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落日のレガリア  作者: 五十鈴 りく
調停の章

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〈2〉新規兵

 ざわざわと、さんざめく周囲の音から取り残されたように感じられた。

 リィアは自分の柔らかな胸に手を添えて深く深呼吸を繰り返す。

 初めて袖を通した真新しい濃紺の軍服は、身も心もきりりと引き締まる思いだった。

 ふわりと波打つ、肩口でそろえた髪をひとつに束ね、赤褐色の大きな瞳を開く。艶やかな桃色の唇を強く結んで顔を上げた。



 リィアことリジアーナは、このペルシ王国のフォラステロ領の子爵の娘であった。

 フォラステロ領とは、ペルシ王国に存在する西部の領地である。東部をクリオロ領といい、中部をトリニタリオ領と呼ぶ。中部のトリニタリオは王家の管轄であり、クリオロとフォラステロは二大公爵が統括する。


 リィアの子爵家は、その公爵家の下に控える形である。

 この軍事国家ペルシにおいて、国に貢献するということは、すなわち有能な将を排出するということだ。貴族の大半は武門であり、貴族の子息たちは当然のように兵となる。

 ただ――。


 リィアの生家、ヴァーレンティン子爵家には男児がいなかった。三人の娘がいるだけである。

 それ故に、勇猛な将など望めるべくもなく、フォラステロ領では肩身の狭い思いを強いられて来た。


 父のヴァーレンティン家当主は高潔な人物であり、軍でも一目置かれている。だからこそ、唯一の欠点である後継者問題を皆が陰で悪し様に罵るのだ。それが嫉妬であるとしても、リィアにはそれが我慢ならなかった。

 そうして、十七歳になった今、軍の新規兵として志願したのである。


 もちろん、父は反対した。けれど、リィアは引かなかった。

 姉のように良家に嫁ぎ、夫を支えることが家のためになると考えられたならよかった。妹もつい先だって嫁いだ。それでも、リィアはその道を拒んだのだ。


 幼い頃よりずっと、女児であるからといって、この身ひとつで父の役に立てないなどとは考えたくなかった。だから、必死で剣を学んだ。それを馬鹿にする人間は多かったけれど、誹謗中傷など払い除けた。

 何故なら、この王国には女騎士も確かに存在するのだ。


 アイオラ=エンビュール中将。

 彼女がリィアにとっての希望であり、憧れだった。女の身だからといって諦めなくてもいいのだと。



 今回の新規兵は六十八人。

 それは、多い方ではないのだろう。それでも、女性はリィアただ一人であった。

 否応なしに浮いてしまう。

 けれど、そんなことは最初からわかっていた。これくらいでめげてはいられない。


 華々しい入軍式典が城門前にて繰り広げられた。五年前のあの出来事――アリュルージへの敗戦があってから、節制を強いられて来たことが嘘のようだ。すでに国力は回復したのだという民衆へのアピールであろうか。

 どこまでも青い空を見上げ、リィアは高らかな吹奏楽の音色に耳を傾けていた。心には一抹の不安と期待を秘めて。


 これから、どの部隊に配属になるのだろうか。発表は後に兵舎へ移動してからになるのだろう。

 できることならば、アイオラに近い部隊であるといいけれど、こちらの希望など聞き入れられるはずもない。貴族であり、軍の中佐である父を持つとはいえ、この場にいる新規兵の半数以上がそうした良家の子息である。身分だけを言うのであれば、リィアは決して高い方ではない。特別扱いなど期待できるわけがない。


 覚悟を決め、式典の一部としてそこに整列していた。軍の上層部である人々はもちろんのこと、国王の姿もそこにあった。それから、三人の王子の姿も。


 リィアの位置からは遠い。その上、周囲を男性に囲まれている形なので、女性としては標準の身長であるリィアだが、彼らの隙間からしか壇上を伺うことはできなかった。ただ、アイオラの姿がひと目でも見られて嬉しかった。


