〈15〉スピネル
「このたびはお呼びに預かり恐悦至極に存じます、ルナクレス王太子殿下。ご壮健のようで何よりでございます」
翌日の朝一番に、要請した通りにやって来たスピネルは、恭しくひざまずいた。
「よく来てくれたね」
ルナスが声をかけると、スピネルは面を上げた。
年の頃は三十代後半。波打つ長い髪を前にたらし、軽く結わえている。顔立ちは親しみやすくも、どこか油断がならない。
リィアは偏見たっぷりにそう思った。やり手の商人だというだけあって、身なりはよい。それが嫌味に感じられないセンスと風格が彼にはあった。
ルナスのそばで、メーディがニコニコと微笑みながらうなずく。
「お久し振りですね。お噂はよく耳にしますよ。相変わらずのご手腕のようで」
穏やかなメーディは、誰に対しても丁寧だ。豪商とはいえ平民のスピネルにも慇懃に語りかける。
「メーディ様にも別段のご愛顧を賜っております。そのお陰でございますとも」
「いやいや、とんでもない。我が国は商いに対する利率は決して高くありません。それでさえ、多大な利益を上げることができるのは、あなたのお力でしょう」
「商人など、己の利益を貪る見下げ果てた連中だと、特に敗戦以降肩身の狭い思いをしております。そんな優しいことを仰って下さるのはメーディ様くらいのものですよ」
はははは、と笑い合う二人に、デュークが真っ先に面倒になったようだ。
「前置きが面倒だ。ルナス様、本題に入りましょう」
堂々とそんなことを言う。
けれど、デュークの失礼な物言いに慌てたのはリィアと、文官見習いのレイルだけであった。
ルナスもスピネルも苦笑する。アルバも笑っていた。
「では、まず話をしよう。座ってくれないか」
ルナスがスピネルに椅子を勧めると、初めてスピネルは眉を跳ね上げた。
「ふむ。長引くお話なのですね? そうなると、私の期待とは少々違ったお話のようです」
「期待?」
リィアがつぶやくと、スピネルはリィアに顔を向けた。かと思うと、心底好奇心をくすぐられたような面持ちになる。
「おやおや、そういえばこのご婦人はどなた様で? 格好からして軍の方のようですが」
「リ、リジアーナ=ヴァーレンティンと申します」
一応名乗ると、スピネルは大きくうなずいた。
「なるほど。ヴァーレンティン中佐のお嬢様ですね?」
「父をご存知なのですか?」
驚いてリィアが問うと、スピネルは少し芝居がかった仕草で笑った。
「私が中佐のご高名を存じ上げているだけで、中佐は私のようなしがない商人のことなどご存じないでしょう」
メーディはレイルを伴い、茶の支度に取りかかっていた。デュークはイライラとした風だったけれど、スピネルは話上手だった。リィアもその会話に気付けば引き込まれていた。
メーディたちが戻るまで、ルナスもリィアの自由にさせてくれた。
「ああ、先ほどの期待というのはですね――」
スピネルがリィアの問いに答えようとすると、アルバが声を殺して笑っていた。不審に思いながらも、リィアはその先を待つ。
「私がいつも、殿下に相応しい品々をご用意させて頂きたいと申しておりますのに、殿下は一向に聞き入れて下さらないのです。ようやくと思ったのですが、今回もまた別件のようですね」
「……まだそれを言うのか」
ルナスは辟易とした顔を隠さなかった。スピネルは、そんな彼に熱弁する。
「殿下のために存在する宝石や布地の数々を、一度合わせて下さるだけでよいのです。さぞや、お美しいお姿に磨きがかかるはずなのです」
「そうか」
気のない返事だった。
もしかすると、ルナスは自分の容姿が好きではないのかも知れない。
メーディが戻るまで、スピネルは滔々と語り続けた。さすが商人というだけあり、美辞麗句の尽きないこと。リィアはその点に妙な関心をしてしまった。
さて、とルナスはようやく本題に入ることができた。内心、ほっとしているに違いない。
「スピネル、君を呼び立てたのは他でもない、『ウヴァロ』の件だ。耳の早い君ならばわかるだろう」
スピネルは、急ににこやかだった表情を引き締めてうなずいた。
「ここ最近の商品強奪事件ですね? 殿下はどこまで情報をつかまれているのでしょう?」
「正直に言うならば、君ほどではないだろう。あれがウヴァロに住まう者たちの仕業であると知ったばかりだ」
なるほど、とスピネルはつぶやいた。
「私どもと致しましても、これ以上手をこまねいているわけにも参りません。ですから、近いうちに軍の方へ被害を報告するつもりをしておりました」
「そうか。では、その報告を軍ではなく私に報告してくれないだろうか?」
リィアは耳を疑い、思わず首をルナスに向けた。けれど、ルナスの視線はスピネルに向けられている。
スピネルは、どこか含みのある微笑をたたえていた。
「それは、殿下がことを収めて頂ける、という解釈でよろしいのでしょうか?」
デュークもアルバも、メーディも口を挟むことをしない。ただ、成り行きを見守っている。
ルナスは静かにうなずいた。
「力を尽くす。もちろん、君の協力が不可欠になるが、頼めるだろうか」
その答えにスピネルは満足したのか、にっこりと微笑んだ。リィアには、それが狐の微笑みのように油断ならないものに思えたけれど。
「了解致しました。――見返りに、私の見立てた衣に袖を通して頂けるとなれば、よりいっそう力も入るのですが」
ルナスは絶句し、その他は唖然とした。食えない商人だ。
それでも、ルナスは渋々受けるのだった。
「わかった。では、頼む……」
スピネルの言う「軍への報告」は袖の下ありです。
ちなみに、高い服を買わせようとしているわけでもなく、着たら似合うから着て見せてというだけの話(笑)