に何かに怯えていると感じる弟。
三番手という立ち位置。それは、ベリルをそうさせるだけのものであったのかも知れない、とルナスは時折思う。何かに自信を持つことができないままのベリルを、ルナスなりに心配していた。
彼を『放たれた矢』と呼ぶ民衆の声。
それは、的外れではない、とルナスは感じてしまっている。だからこそ、ベリルは危うい。
「さすが、王太子殿下! その美しい御身に傷が付いては大変ですから。護衛選びにも力を入れて当然ですよね」
わざと、言葉の節々に毒を滲ませる。けれど、毒は相手を知らずに撒き散らかしたところで意味もない。その言葉がどのような結果をもたらすのか、効力を計算した後に吐くべきである。ただ感情に任せていたのでは、いつまでも自分のためにはならない。
「ベリル、お互いによい臣を持てて幸せだね」
ルナスは、気の抜けるような平和的な発言をして、ひたすら穏やかに見えるように微笑を絶やさなかった。ベリルは、自分の毒がルナスに受け流されたことに少しの苛立ちを見せる。このぼんくらには嫌味も通じないのか、といった風に。
「ところで、パールはもう帰ったのかい?」
会話の流れを変えたルナスに、ベリルは戸惑いながらも答える。
「え、ああ、迎えが来ましたのでね」
「そうか。あの子がいると場が華やぐ。パールはまだ八歳だけれど、後数年で嫁に行くのかと思うと寂しいものだね」
「そう、ですね」
ベリルは渋々答える。
ルナスやコーラルとは不仲なベリルも、パールのことはやはり可愛いようだ。こうして、三人の兄弟が共通して話せる内容など、パールのことだけである。本当に、パールが嫁になど行かずにずっといてくれたら、と時々兄として叱られてしまいそうなことを思ってしまう。
そうして二人が対峙しているところに、コーラルが通りかかる。その途端に、ベリルはびくりと肩を震わせた。
コーラルが何かを言ったわけではない。ただ、彼は無言で他者を威圧するような眼差しをしているだけだ。その瞳が止まる先は、ベリルではなくルナスであった。コーラルは、ベリルには見向きもしない。彼にとっては、ベリルは取るに足らない小人物でしかないのだろう。
ルナスには、無口なコーラルの考えが、その視線から受け取れてしまう。
だから、苦笑してしまった。
「さて、それでは私も戻らせてもらうよ」
まだ言い足りない様子のベリルに、ルナスはそう告げて背を向けた。