 四十に手が届くような年齢なのだが、未だに若々しく引き締まった体と凛々しい顔付き。胸当てと同じ色の束ねた銀髪が美しかった。

 ああなりたいと強く願い、震える拳を握り締めた。



 そうして式典も終わりを迎えた。高貴な人々は去り、アイオラたちの姿もなく、新米兵の教育を任された中堅どころの兵士が新規兵を先導する。兵舎の場所を口頭で説明すると、後へ続くように指示した。

 リィアは何の疑いもなくその言葉に従った。


 けれど、そんなリィアを見る周囲の目に、彼女自身はまるで気付いていなかった。

 どこかの角を折れる時、急に手首をつかまれる。乱暴なその手に驚く暇もなく、壁に背中を叩き付けられた。


「っ!」


 一瞬、息が詰まって声が出なかった。壁から体を起こそうとすると、嫌な笑い声が耳を撫でた。


「お前、ヴァーレンティンの娘だろ?」


 その声は、明らかな侮蔑のこもったものだった。眉をひそめて見ると、五人の新規兵がリィアを囲んでいた。ニヤニヤと、下卑た笑いを貼り付けている。


 その中のリーダー格らしい男には見覚えがあった。確か、東のクリオロ領のルーメル伯爵令息だ。名前はツァルドだったか。鈍色の短髪と、常に他人を見下したような眼をした人間だ。総領息子であるせいか、入軍には少々遅いくらいの年齢と言える。


「……それが何か」


 リィアはぽつりと答えた。正直な気持ちを言うならば、怖くないはずがなかった。

 けれど、父の反対を押し切り、自ら志願した以上、誰のことも頼れない。すべてのことを自分ひとりで乗り越えて行かなければならないのだ。

 だから、恐ろしくてもそれを相手に悟られないように虚勢を張った。

 そんな様子を、ツァルドは嘲笑う。


「お前の姉と妹は嫁に行ったって言うじゃないか。お前、売れ残りなんだろ?」


 周囲の子分たちが品のない笑い声を立てた。追従ついしょうする姿を、リィアはただ情けなく思う。

 取り合うつもりもなく、無言でいたリィアが気に食わなかったのか、ツァルドは突然リィアの後ろの壁に勢いよく手を付いた。顔をかすりそうになり、驚いて思わず顔を歪めてしまった。

 ツァルドはリィアのうちにある怯えを見逃さず、その耳もとで粘着質な声を立てた。


「実際、武人になんてなるつもりもないくせに。正直に言えよ。お前、男漁りに来たんだろ?」

「なっ」


 あまりのことにカッと頭に血が上った。

 相手にしてはいけないと思うのに、感情の波が起こる。この低俗な連中にも、惨めで無様な自分にも、どうしようもなく落胆してしまう。

 自分は何のためにここへ来たのだろうか、と。

 怒りに震えるリィアの肩に手が触れた。


「俺たちが相手をしてやろうか?」


 ぞくり、と身の毛がよだつ。

 この手の不快感は、今までに感じた何よりも苦痛だった。ここでみっともなく震えてしまうことは、自分がやはり性別に縛られている証なのだ。

 そう考えると無性に悲しくて、それ以上に、理屈では言い表せない恐怖があった。


 声を詰まらせ、とっさにその手を振り払おうとすると、ツァルドは更に顔を歪めて笑った。取り巻きも、示し合わせたように笑っている。

 どうしようもない孤独感。

 愚かな自分――。

 そんな時、驚くほどによく通る涼やかな声が、リィアの世界に差し込んだ。


「……そこで何をしている?」


 ツァルドたちもハッとしてとっさに振り返った。

 リィアが涙の滲む瞳で見た先には、三人の姿があった。両脇の二人は軍服に身を包んだ武人である。

 ただ、中央に佇む青年は――。


「そこで何をしていると訊ねているのだ」


 ひと目でその正体に気付く。

 王太子でありながらも、『美しき盾』と揶揄される、この国の第一王子――ルナクレス=ゼフェン=ペルシその人である。


 それが、出会いであった。


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