〈17〉今、できること
スピネルと会ったその後の数日間は穏やかなものであった。
それは、リィアにとってという意味である。ルナスにとってはどうであったのかはわからない。
ただ、無駄に時間を過ごすというのも嫌なものだ。リィアはこれから何が起こるのかもまだ知らされていない。けれど、それはそれとして剣術の稽古だけは怠ってはいけないと思えた。
不幸中の幸いとして、上官のアルバは実力者だ。部下の稽古を付けるのも上官の仕事であるはず。
リィアは思い切ってアルバに稽古を頼んだ。今度は、前回のような馬鹿にした気持ちではない。その実力を認めた結果としてだ。
ただ、アルバは笑顔でこう言うのだ。
「うん、隊長に頼んでおく」
「はい?」
「部下の稽古を付けるのは上官の仕事だから」
唖然とするリィアに、ヒラヒラと後ろ手を振って去った。
すぐさま、面倒なのだと思い至ってしまった。ただ、その面倒ごとを上官に押し付ける副官というのもどうなのだろう。
自由な人だ、としか言えない。
ただ、頼まれたデュークは全面的に嫌な顔をしていたというのに、結果として稽古をつけてくれた。それが意外だった。
ただし、ひどく厳しいのだが。
ルナスの居住棟の一角の広い芝の上でリィアはデュークと対峙する。
この男、片手で軽くリィアの剣を弾くと、もう片方の手で鞭を振るう。鞭打たれることはなく、鞭は柄頭を使って小突く程度なのだが、脇が甘いと言っては小突き、背中を見せるなと言っては小突き、小突かれ続けた。
腹が立つけれど、言い返せもしない的確さではあった。隻眼であるのに、眼帯をしている右側に回り込んでも通用しないのだ。気配を察知しているのか、動きを読まれているのか、どちらだろう。
ぜぇぜぇと肩で息をしていると、デュークはスッと目を細めた。
「今日はこれくらいにしておく」
明らかに、期待などしていない。使えないやつだという目である。
屈辱的だった。
リィアは悲鳴を上げる体の声に耳を塞いで顔を上げた。
「まだ……行けます」
その震える声が虚勢だと見抜かれたのか、デュークは嘆息した。
「言っておくが、ルナス様の御身は俺とアルバがお守りする。お前は足を引っ張らないように自分の身を守れればいい」
あまりの衝撃に、目の前が白んだ。
自分の身を守れればいい、と。足手まといだ、と。
けれど、その後に続いたデュークの言葉は更に優しくなかった。
「ウヴァロの件ならば、俺たちがいれば問題ない。今の俺の言葉が不満なら、待機していろ」
「わ、わたしは……」
何を言おうとしたのかもわからない。そんな弱い言葉はすぐに遮られる。
「自分の身も守れないやつが、誰を守れる? 身の程を知れ」
「っ……」
「ルナス様を守るということがどういうことなのか、まるで理解していないお前には荷が重すぎる」
理解していない。
弱いと、能力が足らないと言われたのではなく、理解していないと言う。
覚悟が足らないと見透かされている。
リィアは結局のところ、この二人ほどにルナスに対しての思い入れがない。その身を守りたいという気持ちが弱いのだ。
それを見透かされてのことである。
「……それでも、ウヴァロの件にはご同行させて下さい。理解していないというのなら、尚のことです」
まずは知ること。
だとするのなら、やはりこの目で見て確かめるしかないのだから。
デュークはしばしの間をおいてぽつりとつぶやく。
「下手な手出しはするな。自分の身を守る以外の目的で剣を抜かないこと――それは最低限度の上官命令だ」
「はい」
リィアが返事をすると、デュークは無言で立ち去った。
悔しいという思いが強い。
けれど、自分が足を踏み入れた『軍』という世界はこうした場所なのだ。
甘えてはいけない。力がすべてだ。
強い気持ちを持って自分を支えて行かなければならない。
いつかはと目指す目標があるのなら。
※ ※ ※
「――デュークは少し彼女に厳しいのではないか?」
窓越しにルナスは困惑顔でつぶやく。そんな彼に、アルバとメーディが苦笑した。
「そうかも知れませんね」
あっさりと言うアルバに対し、メーディはやんわりと言葉を選ぶ。
「まあ、諦めて去ってもらうように仕向けているのかも知れませぬな。やはり、ご令嬢には過酷な環境でございますから」
「デューク様はただ単にリィアさんが気に入らないのではないかと思われるのですが、僕の気のせいでしょうか?」
おずおずとそれでもはっきりと言うレイルに、今度はルナスが苦笑した。
「ええと、そこはどうだろう?」
「それも否定できませんけどね」
あはは、とアルバは軽く笑っている。
「まあまあ、いいじゃないですか。隊長にせっかく彼女を任せてあるんですから、この隙に行きましょう。まあ、見られて困るわけではないですが、ルナス様の気が散るといけませんから」
アルバの言葉に、ルナスは苦笑する。こくりとうなずくと、艶やかな黒髪をひとつにまとめて結わえた。
「アルバの気遣いに感謝するよ。では、行こうか」
そうして、二人はそっと室内を抜け出すのだった。
ここで二人が抜け出した理由は、実を言うと本筋とは関係のないことだったりします(笑)
習慣とでも言いますか、それはまた今度……。